5月8日に、衆議院青少年問題に関する特別委員会で参考人として意見陳述した際の、基調発言と質疑が、国会会議録データベースにアップされました。http://kokkai.ndl.go.jp/に入ったら「宮台真司」で検索してみてください。なお以下には、基調発言部分と、質疑への応答部分のみ、転載いたします。質問部分は著作権上転載できませんので、国会会議録データベースで見てください。
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■今回付録CD-ROMに収録した「丸激」(1)は5月3日にアップロードしたもの 。前半は白
装束集団・パナウェーブ研究所について。後半は4月30日に私が証人出廷した松文館猥褻
裁判について。後半は私のホームページ(2)に譲り、前半について紹介する。
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■社会学の基礎概念を説明する連載の第2回です。前回「社会」とは何かを説明しました。
「社会」とは私たちのコミュニケーションを浸す不透明な非自然的(重力現象などと異な
る)前提の総体で、それを探求するのが「社会学」でした。
■社会学誕生の背景にはフランス革命以降の社会展開がありました。それが、自立した個
人が契約に基づいて社会を営むとする啓蒙思想的な観念の前提たる、透明性に対する信頼
──個人から全体を見渡せるという信頼──を破壊したのでした。
■さて「社会学」なる言葉を使い始めたコントの時代は社会学を他の学問との関係でどう
位置づけるかという抽象的な問題意識が先行しました。ところが「近代社会学の父」と呼
ばれるデュルケーム、ウェーバー、ジンメルになると問題設定が焦点化されます。
■具体的には「近代社会」とはどんな社会で、他の社会とどう違うか。「近代社会」への
移行はなぜ起こったかです。哲学、心理学、経済学、政治学、人類学などから出自した前
述の論者たちが、これらの探求課題に取り組んで「社会学」を自称したのです。
■いまだ大学に「社会学」なる講座なき時代、既成学問で扱えない問題──「近代」とは
何か──に取り組むべく「近代社会学の父」たちがなした営みが、大学に「社会学」の講
座を産み、制度的学問としての「社会学」を誕生させたのです。
■それゆえ、コントとは違って「近代社会学の父」たちの学説は今でも参照され続けてい
ます。大学の講座云々もありますが(後に詳述)、「近代社会学の父」たちの社会学が「近
代」とは何かを解き明そうとする「一般理論」を目指していたからでもあります。
■ここで私たちは「社会」とは何かという問いに続き、「近代」とは何か、「一般理論」
とは何かという問いを手にします。ただし「近代社会学の父」たちが、こうした問いにど
う答えようとしたのかについては、この連載では触れません。
■理由は、連載が、学説史ではなく、最先端の理論に基づく基礎概念説明を目的とするか
らです。今回は、これらの問いが伝統的なものであることを確認した上で、「近代」に関
わる問題は後回しにして、「一般理論」に関わる問題を一瞥します。
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■日本人は憲法をめぐる二重の困難を背負う。第一の困難は、私たちがいまだに憲法的原則を理解せず、憲法を活かせないこと。第二の困難は、21世紀が解決すべき課題の多くが憲法的原則では扱い切れないこと。憲法を活かせないがゆえの問題と、憲法では対処できない問題とが同時に襲う。そのため憲法改正一つ取っても、心ある者は一概に肯定も否定もできない困難な立場に陷る。
■この種の困難は実はお馴染みだ。明治の亜細亜主義、十五年戦争期の「近代の超克」論、八〇年代のポストモダン論と、日本の抱える問題が「近代化の不徹底」によるのか「近代自体の欠陥」によるのかが繰り返し議論された。それと同型なのだ。近代の根本的欠陥は、第一次世界大戦後の欧州でまず議論され、日本に飛び火した。だが近代の欠陥に対し、近代を知らぬ者が「近代の超克」を処方箋にする愚を、欧州も日本も二度目の最終戦争たる第二次世界大戦で思い知った。結論を言えば日本人は、第一に憲法的原則とは何物でどこまでの射程を持つかを理解した上、第二に「そのことを通じて」憲法的原則を越える21世紀的問題とは何かを理解し、問題解決に当たるべきだ。
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