枝野議員とマル激で事業仕分けについて議論しました
新年1月18日に発売される『サイゾー』2月号に全文掲載されます。
ここでは宮台発言の一部を抜粋しておきます。
宮台◇ 今回の事業仕分けは、国民が、自分たちの支払った税金がどう使われているのかをチェックし、単なる漠たる不満を越えた「合理性な疑い」を持ったり、その疑いゆえに憤ったりする、初めてのチャンスでした。その意味で、第一に、プロセスが全面的に公開されたことが重要です。議論の様子を見て、納得したり、憤ったり。そのこと自体が、国民にとって、有権者とは何を期待された存在なのかを理解するための、大きな経験になったでしょう。数字をめぐって国民を一喜一憂させるが如きメディアの報道は、事業仕分けの本来の意味や重要性との乖離が見られました。
(中略)
宮台◇ 巷では「財務省主導だ」ということも言われますが、実際に主計局が挙げてきた項目は、どれくらいの比重を占めていたのですか?
(中略)
宮台◇ [科学技術振興という]「目的は認めている」ということは嫌というほど強調すべきですね。2ちゃんから立花隆まで含めて「科学は重要だ」と叫ぶ馬鹿が溢れていましたから。科学技術費の項目で問題になった例を見ると、スパコンを含めて、メディアに出て反対をしている「偉い先生方」が、財団のメンバーや理事として巨額報酬をもらっているケースが多数あります。理事の巨額報酬はスパコン開発にどう有効なのか。ネットにはそうした情報があからさまに出ています。ところがマスコミは「科学技術を軽視している」という批判に飛びつきます。単に新聞記者が馬鹿なのか、馬鹿な記者を操縦する恣意的な操縦があるのか。どちらでしょうか。
(中略)
宮台◇ そこの[予算編成が再び目的の意義についての議論に戻るかもしれないという]分岐点でどちらに行けるのかが問題です。手段が間違っていれば目的は達成できないわけですから、そもそも手段を問わないことは、実は目的を問わないことと同義です。にもかかわらず、主計局はこれまで目的に関わる手段の合理性を評価してきませんでした。机を叩く政治家がいる以上は仕方なかったという理由は分かりましたが、もはやそういう政治家がいなくなった以上、状況が変わりました。主計局が今後、手段の合理性を評価する方向にシフトした場合、何らかの権力源泉を失うことになるのでしょうか。
(中略)
宮台◇ [蓮舫議員が国立女性教育会館の研修センターの「稼働率」や「本来の目的に使用されているか」を質問したのに、神田館長が「今の時代の女性教育の重要性は……」という説明を始めるという]そのやり取りが公開されたことが重要です。国民にはかなりの教育効果があったはずです。予算の費目を見ているだけでは話にならず、実際の執行過程で、何のために税金が使われ、誰が便益を享受しているのか、を見ないといけないことが分かりました。つまり(目的の)意義から(手段の)有効性へのシフトです。
これは、民間で市場競争をする人たちからすれば当たり前です。有効でなければ競争に負けて市場から退場させられるのだから。これまでの予算には有効性の評価がありませんでした。有効性のチェック体制がなければ、(名目上の)意義はあっても(実質上の)意味がない事業が行われ続けます。有効性チェック体制の欠如という現実を国民が学べたことが最大の成果です。
また、議論のプロセスを見ることで、役人のプレゼンテーション能力の問題もさることながら、枝野さんのおっしゃる「弁護のしようがないものを弁護しようとしている役人の醜悪さ」が満天下に知らしめられたことは、今後の国民的な流れを作り出す上で、重要な「シンボル政治」でした。その意味で、むしろ「劇場型」であることが功を奏しました。
(中略)
宮台◇ 4年前に加藤さんのお話を伺った際、まさかこんなにも早くプロセスを公開した上での事業仕分けが行われるとは想像していませんでした。国民の意識改革が第一義で、予算削減の効果は第二義だとおっしゃいましたが、意識改革について補足すると、国民が税金を支払うことへの動機づけにも甚大な影響を与えることが重要です。「有効に予算を使うために官僚や政治家がここまで議論を尽くした以上、税金を逃れることは反公共的な犯罪だ」との意識が熟成されるでしょう。納税を通じて公にコミットメントする気を起させる、その意味でシビック・バーチュー(市民の徳)の起爆剤になり得るだろうと思います。
(中略)
宮台◇ [マスコミの劇場型政治批判などに国民が反応せずに内閣支持率が上昇したことは]国民全体にマスコミに対する不信感があったのでしょう。例えば選挙戦においてもマスコミは民主党のマニフェストを公正に報じて来ませんでした。「与党である自民党についてはマニフェストでなく実績を評価すべきだ」という国際標準の扱いはなく、子ども手当等の個別政策について具体的内容を報じ始めたのも民主党が政権を取ってからの話。マスコミ報道では民主党の政策がよく分からなかったから、自分で調べなければならないということで、民主党公式ホームページ上のマニフェストの参照が百万以上に及びました。こうしたマスコミ不信の意識が高まっていたところに、事業仕分けついても、マスコミが劇場型政治の典型として扱ったことで、墓穴を掘るかたちで威信を失った印象があります。
(中略)
宮台◇ 最後に一つ申し上げるならば、議論を公開する、もっと言えば国民が政策のチェックの仕方を学習するという機会を、継続的に拡大していただきたいです。事業仕分けは、「予算がこれだけ削れるんだからスゴイね」という性質のものではなく、行政の有効性を評価する目を持つという意味で、民度を上げる非常に重要な練習台になるからです。中学生や高校生でも十分に理解できる議論なので、裁判の傍聴と同じように「若人たちが先生に連れられて見に行く」ということが教育慣習になれば素晴らしいですね。
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