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「安保基本法」を制定し、原則を確定せよ

6月21日付朝日新聞朝刊オピニオン面「私の視点」に、私の論説が掲載されています。

■冷戦体制下では、自衛隊の存在自体の合憲性が争われていた。合憲側は、米国の軍事行動がソ連の覇権から西側諸国を守る利他的行動に見えたこともあり、単に合憲を主張すれば良かった。違憲側は、日本が現に米国の「核の傘」に覆われ、55年体制下で万年野党化していたことを背景に、単に違憲を主張していれば良かった。今思えば能天気な時代。そうした時代が終わった。
■小泉首相が「国民も自衛隊は実質的に軍隊じゃないかと思ってる人が多いんじゃないの」と述べたのが象徴的だが、合憲性は中心的問題ではなくなった。では今何が問題か。結論を言えば「米国に言われりゃ何でもやるのか」といったズルズル感。すなわち、冷戦体制下のままの思考停止がもたらす主体性のなさが、国益を侵害し、自衛隊員の命を粗末にする恐れが、明確になって来ているのである。
■思考停止は滑稽を通り越す。米英では大量破壊兵器が見つからないことで政権が危機に陥っているのに、日本ではそうした気配がない。それどころか党首討論で追求された小泉首相は、フセイン大統領が見つかっていないからイラクにフセインがいなかったことになるのかと爆笑答弁をした。外国に報道されたら国辱ものだ。それに先立ち久間章生政調会長代理が2月14日の本紙朝刊で、外務省は米国支持以外あり得ないとの態度だがと問われ、「外務省は米国の外務省みたいなものだから」「日本はアメリカの何番目かの州みたいなものだから」と答えた。これは単なる爆笑発言ではない。小泉首相は党首討論で久間発言を踏襲するべきだった。それすれば、義がなくても米国についていくしかない日本の現状を満天下にさらし、今後も現状のまま行くのかについて国民的議論を惹起できた。それができるのは首相だけだ。
■こうした国民的議論が起これば私の立場は明確だ。第一に、政府による憲法解釈を集団的自衛権を許容するものに変更し、第二に、国家安全保障基本法を定めて、集団的自衛行為としての正当性が国際的に認められたことを示す手続きとしての安保理決議など自衛隊を派兵できる要件を定める。理由は二つある。憲法的にも法律的にも合法枠内で出兵できる
ようにすれば、(1)要件不充足を盾に米国からの理不尽な要求を拒絶でき、かつ(2)自衛隊員の安全を守りやすくなるからだ。
■現状は先の二人の発言以上に滑稽だ。米軍との共同作戦行動なくして意味をなさないイージス艦を戦地の近くに送りながら集団的自衛権の行使ではないと言い張るのはまだいい。横須賀港から戦地に向かう米軍艦船への燃料補給は「出港段階ではどこに行くか確定できないから」、湾岸地域での米軍艦船への補給も「トマホークを打った段階ではどこに向かうか確定できないから」集団的自衛権の行使ではないと言う。こんなデタラメな理屈が横行し、脱法行為が日常化している。だからこそ、どうせ脱法行為なのだからと米国の要求に際限なく応じるしかなく、国益と自衛隊員の命が軽んじられる。無意味なタブーを破り、憲法上も法律上も、自衛隊が海外で集団的自衛権の範囲で任務を遂行できるようにし、かつ安全な任務遂行に必要な武力行使を可能にする必要がある。
投稿者:charlie
投稿日時:2003-06-21 - 15:11:00
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りそなへの公的資金投入の背後に隠されているもの

■今回の付録CD-ROMに収録した「まる激」は、5月28日に配信した「りそな問題に
出口はあるのか」だ。慶応大学経済学部・池尾和人教授をゲストに招き、公的資金注入に
どんな問題点があり、市民が何をウォッチするべきなのかを議論した。

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投稿者:charlie
投稿日時:2003-06-18 - 15:13:00
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『チャット依存症候群』(教育史料出版会)解説+近況

梅雨入りしましたが、皆さんはお元気でお過ごしですか。
最近の書籍を幾つか紹介させていただきます。

6月10日に、宮台真司×宮崎哲弥『ニッポンの問題。M2:2』(インフォバーン)が公刊されました。初版8000部スタートでしたが、BK1で総合2位を獲得するなど人気でしたので、即日5000部増刷となりました。

5月22日に、斎藤環さんの『OK?ひきこもりOK!』(集英社)が出版となりましたが、この本には斎藤環×宮台真司の長い対談が2本(原稿用紙100枚以上)が収録されています。

4月20日に、吉田司さんの『聖賤記』(パロル舎)が公刊されましたが、この本には吉田司×宮台真司の長い対談「天皇と日本──大亜細亜主義宣言」が収録されています。

以下は最近の原稿です。

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投稿者:charlie
投稿日時:2003-06-15 - 15:14:00
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連載第三回:システムとは何か?

■社会学の基礎概念を説明する連載の第三回です。前回「一般理論」とは何かを説明しま
した。一般理論とは相対的な概念で、(1)できるだけ多様な主題を、(2)できるだけ限定され
た形式(公式)で取り扱えるほど、理論の一般性が高いと見なされることを紹介しました。
■ところが、重化学工業中心の経済段階が終焉して近代成熟期を迎えると、社会的共通前
提が崩壊し、切口が違っても共通の問題(戦後の再近代化に伴う問題)を扱っているとの
意識が薄れ、個別の分野を横断して適用可能な一般理論に対する関心が薄れるのでした。
■加えて、周辺に問題を派生しつつ近代化が進行する時代に、既存分野で扱えない問題(近
代とは何かなど)を扱うとの問題意識に駆動されて生まれた社会学が、講座が制度化され
るに従い、社会への関心を失って自家中毒に陷ったことも一般理論を退潮させたのでした。
■かくして近代成熟期の到来に伴って社会学の一般理論が退潮、社会の不透明性について
の意識が増大しますが、そもそも私たちのコミュニケーションを浸す不透明な前提を考察
するのが社会学の使命だから、今こそ一般理論が要求されているのだ、という話でした。
■さて今回から一般理論の中身に入りますが、社会学で一般理論という言葉を使うように
なったのは戦後のタルコット・パーソンズ(1902-1979)以来であり、当時から一般理論と
は「システム理論」のことを指します。今回は「システムとは何か」をお話しします。

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投稿者:charlie
投稿日時:2003-06-11 - 15:16:00
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李相日監督『Border Line』映画評

■2000年6月21日、岡山の高3少年は、自分をいじめる野球部の4人をバットで殴って負
傷させた。殺人したと思い込んだ少年は「母親に迷惑をかけたくない」と今度は母親をバッ
トで撲殺。自転車で逃げた彼は16日間で千キロを走り、7月6日秋田県で逮捕された。
■この逃避行をめぐっては、比較的忠実な再現から、事件にモチーフを借りたフィクショ
ンまで、私の知る限り幾つかの映画化の企画が立った。李相日監督『BorderLine』は後者
に当たる(タイトルは「境界線」とも訳せるし、精神医学で言う「境界例」とも訳せる)。
■私自身はこの事件をめぐる別の企画に関わっているが、高3少年の動機づけをめぐって
は主要2つの謎がある。一つは、親子関係がいかなるものだったのかということ。もう一
つは、なぜ北方に千キロも走ったのか、少年はどこに行くつもりだったのかということ。
■李相日監督は、後者については「母を訪ねて」という当たり前の理由を立ててクリアー
の上、もっぱら前者──親子関係──について想像力を集中して映画のドラマツルギーを
組み立てる選択をした(私自身は後者すなわち、なぜ「南」でなく「北」かに集中する)
■李相日監督が選んだのは「親許し」のモチーフ。「親許し」モチーフの映画は、「父許
し」に限定しても、生前の和解ならエットーレ・スコラ監督『Barに灯ともる頃』、死後
の和解ならばクリス・エア監督『スモーク・シグナルズ』などが、すぐに思い出される。
■そのエッセンスは“親の理不尽な振舞いを恨む子が、長じて親と向き合った結果、親に
は親の事情(究極の逆境や壊れた人格)があって選択の余地がなかったと知り、地獄の煩
悶の末に許す”という形を取る。要は「親の心、子知らず」という諺に集約されるのだ。
■この伝統的なモチーフを反復することは、過去の名作と競合関係に入るという困難な道
にチャッレンジすることを意味する。そうしたチャレンジを成功させるには、過去の名作
に互してポイントを稼がなければならない。『BorderLine』はみごとに勝ち抜いてみせた

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投稿者:charlie
投稿日時:2003-06-10 - 15:17:00
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