維新派を貫く「縦の力」と眩暈
■維新派の公演を「演劇」と呼ぶべきなのかどうか分からない。でも「演劇」という概念
自体の自明性が崩れてから少なくとも(例えばブレヒトから数えて)半世紀。面倒だから
「演劇」と呼ぶことにする。私にとっての最大の演劇経験は、いまでも維新派だ。
■評判には聞いていても大阪まで出かけるのは億劫。ビデオで見たことはあっても、結局、
私が初めて維新派を直接体験したのは、今から三年前のこと。忘れもしない、今はなき大
阪南港ふれあい港館広場で行われたヂャンヂャン☆オペラ『流星』の公演だ。
■南港は遠い。東京から行くとなおさら遠い。翌年の奈良県室生村での『さかしま』も遠
かったし、翌々年の岡山県犬島での『カンカラ』も遠かった。でも、繰り返し経験すると
分かるのだが、遠いことが大事だ。
■旅の道中は、神殿参拝のための禊ぎの時間のようなもの。スポーツでいえば準備体操の
ようなもの。日常の時間と空間をそのまま公演会場に持ち込むのではなく、すぐさま水に
飛び込む代わりに、非日常の時間と空間に向けて徐々に体をならしていくのだ。
■日の落ちた後の薄暮。南港の広場に近づいていくにつれて、赤々とした灯が、火が、見
えてくる。屋台が立ち並んでいる。呼び込みの声がする。食べ物の匂いがする。人が多勢
渦巻いている。ああ、あの感覚だ。子供の頃に経験したお祭りの日と同じだ。
■子供時代は京都にいた。年に何回もお祭りがあった。そのたびに学校が半休になって、
教室にいる時間から皆ソワソワ。学校を出るといたる所に浴衣姿。日が落ちるといたる所
に祭囃子。神社に近づくにつれて、灯と匂いと囃子と人いきれ。そして眩暈。あの感じ。
■一通り腹ごしらえをして、イントレで組んだ巨大な建造物に入る。中も巨大だ。あたり
は黒一色。そうか。流星は夜のもの。夜と言えば闇。闇と言えば黒。剥き出しの巨大スピー
カー。ああ、また思い出す。高校のときの文化祭の野外ステージだ。胸が高鳴る。
■照明が落ちる。ロックコンサートを凌ぐ轟音が響く。闇に浮かび上がった白塗りの少年
少女たちが踏み鳴らす変拍子の足音が、劇場中に響き渡る。時計を見る。まだ始まってか
ら15秒。クラクラ眩暈がする。一緒にいた少女を見ると、紅潮して汗ばんでいる。
■彼女の耳元で告げる。「まだ15秒だけど、今まで見た演劇の中で最高だ。終わりまで見
なくても分かる。すべて最高」。そして、すべて最高だった。興奮した。酩酊した。眩暈
した。力が降りた。「縦の力」が。公演が終ってからも南港周辺をズンズン歩き回った。
■私が求めていたものは、コレだった。幼少期から極度のお祭り好きで、山に入ってはト
ランスして迷った私。東京の中学に進学すると、お祭り的なトランスを求めて、アングラ
演劇に、アングラ映画に、アングラジャズに、中学高校紛争に、どっぷり浸かった私。
■何を私は求めていたのか。そう。「縦の力」だ。人間関係の中で承認されたり拒絶され
たり。社会関係の中で上昇したり下降したり。そういう社会的な力学が「横の力」。ツマ
ラナイ。私はそういう「話(ドラマ)」はツマラナクて耐えられない。どうでもいい。
■「横の力」は「社会」から、横からやって来る。「縦の力」は「世界」から、天空から
降って来る。例えばそれは人形に降りる力。小さい頃から人形劇が好きな私はトルンカや
ポヤルなどチェコの人形アニメを見尽くし、糸操り人形の結城座公演も欠かさず見る。
■天野可淡や山吉由利子の人形展にも出入りし、家にも何十万円もする人形が数体。でも
そんなことをするぐらいなら、もっと早く維新派を見に来るべきだった。くそっ。何年も
ムダにした。東京で「横の力」を描くだけのクダラナイ芝居ばかり見てしまった。
■東京で維新派のすごさをフレ回った。私が勤務する大学(都立大学)の学生からは維新
派に潜り込む者まで出てきた。「縦の力」と言っても分からない連中ばかりだから、いい
傾向だ。「横の力」ではなく「縦の力」に、「社会」ではなく「世界」に開かれること。
■思えば、日本の映画や演劇が「縦の力」を降ろせなくなったからこそ、テレビや音楽に
客を奪われた。ワザワザ映画や演劇を「見に行く」という行為系列の意味を軽視したから、
負けてしまった。同じ「横の力」で勝負したら、手軽なテレビや音楽に勝てる筈もない。
■身体を人形みたいに提示するのは寺山修司に近い。だが維新派のほうがダイナミックで
五感全体に訴えかける。身体性を前面に出すのは山海塾や大駱駝館みたいな暗黒舞踏に通
じる。だが維新派は、隠された身体性でなく染み付いた身体性(行進!)を前面に出す。
■総じて近代の光が覆い隠す前近代の闇に接近しようとしたアングラの匂いがする。といっ
た批評家めいた物言いより、それが何を目指したものなのかが大切なのだ。何を目指して
いるのか。私たちが忘れかけていた「縦の力」が与える眩暈。だから遠くに見に行くのだ。
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