芸術家の内海信彦先生と、弟子の中島「イチモツ」春矢を前に、ゲージツ論をぶちました。
例によって宮台発言の一部のみ抜粋です。
内海さんとのスリリングなやりとりや、中島とのワイセツなやりとりを知りたい方は、次号の『情況』を買ってください。
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「シャカイとゲージツ」
宮台真司(社会学者)×内海信彦(画家・美学校講師)
司会:中島晴矢(美学校生)
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宮台
よろしくお願いします。なんだよお前さっきのパフォーマンス続けてりゃいいんだよ。乱闘の中で対談するみたいな、誰も聞いてない感じにするんだよ、お前さぁ。途中でやめるなよ。まだ仕込んでるんだろ、どっかに(会場笑)。「これで終わりかオラァッ!」って怒鳴り込むようなヤツをさ。
宮台
でも、中島は「ここで終わり」とパフォーマンスを区切った。区切ったってことに、芸術の持ってる今日的な問題が表れてるよな。また非日常の後に何ごともなかったのごとく日常が戻り、結局は、中島が持ち込んだ非日常までをも織り込んだものが結局は日常なんだよなって感じ? 日常を爆破するどころか、安全な日常を再強化する仕組みとしての中島。…ちょっと60年代的な言説を展開してしまいました(笑)。
宮台
本当はフリージャズなのに、一般ピープルが聞きやすいようにアンビエント的な味付けを施す。実に素晴らしかったです。
宮台
あぁ、僕の得意分野です(会場笑)
宮台
中島のイチモツ、もう見慣れちゃったぜ。嫌な日常だな。(会場笑)
アートの原体験
宮台
僕はもともと統合失調っぽかったんですね。小学校の時に普通に歩いていると建物がガーっと崩れかかってきたり、家の中でも天井が落ちかかってきたりといった幻影に襲われたり。何かを眺めていると、いろんなものが燃えてるというか渦巻きはじめて、怒濤のように僕を襲ってくるとか。それに圧倒されてうずくまって泣き叫んだりする。
それで、僕が中学校に入った頃だと思うけど、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵を見たときに、「ああ、僕が体験してきた世界と同じものが、其処に絵描かれてあるな」と思って。「俺はたしかに世界をこう感じてる、間違いない」と見入ってしまいました。それが多分、僕の最初のアート体験だと思うんですね。
もう一つあります。もともと僕は京都のとてもお祭り的な空間に育ったんですけど、小6の秋に東京に引っ越してきて、71年に中学に入るんです。ところが入ったのが麻布だったので、入学前から中学高校紛争が続いてて、最初は数ヶ月間授業がなかったんです。文化祭で山下洋輔トリオなどが来ていたので、それを通じてアルバート・アイラーなんかのフリージャズや、若松孝二と足立正生のピンク映画の世界にいったりするんです。それが中2のころ。
で、そのときも、僕の最初の受け取り方はゴッホ体験と同じです。「僕も確かに〈世界〉をそう体験していたはずだ」みたいに、幼少期に引き戻される感じでした。当時、僕は、非常階段とか、屋上とかで、アマチュア無線をやってたり、本を読んでたりしていたので、そういう「変な場所」で聞くのにふさわしい音楽ってやっぱりフリージャズだし、あるいは若松孝二や足立正生の映画に出てくるのもやっぱり非常階段とか屋上の風景だったりしたわけです。
その辺が僕のアートの原体験です。強いて言えば、これは後でも話しますけど、60年代~70年代前半までっていうのは、「日常が非日常の中に浮かんでる」感じだったんですよ。なので、「日常を爆砕すれば非日常の濃々たる空間に戻れる」と感じられた。今は逆なんです。さっきの中島のパフォーマンスもそうだけど、「非日常が日常に登録されている」感じなんです。日常が許容する制度的な1コマとして非日常がある。
だからこそ、みなさんの感受性においても、日常がダーッと広がってて、その中に「登録された非日常」として中島のチンコがあったりするに違いない。内海さんを含めて、僕らのアート体験って、みんなが知っているのとは大分違う感じ。僕はその感じを知ってるから「〈社会〉と〈世界〉」と言っているんだよね。〈社会〉というのは日常だよ。簡単に言えばね。〈世界〉というのは日常の向こう側にある、日常がぽっかりと浮かんでいる、大きな海みたいなもの。〈社会〉を生きる僕たちに〈世界〉を告げ知らせるもの。それが僕のアートの原型的なイメージなの。
宮台
あの本屋はそれで潰れちゃったんですよね(笑)
宮台
ああ、いましたねえ。氷上信廣先生とならぶ両巨頭ですね。
宮台
そう、山内一郎校長代行ですよ。長髪の奴を見つけると、髪の毛引きずって校長室でバリカンで刈るんですよ(笑)。あと、停学処分や退学処分の出しまくり。みんなが殺してやろうと思っていました。
宮台
おっしゃる通りですね。窓という窓はすべて破れて、ロッカーというロッカーは全て壊れていましたからね。壁とかにも穴が空いていた。僕は隣の教室に通じる壁穴を作ろうと思って、授業中もバールでコツコツ掘っていました。(会場笑)
宮台
でももうすでにボロボロなんでね、今更っていう感じだよね(笑)
宮台
麻布の日常化っていうのも問題なんだよな。中島たちも聴いてくれてたと思うんだけど、この前、麻布で、生徒と親の両方を五百人ほど集めて、「説教演説」をしたんですよ。「お前ら普通にしてんじゃねえよ、コラッ!」という。
宮台
それは僕がちょうど女子高生・女子中学生フィールドワークをしている頃だね。僕がよくメディアに出てたでしょ。そうしたら空手部員のお母さんたちが「空手部OBとして、うちの子たちに説教してくれ、勉強してくれないんで、東大に行けるように、一日プラス一時間勉強するように言ってくれ」と。
それで、生徒たちを集めて言ったんです。「お前らさあ、プラス一時間勉強しろよ、いったい誰にカネ出してもらってると思ってんだよ」って。そしたらですね、「先輩、オレ見てくださいよ、イケメンでしょ、オレめっちゃモテるんです。こいつはツバメやってるし、あいつなんか毎日違う女のところ泊ってる。で、オレら頭いいんで、遊んでても早慶楽勝で、プラス一時間で間違いなく東大入れます。で、それがなにか。え? プラス一時間勉強して東大に入るメリット? そんなのあるの? オレら社会的経験豊富なんで、プラス一時間勉強して東大入るヤツらに、全ての面で負けませんけど、どこか負けそうに見えますか?」 意外な反撃でしたね。「いや、その…負けそうには見えないな、確かに」。親に対しては「う、うまくいきませんでした」。(会場笑)
宮台
訪米反対闘争ですよね。
宮台
東宝資本で2000万円以内でアバンギャルドな映画を撮らせるというものですね。
アバンギャルド/アンダーグラウンド/ハプニング
宮台
たとえば音楽。街の風景とか、時々に起きるイベント。そういった内海さんもおっしゃったようなバックグラウンドの中に、音楽もあったんですよ。音楽は風景の中にあった。
もっと踏み込んで言うと、僕は九三にブルセラ&援交女子高生を新聞紙上で紹介したとき、「ウソ社会」という言葉を使ったけど、「ウソ社会」というような感受性は、まさに大学紛争や中学・高校紛争の、中核だよね。たしかにそこに日常がある。それはでも、全部ウソ。インチキ。インチキである証拠に、必死で規制したり、排除したりして、はじめて成り立つ日常でしょ?
そこには、内発性に支えられた秩序があるかわりに、機動隊のゲバルトが支える秩序があったり、インチキ校長山内一郎が支える秩序があるだけ。そんなものは爆砕すれば、日常がウソ日常であること、秩序がウソ秩序であることは、すぐばれる。そういうイメージの中に、社会というものを持っていたわけ。社会とは、虚構であり、幻であり、しょぼいものであり、要はウソ社会に過ぎないので、「ウソ社会を爆砕するもの」としてアートがあったわけです。
「ウソ社会を爆砕するもの」としてアートという意味で、そこには今日でいうポップだって含まれていたよ。アートの中に、ロックもあったし、ジャズもあったし、ノイズミュージックも、全部あった。それで言えば、歌謡曲だって、例えば「網走番外地」だって、フリージャズと同じ意味でアートだった。内容的に聴けば今の歌謡曲と変わらないと感じるだろうけれども、コンテクスト的に聴けば「網走番外地」も風景の中にあったんです。
だから、『現代性犯罪絶叫篇 理由無き暴行』(若松孝二)にも、風景として歌謡曲の「網走番外地」が出てくるわけ。同じように、風景として、フリージャズも出てくるし、エロもセックスも出てくる。そう。場合によってはセックスだって「ウソ社会を爆砕するもの」としてのアートだったんです。
風景というのは、実は、みなさんが今みているような、こういう風景じゃないんですよ。至るところに破れ目があって、非日常が見えている。だから、非日常の大きな荒野のなかに、所々日常のふりをした書き割りがあるみたいな。
宮台
だから、君みたいなパフォーマンスの意味が、今と全く違うってことだよ。君が何をやったって、日常の堅い枠組が壊れないじゃないどころか、カスリもしないわけで、だからみんながイチモツを安心して観てるわけ。昔だったらイチモツは危険な徴候だったんだよ。秩序を爆砕するかもしれないような(笑)。
今、ソレを敢えてやろうとすれば、事故を起こさなきゃ駄目なんだよ。だから実際、アバンギャルド演劇なんかが成功するのは、たまたま事故が起こったときだったりする。たとえば紅(あか)テント。僕が淀橋浄水場跡地で『犬狼都市』を見たとき、火炎放射器をつんだ火を噴く電車が脱線しちゃって、大騒ぎ(笑)。それが本当のアクシデントだよ。本当のハプニングだよ。
宮沢章夫さんの芝居なんだけれど、青山円形劇場で、劇の中で割れるはずの花瓶が、開演前にすごい百貫デブみたいな女が劇の前に舞台を横切ったら、ぶつかってバーン!って割れたんです(笑)。僕はてっきりこれはヤラセだと思ったんですよ。皆つまらなそうにしてるから、開演前にいっちょう事故を起こしてやろうじゃないかという。ご丁寧に、開演が小一時間も遅れた。
これから宮沢彰夫さんの「遊園地再生事業団」を観ようとしている。ここでひとつアクシデントを起こしてやろうかと。劇の中で最も重要なシンボルを演じる花瓶を壊してしまうと。すると、もう初日じゃないから「どうするんだろう」と思うじゃない。「これ、わざとですよね」って楽屋に行ったら、「いや違うんです、これマジで事故だったんです」。いや、そうか。もしかすると宮沢さんは、すべて謀った上で「事故だったんです」と強弁したのかも(笑)。
結局、事故がなければ、もはや日常って破れないんだよ。だから9.11のときに、あれを超えるアートがあるのかどうかっていうことが問題になっちゃったわけ。そんなことは以前だったら問題にならない。それを越えるアートなんてあるに決まっていたからね。
でも今はないんだよ。「アクシデントを越えるアートがない」という感受性が、単なる主張じゃなくて、多くの人達にとっての共通認識になってる。事故や犯罪以外のものでは「ウソ社会の爆砕」はない。だったら、お前(中島)もさあ、もっと爆竹を撒けよ。ちょっと火傷しちゃうぐらいじゃなく、体に火ついちゃえばいいんだよ。
宮台
つまり、たぶん今若い人達が持っている気分と、僕らが当時持っていた気分って、大分違うと思うんです。僕らは――本当何様って感じだけれど――「こんな社会なんて、吹けば飛ぶようなもんだぜ、俺たちは社会の外側を知ってるんだぜ」という感じだった。「社会の内側しか知らねえ奴なんて、ヘタレでしょぼいやつだし、そんなヤツは軽蔑するしかないぜ」っていう感じがあったと思うんですよ。
今、たぶんそういった感じではなくて、社会はどこまでも広がっていて、何をしても壊れない日常としてある。アートをやろうが、バンドやろうが、所詮は日常の中に取り込まれていくしかないみたいな(笑)。いわば「ソラニン」(浅野いにお)現象だよね。浅野いにおの原作漫画はこのあたりを意識的に描いているんだけどさ。でも映画「ソラニン」にはもはやその自覚がない。
その辺の感じを見ていて、僕らなんかは「つらい」というか、「今、自分が中高生や大学生だったら、とてもやってけないな」という感じを抱きます。
日常に登録されている非日常
宮台
そんなことはなくてさ。いくつか例があるけど、東南アジアの映画とか、中南米の映画を観ると、やっぱり今の日本映画とは違うじゃない? 日本映画というのは、基本的にはさっき言ったように「出口がない」訳です。最終的には「最後は日常が勝つ」で終了。
でも、そういう途上国や、エマージェントエコノミーズ(新興国)といわれる地域の映画は、基本的に「昔の日本映画」と同じ枠組みです。「所詮、日常なんてこの程度のもんだ、こんなもん、いつか爆破されまうんだ、だったら、オレが爆破しちまうんだ」みたいな主人公が描かれる。
これは、どちらの感じ方が真実で、どちらが不真実か、ということじゃなくて、「僕らがどういう感受性を働かせられるのかが、まさに社会的文脈に拘束されている」ということを指し示しているわけ。その意味では、大きく見れば、六〇年や七〇年代のアバンギャルド・アートと呼ばれるものでさえ、その程度の凡庸なものだという面が、一方には必ずあるわけですよ。
それとはまた別の問題で、とくにアメリカでは「ポロック以降」というふうに言うけれども、アートの不可能性についての気づきがあるでしょ? 僕らが信じてきた近代のアート概念は、初期ロマン派的な、つまり19世紀的なものなのね。現実から離陸して、カオスを経験して、再び現実に戻る。そのとき、もはや以前の着地面には着陸できないようにさせるのが、アート。だから、もとの着地面に着陸させるのを目的とするリラクデーションやエンタテイメントとは、そこが違うというね。
でも、ポロックが気付くわけ。「そろそろ飽きてきたから、カオスを経験した後、もとの着地面にはもう着陸したくないな」みたいな欲求を持ったヤツがアートを経験して満足する、という現実があるだけじゃないかと。つまり、アートは部屋の模様替えや引っ越しと同程度のものでしかなく、リラクゼーションやエンタテイメントと本質的には違わない現実の補完物じゃないかと。
宮台
そう。やっぱりそういうふうに、アートも〈システム〉の中に登録されていく。〈システム〉とは、期待可能性の地平の内側で回るメカニズムのことだけれど、ポロックは〈システム〉に登録されてしまったものを「記号」と呼んだ。っていうか、当時はみんながそれを「記号」って呼んでたわけ。「作品が、表現ではなく、記号になっている。それは、モダンアートだけでなく、アバンギャルドなコンテンポラリーアートも同じだ」とね。
「記号」というのは、「取り替え可能性」ということでもあるし、〈システム〉に埋め込まれている」ということでもあるわけ。そのことが1940年代には一部の人たちによって広く意識されていたんです。そういう意味で、アートの不可能性というのは、「今」の話じゃない。考えてみれば、「近代社会が自らを完成させていく」というのは、そのことを意味してるに決まってる。
確認すると、昔は、日常と非日常の交代があった。でも、近代社会になれば、時間的交代は非効率だから、空間的分割を利用するようになる。つまり、日常的空間の中あるいは横に、非日常的な場所――芝居街や色街など眩暈が許容される空間――を設ける。分割された非日常的空間に入り込めば「ウソ社会が爆砕された」ような気分を味わえる。苦しそうなヤツがいたら「お前、色街でぱーって遊んでこいよ」みたいな話になる。
もう徳川の時代からこれを意識的に設計してるわけ。天保の改革のとき、んろんなに芝居街と色街が点在してるのはマズイということで、色街ならば吉原に集約して、人形劇ならば人形町に集約する。そういうふうに空間を設計して、そこに非日常的な空間に存在すべきアイテムが、日常化的に登録されるわけ。つまり、社会が複雑になれば、「アートが所詮は登録されたものになる」のは回避できないし、回避しようとすることは実は馬鹿げてると僕は思う。
宮台
うん、回避できない。だったら「相手にどういう体験を与えるか」ということだけをコントロールすればいいんじゃないのかな。どのみち「ウソ社会を爆砕する」なんて、観念の中でしかできないわけ。だから、実際に社会を爆砕できるかどうかじゃなく、観念の自明性をどう崩すかをめぐって、非自明性を自明性として登録しようとする〈システム〉と、永久革命的に闘争するしかないの。
そのことについて、ひとつだけ最後に言うと、これからの日本社会は間違いなく悪くなるじゃん。先進社会一般がどんどん悪くなると思う。すると、今みたいに「日常の中に非日常が登録されている」という感じが崩れて、再び「日常というのは所詮この程度のもの」「日常の掘っ立て小屋の外には非日常のカオスが渦巻いているぜ」みたいな感じに、やっぱりどの道なっていくよ。
宮台
だから、中島の時代が来るんだよ、また。
宮台
まぁ、ということだということにしておこう。結局、社会が悪くなれば、アートには出番がやってくる。逆に、社会が良くて、〈システム〉が順風満帆で廻っているときには、アートの出番は、リラクゼーションの出番と、余り違わない。
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「非日常の登録」の歴史
宮台
両義的なことを言いますね。さきほどから二人でお話してきたように、「非日常を日常に登録する」動きは、江戸時代でいえば天保の改革から起こっている。もう18世紀からですよね。おそらくそういう現象が、昔からいろんな社会であるんですよ。
古く遡ると、継体帝、つまり飛鳥から奈良時代に移る頃ですが、至る所に存在するシャーマンを、陰陽寮という役所に登録して、「聖=日知り」要するに時を司る役人にしていく動きなんかもそうなんですよね。ミカド以外のシャーマンを無害なものとして〈システム〉に登録する必要があったんです。
この陰陽寮が解体していくプロセスが被差別民の発祥ですね。そういう意味でいえば、ガバナンスの中心にいる人たちは、「非日常をなくそう」とは考えない。非日常は一定の機能を果たすからです。だから必ず「非日常を日常に無害な形で登録しよう」と考えるわけです。
こうしておけば、ガバナンスという観点から、非日常をうまく利用して、日常に向けて動員をかけることさえできる。わかりやす例はレニ・リーフェンシュタールですね。ロシアン・アバンギャルドだって、その影響を強く受けた戦前や戦時下の大日本帝国のアバンギャルドだって、そう利用された。
「非日常を馴致した上での日常への登録」と「馴致された非日常を用いた日常への動員」は都度都度あります。良い悪いの問題じゃなく、社会はそういうものなので仕方ない。僕はそうした仕方ない〈システム〉の運動を先回りして人の意識に何を与えるのかを考えるのがアーティストの役割です。
〈システム〉の運動を先回りして人に何を〈体験〉させるか。その意味では堤清二の渋谷公園通りだってそう。公園通りって皆さんが思っているものとは当初違ったんです。公園通り開発は73年から始まる。僕は71年から麻布に通うけど、公園通りがまだ職安通りと呼ばれていて、当時トルコ風呂街だったの。
そこが公園通りとして再開発される。誰が考えても「ウソ社会」プロジェクトじゃん。でもそれを「ウソ社会」という風に批判するヤツはいなかった。なぜか。あれは「資本主義に外部を持ち込む動き」が敗北した後の、「資本主義に棹さしながら資本主義を異化しようとする闘い」だったからです。
どのみち〈システム〉は全てを包含していく。それは人に帰属できないシステムの動きだ。気がついたらショボイ日常しかない。「資本主義の日常はこうだ」なんて突きつけてもみんな知ってるから仕方ない。だから全てを演技空間にしてしまえと。公園通りは資本主義を使って「ここを読み替える」戦いだった。
60年代は、現実の中に「ここではないどこか」を探す「政治の季節」だ。それは北朝鮮だったりキューバだったりした。敗色濃厚になって70年代になると、虚構の中に「ここではないどこか」を探す「アングラの季節」になる。寺山修司や唐十郎が大活躍するのは60年代じゃなく、実は70年代だったんだ。
でも70年代半ばになると「ここではないどこか」なんて探してるヤツはイタイという感じになる。それが公園通りだった。「ここではないどこかを探そう」じゃなく「ここを読み替えよう」と。同時代にはカタログ片手に街を歩けば一挙に異空間に変貌するっていう『宝島』的なカタログ雑誌文化もあった。
同時代、西麻布の「シリン」というカフェは、細野春臣とか坂本龍一が集って、それがYMOのもとになった。そこから『ビックリハウス』的なものも生まれた。全部そう。ようするに、「ここではないどこか」を探すのはイタいからもうやめよう。そうじゃなくて、ここを読み替えようぜ、という動きなんだ。
「ここではないどこか」を解放区とするんじゃない。「ここを読み替える」ことで解放区とする。そこからカタログ雑誌文化の最終形態『ぴあ』が出て来た。『ビックリハウス』もね。どれも「ここではないどこかの解放区」じゃなく「ここを読み替えた解放区」の試みだ。出発点が公園通りだったんだよ。
ところが、77年に大きな転機があった。「ポパイ」が「ここを読み替える」カタログ雑誌から、「君にお似合いの女のコはコレだ」「こういうコとデートするならこの店だ」のマニュアル雑誌になる。それにつれて、公園通りも単なる「ナンパ空間」「オシャレ空間」になるわけです。
「どうせ現実はショボイから敢えてシャレを演じる」という感覚が消えた。昔を知る連中から見ると、パロディ文化やカタログ文化と密接な関係があった堤清二の「ここではないどこかじゃねえんだ、ここを読み替えるんだよ」の革命的宣言が、読み替えられる以前を知らない世代によって日常化されたんだ。
この動きを僕は20年近く前に書いた『サブカルチャー神話解体』っていう本で「シャレからオシャレへ」と名付けた。公園通りは結局カップルカルチャー圧力の権化みたいになって、そこに行けない奴がオルタナティブカルチャーとしてのオタク文化を作った。公園通りはオタク文化にもきっかけを与えたの。
僕は71年に麻布中学に入って渋谷で遊ぶようになり、そのまま東大に入り、東大駒場の助手になって、今も駒場に住んでるから、40年も渋谷を徘徊してきたわけ。だから70年代にトルコ風呂街だった公園通りを舞台にしたせめぎ合いを記憶してる。〈システム〉がすべてを包摂する動きも目の当たりにしたわけ。
この体験は両義的だよ。全てを登録しようとする〈システム〉の動きは物凄く、単純に抗えるはずがない。そういう諦めにも似た感覚とは別に、〈システム〉の外に出られる訳じゃないが、「ここを読み替える」運動によって、内であると同時に外でもあるような境界的な位置に立てるんじゃないかと今も思う。
僕は70年代の公園通りで中高時代を送ったから「ここを読み替える」運動の影響をすごく受けた。だからスワッピングとかにもハマった。冒頭に中島の野郎が紹介してくれたがな(笑)。そのときも思ったけど、結局、時々確認しなきゃダメなんだ。全てが演技空間だってことを。ベタになったらダメなんだ。
「所詮こんなものは、本当にありそうもない秩序が、如何にもありそうな顔をしているだけなんだ」というのを思い出すためには、外に出なきゃだめなんだ。でもそれは原初的社会におけるハレとケの交代と同じで、それ自体は社会システムのサーキュレーションの内側にある。それも勘違いしやすい点だ。
日常の体験を勘違いしないために、境界線の上に立つ。境界線に立つ体験をベタに非日常だと勘違いしないように、境界線の体験を観察する。つまり、境界線の体験の境界線の上に立つ。こうした運動はむろん社会システムが用意してくれた座席に過ぎないが、毎日を少しはエキサイティングな気分で送れる。
いきなり子育て論にシフトすれば、だから子供は、喧嘩とか殴り合いとか時々やらなきゃいけない。でもそれを繰り返すことで、非日常にみえる喧嘩も殴り合いも一つのルーチン的日常に過ぎないことを知ることが目的だ。ところが喧嘩や殴り合いがベタに非日常だと思う馬鹿が出てきた。キミたちの親だ。
それで、喧嘩は行けません、殴り合いは行けません、性的放埒はいけませんみたいになっちゃった。すべての公共施設には柵や塀が出来て、すべての屋上や非常階段はロックされ、すべての川や運河は暗渠化され、すべての道路にはガードレールがつき、すべての物陰には監視カメラがついた。くそったれ!
宮台
もちろんありました。
宮台
日本の場合、「キャラメルママ」なんですよね(笑)
宮台
おっ、「もの派」、出ましたね。
宮台
貸本屋は1955年くらいから、僕が小学生だった1960年代を通じて花咲いた文化ですね。ちなみに1959年に『少年マガジン』と『少年サンデー』がでて、だんだんと貸本文化をリプレイスしていくわけです。
宮台
当時「ガロ」という漫画雑誌によく美学校の広告が出てましたよね。青林堂の「ガロ」です。まさかここまで残るとは誰も思ってなかった(笑)
宮台
いや、あまり美術館には行っていないんです。ただ70年代っていうことで言うと、やはり『ニューセルフ』や『ウィークエンドスーパー』で知ったアラーキーと、アラーキーを通じて知った中平卓馬の『植物図鑑』の写真が衝撃でした。中平ってすごい文章が上手な奴で、蓮實重彦を論破するほどの人でした。
中平はこういうことを言った。反権力モードというのも、どのみち一つの権力モードとして機能する、と。「もの派」なんかも全部含めてそうですよ。アンチモードも一瞬後にはモードになる。だからこそ「もの派」という風に呼ばれて登録されちゃうわけでしょ。
中平や荒木や森山の『プロヴォーグ』ないし「ブレボケ」写真について言えば、それが話題になるや「中平卓馬風の写真」が投稿で殺到するわけです。〈システム〉や日常を爆砕するための作品が一瞬後に日常に登録されて「これが新しいアートなんだね」となるわけ(笑)。
彼は、こうした反権力の不可能性や反システムの不可能性を考えに考え抜いた末、権力やモードに敵対しようという意識が必然的に権力やモードを招き寄せることに気付いて、まるで図ったかのように壊れちゃうわけです。精神的に破綻してしまったあと、撮り始めた写真が『植物図鑑』でしたよね。
それまでの増感原像の粒子が粗い白黒写真じゃなく、コンパクトカメラにカラーフィルム入れて、日常の風景を撮り始める。何の変哲もない風景なのにこれが怖ろしい。『植物図鑑』の写真を見ると、ゴッホの絵を最初に見たときの体験が甦っちゃう。日常が「ある」ということ自体が迫ってきちゃうんです。
ここには、視覚体験を組み替える主体がいない。主体としての中平卓馬は壊れちゃったんで、主体は端的に不在なんです。だからそこには〈世界〉があるんです。そのことに息を呑むんだよね。あぁオレは見えているものが全然見えていなかったというような感じ。無害なものがこんなに恐ろしいのかという感じ。
権力に敵対しようという意識って言ったけど、体験を組み替えようという主体こそが権力を呼び寄せる。でも主体がない表現なんて語義矛。普通は不可能です。でも中平は精神が壊れたので、それができる。時期が時期だったので、アバンギャルド的なものから自分が離れていくきっかけになりましたよね。
「呪物」と「闇の力」
宮台
そうです。人形劇というのは――人形劇をみんながどれくらい見ているか分からないから言い方が難しいんだけど――幾つか面白い点がある。僕が昔から見てきた結城座は、旗揚げが寛永12年だから、370年以上続いてきたんだけど、基本的には浄瑠璃と同じ演目、つまり古典劇をやってきているんですね。
現在の当主は12代目結城孫三郎なんだけど、11代目結城孫三郎(今は田中純)の代から、古典劇とアバンギャルド劇を二足の草鞋としてきた。アバンギャルド劇の扱いを巡る対立も潜在的にあって、今は11代目孫三郎こと田中純と、3代目結城一糸が、アセファルという人形劇一座を作って分裂したんだ。
アバンギャルド劇の最大傑作は、1999年12月22日から25日まで演じられた芥正彦演出『アンチェイン・マイ・ハート』。とりわけ楽日の公演は凄くて、僕は完全にトリップしたし、僕のゼミの女子学生の一人はトランス状態になって、公演が終わってから夜通し街を徘徊しちゃったって言うんだ。
このとき結城一糸が語ってるんだけど、ルーチンに見える古典劇を支える「闇の力」を呼び覚ますために、定期的にアバンギャルド劇をやる必要がある。「闇の力」って分かるかな。僕の著作で、〈社会〉からやってくる〈横の力〉に対して、〈世界〉からやってくる〈縦の力〉と呼ぶものと、同じだ。
人形って形代だよね。形代って人のようでもあり物のようでもあり、あるいはそのどちらでもない。エドモンド・リーチのいう「境界上の存在」なんだ。だから〈社会〉の裂け目を構成して、そこから〈世界〉が閏入する。ちなみに〈社会〉はコミュニケーション可能なものの全体で、〈世界〉はありとあらゆる全体だ。
人形劇は実に不思議なんだ。形代だから見立てが勝負なんだが、人形の造形が現実の人に似すぎていると見立てができなくなる。不思議なことだけど、人形の形代としての性質を最大限利用するには、人形は人に似すぎてはダメ。むしろ「へのへのもへじの案山子」のほうがよかったりするんだね。
人形劇が引き開く時空は、見立てを可能にする特別なものだから、人形劇を見に行くプロセスがとても大切になる。日常の時空をそのまま芝居小屋に持ち込んでしまえば、まずもって見立てが難しくなって、人形劇が引き開く時空にアクセスできなくなってしまうんだ。
昔は児童演劇運動があって、京都の小学校にいた頃は毎年学校全体で芝居を見に行ったの。山を越えて遠足して人形劇を見に出かけたんだ。そうやって体を使って遠くまで移動するプロセスで、わくわくする期待もあって、僕らは日常の時空から引き剥がされて、人形劇を見るのにふさわしいモードになる。
いわば、ビンの中身を味わうために、ビンの蓋をとるプロセスにあたるね。さっきのミュージシャン「P.A.N.A project」の方々がビンの蓋をとってくれたから、中島のパフォーマンスにすっと入れたってことが、大きい。僕は人形劇の一座の方々によく言うんだけど、ここを大切にすることが実はポイントなの。
例えばね、さっきの『アンチェイン・マイ・ハート』であれば、あの灰野敬二が開演の30分以上前から爆音ノイズをかきたてて、それが三軒茶屋シアタートラムの外にまで鳴り響いていたんだ。列を作って会場に入るプロセスで、観客はいわば「できあがって」しまうわけだ。人形劇ではこれが大切なわけ。
この『アンチェイン・マイ・ハート』の楽日の公演は「わけがわからないけど凄い」という体験の中でも最たるものだった。日常の中に登録された非日常というんじゃない。今でも思い出すと、「あれは何だったんだろう」という感じになると同時に、この現実がふっと仮構のように感じられてしまうんだ。
つまりね、さっき言った「非日常の中に、日常が一種の奇蹟として浮かんでいる」という感覚が、1999年の世紀末にもなって再現されたんだよ。これが芥正彦によるアバンギャルド・アートであると同時に、結城座による伝統的な糸操人形劇だったってことが、実はすごく大切だと思う。
ってのは、浄瑠璃的な古典劇でさえ、そもそもめざす所は同じなんだ。遡れば、原初的社会における祝祭の時空で、男女や上下を含めてステイタスを逆転したり役割を入れ替えたりした上で、共同身体的にトランスを体験するのも、「非日常の中に浮かぶ、日常という奇蹟」を感覚するためのものだったんだ。
ところが、人形劇は誰にでも開かれているものじゃない。コンテンポラリーアートがウンチクによって閉ざされているのとはまた別に、人形劇の秘蹟は、人形劇リテラシーないし人形リテラシーがある者にしか体験できないんだ。このリテラシーは経験で養われるもので、経験のない人には体験できないんだ。
例えば大塚英志や僕は、球体関節人形を初めとして人形をコレクションしている。なんで人形をコレクションするか。理由は簡単だよ。人形には〈縦の力〉が降りるからなんだ。人形をじっと見ているとその周りに〈世界〉がブワーッと広がっていって…
宮台
本当は中島が引き寄せようとしているものだよ。人形をじっと見ていると、局在する人形からダーッと〈世界〉が広がって、気がつくと、自分は〈社会〉じゃなく〈世界〉の中にいるんだ。単なるリアリティの書き換えじゃなく、〈社会〉から〈世界〉へという離陸体験だ。それが人形や人形劇がそもそも持っている力なの。
古くから人はそれを知っているわけです。形代の恐ろしさというヤツです。江戸川乱歩や横溝正史にも人形がしばしば小道具として登場するのも、それがあるからだよ。だから人形は、祭りのとき以外は、人を眩暈に陥れるから、出してきちゃまずいんだ。同じ理由で、傀儡師(人形遣い)は危険な存在なの。
でも人形リテラシーのない人にとって、人形は物体に過ぎない。例えば、古典劇の公演日が4日あって、4回続けてみたときに成功したのは1回だけであとはクズだということがあります。でも、それが分かる人って本当にいない。数百人で数人しかいない。今はそういうものになっちゃった。昔は違った…
宮台
知識じゃない、全然知識ではない。
宮台
正確にいえば、昔は割とみんなにリテラシーがあったんだ。だから、みんながほめた芝居を、僕が「失礼を顧みずに申しますが、今日はダメだったと思います」と言うと、結城座の人たちが「そのことを分かってくださる方が一人でもいるという事実に、私たちはホッとします」と返してきたりするんだよ。
12代目結城孫三郎がこうも言う。新版歌祭文野崎村乃段を10代目以降長らく演目に載せなかったのは「虚数の間」を再現できる自信がなかったからだと。ビデオで撮ってタイムコードを打って、物理的なタイミングを忠実に再現するだけじゃダメなんだと。「実数の間」に還元できない「虚数の間」があると。
古典劇は物理的には単なる反復で、反復はルーティーンなんだけれど、4回反復してたった1回だけ「実数の間」に「虚数の間」が重なるといったような微妙な反復なんだ。こういうのって、「主体が表現する」という図式の内側でだけあがくコンテンポラリーアートの困難に対する、一つの解答だと思う。
反復から逃れるとか、登録から逃れるとか、どうせできやしないんです。全ては権力の内側なんです。だから登録されたものを反復する。それでいいんですよ。ただ、登録されたものを反復するとき、実に微妙な形で「〈社会〉が〈世界〉に浮かぶこと」「日常が非日常の海に浮かぶこと」を示せるんです。
芸術の原点とモダンアートの困難
宮台
え、そうなの?(笑)
宮台
なるほど。コンテンポラリーアートが難しいのは、モダンアートを含めた近代の概念に「作家性」というものがあって、「主体が表現する」という枠組の中でそれを見るという癖が僕らにはありますよね。それが近代という〈社会〉の中の意味論にどっぷり浸かっているということです。
日本の古典芝居だと、能にも狂言にも歌舞伎にも浄瑠璃にも糸操人形劇にも「何代目の襲名」というのもあります。襲名というのは表現者としての免許皆伝じゃない。むしろ、個性が完全に消えて滔々たる繋がりの中に身を置くことが出来れば、成功ということなんです。作家性の消去こそが成功なんですよ。
ところが、ロジェ・カイヨワも、シュルレアリストたちの表現を東洋の文物と比べて述べているように、近代を批評するとか言ってるシュルレアリストでさえ、結局は作家性という「凡庸さ」を手放さないわけです。そこを手放さないで「近代を疑う」とか「モダンアートを疑う」って笑止千万でしょう。
ただ、誤解しちゃいけないのは、これら表現者の責任に専ら帰属されるような問題じゃない。例えば僕らが結城座の人形劇を見に行くとき、作家性は観に行かない。これは「享受の制度」ないし「享受のシステム」の問題です。つまり、アートをめぐる制度の内側では、どのみち近代は超えられないんです。
そういう意味で言えば、アートという括りの中で中島が何やってもさ、人はどうしても「中島の表現」を見に来ちゃうわけ…まぁいねぇかそんな奴(会場笑)。そういう風に見られるとさ、中島が何やったって、「中島さんは何を表現しようとされたんですか?」みたいな変なババアが来ちゃうわけよ(笑)。
そのこと自体は中島の責任じゃなかったりする。そこをどうできるかはすごく難しい。今言ったような問題を問題として抱えようとするのは作家の責任だと思うけど、作家単独でどんなに努力してもアートの享受をめぐる近代的な言語ゲームは変えられない。だからそこに大きな難しさがありますよね。
宮台
でも「近代の超克」も、すでに近代に登録された話なのよ。まぁ、これは我が師匠である廣松涉先生による「近代の超克」批判の、骨子中の骨子だけれど。
宮台
そう。「近代の超克」は可能かという問題設定の仕方自体が、近代的なんだ。ただ思想の流れからすると「近代の超克は出来ない」という話になってきた。ポストモダンもモダンに登録されたモードに過ぎないことがハッキリした。モダンにいろんなモードがあるに過ぎないという話になってきた。
つまり「中平卓馬問題」がますますせり出して、みんなの知るところになった。ポストモダンはモダンのモードの一つに過ぎないということに異議を唱える奴の方が逆に珍しい。そういう時代だから「作家性」とか「表現としてのオリジナリティ」とか足掻かないほうがいい。まして日常の爆砕とか痛々しい。
僕たちは、2001年の9.11のはるか以前、1995年のオウム真理教事件のときに、このことについて十分に思い知ったはずなんだ。〈世界〉のことを考える自意識のイタサを、十分に思い知った。だからセカイ系という分類さえある。僕自身はオウム事件以降、ますます古典劇にのめり込むようになりました。
宮台
オウムと9.11を経由した以上、時代は追い風です。いろいろ足掻くことのムダがはっきりしたからです。だったら、アーティストがやるべきことは――という言い方はもう登録されているけれど――この世の中は全部「ウソ社会」であることに目覚めろ、ということに尽きる。それが原初的社会からの伝統です。
結局は「受苦的疎外」ということです。つまり「真実の社会」に目覚めろということじゃない。そういう「本質疎外論」はクズです。あまたある別様であり得る可能性から疎外されていること。本来どうとでもあり得るのにソレでしかあり得ないこと。「非日常の海に浮かぶ、日常の奇蹟」とはそのことです。
強いて言えば、真実とは、「どうとでもあり得た」という事実です。その意味で、ベールを取り去る。そのベールの中には、「真実とはしかじかである」という「本質疎外論」も含まれます。ベールを取り去って、「受苦的疎外論」の地平に立つ。そのことで非日常ではなく、日常の中にこそ奇蹟を見出す。
僕が言うのは、ベールを剥ごうとする中島それ自身がまさにベールであり得る可能性です。キミが「真実」を提起した途端、「中島みたいな変な奴がいる変な社会になったよね」という話になりがちなんだ。そんな「真実」は提示しちゃダメだ。「真実」じゃなく「どうとでもあり得た」ことが大切なんだよ。
〈社会〉の裂け目から、その向こう側にのぞく〈世界〉に接触するっていうのは、そういうことなんです。その意味で、どんな社会も「ウソ社会」なんです。僕が「追い風だ」というのは、みんなそのことに気がつき始めたらしいことです。それが、オウムと9.11以降の「追い風」の意味です。
そんな「追い風」が吹いている以上、中島のイチモツ・パフォーマンスを見て、人々が〈社会〉の向こう側にある〈世界〉に接触出来る時代が、また遠からず来ると僕は思うんです。結局そこがポイントなんだ。だから別に作家性なんてどうでも良い。キミがそうした機能が果たせればいいだけだから。
所詮は全部「ウソ社会」じゃねえか、というとき、「ウソ社会」的なものの筆頭に「中島という作家性」があがらなければ、ダメなんだよ。でも、すでにそうなっているよな(笑)。「中島という作家性」なんて誰も信じていない。つまり、キミにいちばん可能性があるってことなんだよ(笑)。
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