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衆議院青少年問題に関する特別委員会 意見陳述

投稿者:charlie
投稿日時:2003-06-01 - 15:18:00
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(1)
5月8日に、衆議院青少年問題に関する特別委員会で参考人として意見陳述した際の、基調発言と質疑が、国会会議録データベースにアップされました。http://kokkai.ndl.go.jp/に入ったら「宮台真司」で検索してみてください。なお以下には、基調発言部分と、質疑への応答部分のみ、転載いたします。質問部分は著作権上転載できませんので、国会会議録データベースで見てください。


○宮台参考人 おはようございます。宮台真司と申します。この委員会にお呼びいただいたのは二度目でございます。大変光栄に存じております。
 私は、今回の法案につきましては、その立法目的には賛成をいたしております。児童を保護するという立法目的には賛成いたしておりますが、法案の具体的な内容についてはネガティブ、否定的に考えています。
 その理由を幾つか申し述べますが、大きくは三点、一、わかりにくい、二、誤用、乱用の危険がある、三番目、有効性に疑問があるということです。
 まず、わかりにくさですが、出会い系サイトの範囲、出会い系サイト、これはインターネット異性紹介事業者というふうにパラフレーズされていますけれども、これがよくわかりません。いわゆる、メッセージ取り次ぎ型ではなく、単純BBS、ブリティンボードシステム、電子掲示板でも、ユーザーの書き込み次第では出会い系に変貌します。したがって、出会い系になり得ない書き込み可能サイトは論理的に存在し得ないという過剰な包括性が存在しています。
 次に、未成年者を加罰する法理、これは前田参考人もおっしゃっていたことですが、これがわかりにくいのです。保護対象への加罰は法理として矛盾しています。これに加えまして、覚せい剤等の取り締まりとの違いは、事実上、成年の単純売買春、あるいは成人が書き込んでも罰せられないものについて未成年を罰するということの矛盾も指摘しておきたいと思います。
 ちなみに、売買春の是非についての個人的な見解は申しませんが、アメリカの一部の州を除きますと、先進国の多くは単純売買春は合法化し、青少年の性行為も合法化していますが、しかし、国連の子どもの権利委員会は、青少年の売買春はこれを禁止するように勧告をしているわけです。
 その理由は、例えば交渉力が未熟であったり、問題解決能力が未熟であったり、対償が非常に高額であるがゆえの異常行為の反復があり得たりして、いずれにせよ、青少年の健全な試行錯誤に必要な最低限の尊厳を保護するという法理において未成年者の売買春を禁じているわけです。売買春がいけないからではなくて、売買春がいいか悪いかはむしろ成年の良心に任されているのでありますが、にもかかわらず、未成年者についてはこのような一定の保護理由が与えられているというのが国際的な流れであります。
 次に、誤用、乱用の危険について申し上げます。
 まず、いわゆる成り済ましによるでっち上げなどで、個人情報が当局にすべて把握される可能性がございます。成り済ましとは、すなわち、児童を誘引する書き込みを電話番号やメールアドレスとともにアップロードするなどの行為であります。このような単純なでっち上げがありますと、検証令状で過去から未来にわたる位置情報が携帯電話会社から提出される書類を通じて確定される可能性があります。これは、ここにいらっしゃる政治家さんたちにとっては、とりわけ危険なことではないかというふうに私は考えております。
 さらに、個人の攻撃だけではなくて、成り済ましによるでっち上げなどでサイトつぶしが行われる可能性もございます。単なる捜査対象となるだけでもウエブサイトにとっては大きな打撃であります。とりわけ、子供が参加するようなサイトにとっては大打撃。しかも、そのような振る舞いを通じて、特定のサイトの参加者の個人情報が捜査当局に筒抜けになる可能性もございます。
 そして三番目。有効性に疑問がございます。
 かつて、九六年の岐阜県テレクラ条例以降、通称ですが、さまざまな、いわゆる出会い系の前身に当たるような不特定者のメディア、出会いメディアが禁止されてきましたが、その都度メディアが横に移動していくだけでありまして、総体としてのユーザーが減るということは全くなく、むしろずっとふえてまいりました。
 さらに現在では、この出会い系サイト規制法案の成立を見越しまして、いわゆる街頭ナンパ、町で声をかけるという振る舞いの復活、あるいは特にやくざ系の人たちが経営している女子中高生置屋が非常に広がっております。さらに、テレクラ、伝言、ツーショットのようなログの残らない、声を使ったメディアが見直しされ、その種の雑誌で繰り返し特集されているという現状で、ユーザーはもうそこに移りつつあります。
 さらに、簡単に抜け穴もつくれます。例えば、二十七歳!といった暗号化、このびっくりマークはマイナス十歳を意味したりするわけですね。そのようなやり方で簡単に抜け穴をつくれます。このような書き込みは、今回の法案では一切規制することができません。
 さらに、これは後で質問があれば詳しく説明しますが、クローズドなツーショット・チャットシステムというのがございます。これは外からは何を会話しているのか全くわかりませんが、ウエブを使う、例えば児童を見つけようとするユーザーは、もう大半がこちらの方に移行しておりますので、このような法案ができることによって少しも困りません。
 三番目に、このように有効性に疑義があるにもかかわらず、二番目に申し上げたような誤用や乱用の危険の存在する法律が成立すること自体は極めて、つまりコスト、費用対効果という観点から見てアンバランスであり、最小化措置を講じるべし。つまり、目的に対して手段を最小化するべし、あるいは効果に対して手段を最小化するべしという近代法の原則あるいは憲法的な原則に抵触しているというふうに考えることができます。
 さらに、今私が申し上げたような有効性に対する疑問をもって、この法案をもっと拡張し、拡充し、ありとあらゆるものに網をかけろというふうな議論が出てこないとも限りません。
 例えば、ログの残らないテレクラ、伝言、ツーショットについては、盗聴のような捜査手法を麻薬の取り締まりに関する特例措置と同じように設けてはどうかといった議論が出てこないとも限らず、もちろん、そのようなものが出ても、ユーザーが抜けようと思えば幾らでも抜け穴はあるんですが、いずれにしても、非常に、目的はよいのですけれども、法案の内容には疑問があります。
 ちなみに、私は社会学者で、専攻は数理社会学と社会システム理論でございますけれども、幾つかの研究分野の一つに、青少年の性的なコミュニケーションの問題を研究しているということがありまして、実は、出会い系の前身に当たるテレクラなどにつきましては、テレクラが誕生した一九八五年九月から綿密な調査を重ねてきておりまして、取り締まりがどのような効果を生んできたのかということもつぶさに見てきております。
 以上です。(拍手)
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○宮台参考人 幾つか象徴的な事例があります。
 九六年以降、各自治体にできましたテレクラ規制によって、いわゆる二百メートル規制や五百メートル規制ができて、テレクラの立地が基本的に難しくなりました。そのときから私も主張していましたが、当然のことながら、店舗という形をとらない電話回線上のテレクラ、すなわちダイヤルQ2を使ったツーショットや伝言ダイヤルに大半が移行する、その結果、むしろ問題が大きくなるだろうというふうに申し上げてきました。
 何ゆえならば、特に地方都市に多いのですが、テレクラで出会った男女が、男側の計略によって女性側が暴行されるという事件が、事件になっていないものも含めまして、大変に多くあります。これは現在でも膨大な量があります。
 しかし、この大半はもちろん警察に訴えることができないということもありますので、実は、店舗のテレクラがあったころには、テレクラがブラックリストをつくるという形で少女に告知するという、つまり、フロント側の対処が行われていました。しかし、店舗テレクラが消えたせいで、テレクラのフロントに相当する、要するに事業者が男側のユーザーを把握することができなくなり、その結果、事実上、テレクラのフロントが果たしていたある種の抑止機能あるいはスクリーニングの機能が失われ、問題が拡大したというふうに認識しています。
 問題が見えなくなることですっきりしてしまうというようなメンタリティーは、これは各国、日本に限らずあるわけですが、実際にユーザーの側に需要つまりニーズがあり、供給者がいるならば、それを単に見えなくしてしまってどこかに追いやる場合には、子供の不利益を我々がもともと目にすることができなくなってしまう可能性がありますので、そのことにとりわけ注意をしていただきたいと思っている次第でございます。
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○宮台参考人 いわゆる出会い系サイトのアクセスの仕方は幾つかあります。いわゆる電話番号をIDがわりに利用するようなところがあります。その場合には、成り済ましは比較的難しいかもしれません。
 しかし、例えばメールアドレスであれば、これは架空メアド、あるいは、もちろん携帯電話の中で、架空ではないんですが、自分で自由自在に臨機応変にメールアドレスを変えることができるような体制になっておりますので、そうした状態で、つまり、アイデンティフィケートが非常に難しい状態で利用するユーザーが大半を占めるような状況では、今おっしゃったような問題、つまり、成り済ましの問題は生じやすくなり、成り済ましかどうかを見きわめるためにも捜査が入るということがあり得るというふうに考えています。
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○宮台参考人 これさえあれば抑止できるということはないと思うんですね。参考人の方々がおっしゃったように、さまざまな、複数の施策の結合が必要だと思います。
 先ほど、島先生の方からお尋ねいただいたときに、テレクラのフロントの件を出しましたが、実際にはなぜフロントが抑止力として働いていたかというと、やはり後ろめたいので強姦されても警察に訴えることができないというケースが非常に大きいからです。したがって、比較的第三者的な、警察ではない、つまり処罰されないテレクラのフロントの方に行くということがありました。
 そのような意味で、例えば、処罰をすれば単に抑止力として働くという部分だけを取り上げて考えることができない。やはり費用対効果なんですね。どういう費用、コストがかかるのかということを考えなければならず、水島先生もおっしゃっていましたけれども、それによって例えば人権を侵害された子供が、つまり犯罪に遭った子供がそれを訴えることができないというような可能性がみじんも存在するのであれば、そのような法律は公正なものではない可能性があります。
 その辺、ほかにもいろいろなコストがあり、そのことはお話をいたしましたが、コストを最小化するための工夫がこの法案に存在するとは、私の考えでは認められないというふうに思います。
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○宮台参考人 社会的法益と個人的法益とどちらを保護法益として重要視するべきなのかということについては、社会政策論の中でも、あるいは公共政策論の中でも、学説の変遷があります。わかりやすく言えば、何が道徳的によい秩序か、例えば何がよき家族か、何がよき恋人関係かというようなことについての合意が存在するそのような社会では、社会的法益としてよき秩序を守るというようなことに合意を調達しやすく、したがって、それが通りがよかったんですね。したがって、そういう観点から売春を防止する、禁止する法律を持っている国も、あるいはわいせつを禁止する国も、かつては今よりもたくさんありました。
 しかし、今は、何がよき性的な秩序であるのか、何が例えば劣情を催すものであるのかについては、それは個人の良心に任されるべきであって、むしろその点については、人権の侵害がなき限り、あるいは人権の両立可能性の侵害がなき限り、立ち入らないというのが近代社会の流れというふうに申し上げることができます。その観点からいえば、例えば万引きなら万引きが犯罪である理由を、おまえが万引きするとほかのやつも影響を受けて犯罪を犯してしまうからなんというのは、万引き処罰の理由にならない、笑い話にしかすぎないというふうに私は思います。
 それと、もう一つ非常に重要なことは、何人かの参考人の方がおっしゃっていたことなんですけれども、例えば自己決定と申しましても、自己決定の前提になるのは情報です。できるだけ完全情報に近い方が不利益をこうむらないわけです。
 その意味では、例えば、一九六〇年代にオランダが行ったタイムスパンの長い研究があります。それは、麻薬がある程度広がった段階での話ですけれども、麻薬はいけないと教えたグループ、いけない理由を説明したグループ、麻薬の是非を議論させたグループに分けると、麻薬はいけないというふうに禁止命令を出したグループが、その後の経年調査で、最も麻薬に手を染める割合が高いという結果が出ています。逆に言うと、子供たち同士で議論をさせたグループが最も麻薬に手を染める割合が低かった。
 これはパラメーター、外生変数がありまして、麻薬がある程度広がった段階で自分がそれをやるかやらないかということが現実的な問題になった段階で意味を持つ議論でありますが、売買春、援助交際等につきましても似たような状況にあると思います。
 個人的な経験からいうと、援助交際をする中高生の多くは、援助交際の危険を知りません。例えば、よくあるのが、地方なんかですと、男と待ち合わせて、車で移動すると、男の仲間が別の車で、ワゴン車等でついてきて、人里離れたところで輪姦するというようなことが今でも頻繁にありますね。必ずしも事件化はされていません。同じような形で、ワゴン車等に乗ったら、それに別の男たちが乗っていて、監禁されてレイプされるというような事件もあるわけです。その他さまざまな、現実にこういうこともある、ああいうこともあるという事例を彼女たちはほとんど情報として知りません。
 そういう危険にもかかわらず、つまり、あり得る確率論的な、簡単に言えばコストにもかかわらず、それをやる価値があるかどうかという判断を、つまりコスト計算をした形跡がありません。そのようなコスト計算をさせることは、抑止という観点からむしろ非常に重要でありまして、そのようなコスト計算をさせるためにも、禁止されているからだめなんだよという議論はむしろマイナスに働く可能性があると思います。
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○宮台参考人 性の商品化それ自体の是非は、これ自体が非常に論争的です。二つ、ポイントがあります。
 それは、性的サービスに対償が提示されることと人格の理解とが混同される。すなわち、性的サービスは商品化されても構わないが、人格の商品化はよくないという立場が例えばあり得ますね。そういう観点から一つ問題が提示できます。あともう一つは、性別非対称性というふうに一般には申しますけれども、なぜ女性の性的サービスばかりが商品化されるのか。単にそこに性的サービスに対する対償の提示だけがあるのだとしても、そうした性別非対称性が、女性という存在に対する、ある意味で比喩的に言いますが、全般的に暴力的な社会イメージを構成してしまう可能性があるということを危惧する、そういう立場もあります。
 こうした問題は非常にセンシティブ、難しい問題ですから、市民同士議論をし合い、何がよき人間の振る舞いであり得るのかということについて、簡単に言うと、少しずつ合意を形成していかなければいけないわけですね。なかなかそういう状態に入ることができず、学校の先生がだめと言っているとか、法律がだめと言っているということで、いわば思考停止になってしまっている状況があります。これは、先進国の中でも、日本が最も著しい思考停止状況に陥っているように私は推測をしております。
 したがって、有効性の問題は、先ほどから繰り返し、私あるいはいろいろな方が申し上げているとおり、確信犯は必ず抜け穴を見つけることができます。何ゆえならば、それだけ社会が複雑だからですね。
 ここに挙げたクローズドなツーショット・チャットというのを少し説明しておきますと、これは、二人だけがコンピューター上で、あるいはパソコン上、携帯電話上でチャットができるようなシステムですから、ほかの人が内容をのぞくことはできません。したがって、そこで交わされた交渉事は、ちょうど電話の会話とよく似ていて、当事者だけが知り得るものとなっておりますので、例えばそうしたクローズドなツーショット・チャットを利用して相手を探そうという子供や大人たちが確実にふえ、ネット社会ですから、その情報が一瞬において共有されるだろうと思います。ネットの中でさえも、簡単に抜け穴は見つかります。
 それよりも、こうした規制が出てくると、私のレジュメにも書いてありますように、いろいろな雑誌が、これをくぐり抜けるためのいろいろな提案をしています。やはり直接に声をかける、直接の声かけがいいのだとか、あるいは三行広告やインターネットの掲示板での広告を通じていわゆる女子中高生を置いているホテトル、違法なホテトルですが、そうしたものを利用するのがいいのだとか、あるいは数少なくなったテレクラを見直そうではないかといったようなことが書かれているわけで、これは予想どおりではありますね。
 むしろ、規制法が規制法案という形で話題になりますと、そういう抜け穴についてのコミュニケーションが異常なほど活性化いたしまして、そういう雑誌を読む人たちも全体として延べ数が非常にふえますね。そのことを危惧した方がよろしいかというふうに思われます。
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○宮台参考人 性交合意年齢、そして刑事責任年齢、少年男子・女子、そして結婚可能年齢、そして選挙をする有権者であり得る年齢、酒、たばこのいい年齢、ばらばらですよね。このようなばらばらさは、多かれ少なかれ多くの国にありますが、日本はとりわけばらばらで、これを統合するという動きがわずかに存在しますけれども、諸外国に比べるとやはり非常に弱いというふうに感じます。世界的な流れでいうと、大体十八歳に一つ大きな線を引くという線と、あともう一つ、性に関しては大体十四、十五、十六のどこかに線を引く、十八歳よりも前の段階で線を引くということが大体一般的な流れになっていると考えられます。
 このようなばらつきが抱える問題は、例えばこういうことです。大学の新入生は十八歳、十九歳の人が多いですよね。しかし、新歓コンパで酒を飲まない、おれは二十になっていないから酒は飲めませんと言う人は見たことがないし、聞いたこともない。たばこについても同様ですね。そのような問題が生じるわけです。
 これは、もちろん脱法行為を行う人間がいけないじゃないかというふうな議論もあるのですが、どこかに非常に明確な線を設けておいて、ここから先、例えば大学に入るのも十八だし、選挙できるのも十八だし、酒、たばこも十八だし、売買春にかかわっていいのも十八だしというふうになっていれば、ある種の、シンボリックなというふうに言うんですけれども、わかりやすい、象徴的な効果がもっと期待できるというふうに思います。
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○宮台参考人 結論から言えば、ございますね。単純BBSも一般のメーリングリストもすべて、誘引的な書き込みがなされる可能性があれば、当然ながらサイバーパトロールの対象たり得ます。
 そこに、先ほど申し上げたような、例えば何らかのかたり、成り済ましのようなものがあった場合には、捜査対象として、そうしたメーリングリストや単純BBSが対象になることもあり得るかというふうに存じております。
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○宮台参考人 人権は一般に公共の福祉という制約事由によって一定の制約を受けるというふうにどこの近代憲法にも書いてありますので、公共の福祉が何であるのかという議論が一般には必要で、そこでは、先ほど達増さんからの質問にもございましたけれども、個人的法益と社会的法益の両立可能性の問題について、あるいはどちらを充実するべきなのかという議論について、抽象的な話ではございますけれども、やはり議論を積み重ねていく必要があると思います。
 さらに、それとは別に、日本はとりわけ、例えばプライバシーの権利と名誉を毀損されない権利が、近代裁判、日本の裁判の歴史においても混同されてきています。三島由紀夫の有名な「宴のあと」裁判というのがありますが、これは、事実上プライバシーの侵害が名誉の毀損という概念の内側で争われているということもあります。
 プライバシーの権利とは、簡単に言えば自己情報制御権、コントロール権だというのが近代憲法学の最先端の発想であります。それは、簡単に言えば、名誉を毀損されるかされないかに関係なく、自分がどういう人間であるのかということを人に示す、その示し方を自分で制御できるということなんですね。したがって、面目を失うか失わないかに関係なく、自分の知られたくない情報を伏せることが認められるというのがプライバシーの権利の基本であります。
 しかし、もしプライバシーが制約されるような何らかの法律がある場合には、やはりその理由が説明されなければならないし、もし犯罪捜査で個人情報が利用されたりするということがあるならば、しかるべき理由が事後的にでも開示されて、納得がいくような形で処理されなければ、社会の中の、例えば日本社会におけるプライバシー権という考え方はどんどん希薄なものとなり、それがひいては非常に大きな社会的な利益の損失に結びついていく可能性があり得ると思います。