中島岳志『保守のヒント』 (単行本)
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アマゾンの口上:混迷の日本をどう捉えればいいのか。保守と右翼の違い、マニフェスト選挙の問題点など、気鋭の学者が近代日本史をふまえつつ論じる。「右的なもの」の本質に迫る宮台真司氏とのロング対談を収録。
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例によって宮台発言を抜粋します。
以前この一部をアップロードしたことがありますが、その3倍ほどの分量をここにアップします。
中島岳志さんの発言は削除してありますが、彼とのスリリングなやりとりを知りたい方は、ぜひとも
保守のヒント (単行本)をご購入ください。
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「右の論理」 (宮台真司発言抜粋)
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『サイファ覚醒せよ!』の衝撃
宮台 ぼくは保守というより右翼です。平時は保守だけど、非常時に右翼だという言い方でもいいです。右翼と保守とは一部重なるけど一部は異なる概念です。保守と右翼の違いにも関わるので、後で補足します。それはともかく、ぼくにとって右翼への最初の入口は廣松渉先生です。
廣松先生は東大のブント委員長だった経歴もあり、左翼に分類されます。でも、ぼくは廣松の「疎外論から物象化論へ」というスローガンを当初から真に受けませんでした。「疎外論から物象化論へ」という場合の疎外論は本質疎外論です。「本来あるべき姿から遠ざかっている」ことで、ユダヤ・キリスト教的「失楽園譚」にまで遡れる思考伝統です。
ところが疎外概念には別の使い方がある。「今ある現実とは別のあり方が可能なはずなのに、こうでしかありえない」つまり「現実化されているものは、数多の可能性のうちのごく一部」という意味での「受苦的疎外」です。この言葉は僕が東京外大の専任講師をしていたときの上司にあたる山之内靖先生から借り出しています。
ぼくがこうした疎外概念を使うのは、学問系譜上はルーマンの影響が強い。ルーマンには「受苦的疎外」つまり「本質からの疎外ではなく、数多の他の可能性からの疎外」の発想があります。誰も着目しないルーマンのこの発想に着目するのは、ぼくが廣松先生の佇まいを通じて「、受苦的疎外」の概念を“知って”いたからです。
廣松先生は学者である前にアクティヴィストです。公安のブラックリストに学生時代から載っています。上京して間もなく革命家になるからというのでパイプカットもした(笑)。「疎外論から物象化論へ」というスローガンは、そんな彼自身の過剰な内発性を全く説明しない。そこが「廣松=右翼」問題のキモに当たります。
ぼくは、廣松先生のこういう姿に合理的な説明のつかない衝動を見出し、大学一年生のときに「感染」しました。当時東大で教えていらっしゃったんです。麻布高時代に、廣松先生の盟友松田政男氏の著作で廣松先生を知っていて、著作を読んでいませんでしたが強い興味を持っていました。
大学院に入ってからは小室直樹先生―こちらは極右―にも同じようなものを見出し、「これだな」と意識しはじめます。つまり「感染」を自覚するようになります。でも「これだな」の内容は、エマソンのいう「内なる光」、スピノザのいう「根源的衝動」にあたるもので、当時はうまく言葉にできませんでした。
言葉にできない何かであっても自覚できます。それはぼくにとって自分自身の衝動そのものなので、言葉にする必要がないものでした。廣松先生もそういう問題については著作や講義で一切言葉にしておられなかった。だから、ぼくは言葉にできないだけでなく、言葉にするべきではないものだと理解していたように思います。
自らを物象化論者と規定するような廣松先生的な禁欲にこそ「感染」したわけです。具体的にいうと、人間の全き自由を追求するという目的のために、人間の行為や体験はアルゴリズムによって、主観と無関係に──というか主観それ自体でさえ──決定されているという理論的立場を、僕はあえて採るようになります。
そこからぼくの社会システム理論家としての自己規定が始まる。「人間を疎外する奴がいる」みたいな初期マルクス的発想から、「資本主義に悪者はおらず、人々が資本主義のゲームに合理的に適応するだけで絶対的窮乏化が起こる」とする後期マルクスへのシフトを廣松先生が重視するのも、この禁欲と関係すると思いました。
のちに自覚するのですが、こうした理解は完全に右翼的なものです。
右の真髄は「意気」
宮台 これも重い話ですが、九六年から九七年にかけて日米安保見直し協議と日米安保共同声明があり、周辺事態法&有事法制スキームが出てきたんですが、右翼がこれに反対しないのが不可解でした。「何が起こっているのかわかってないのか」と思いました。
でも当時のぼくは援交フィールドワークの最中で、ぼくが発言せずとも誰かが声を上げるだろうと傍観していました。ところが九九年の第一四五回通常国会で国旗国歌保安や盗聴法案や周辺事態法案などが出てきて、左翼が「国家権力の肥大化だ」などと言い出したので仰天した。「馬鹿いえ、国家権力の弱体化だぞ」と。
昔の亜細亜主義者がみれば、政治家・官僚・民間を含め、「亡国の徒」がペンペン草も生えないぐらいにまで国をむしり取ろうとしている状況というのが正しい。「いざとなったら米国に守ってもらうしかないので、対米追従しかない」という口実を使って、自らの権益を最大化しようとする売国奴が跋扈していたわけです。
これは国家を簒奪するゲームだから、これを国家権力の肥大だの横暴だのと言う奴は、本当のトンマです。そうした鬱屈感情が九九年に爆発して、左翼の集会などに出かけて「トンチンカンなこと言ってるんじゃない」って話をするんですが、通じない(笑)。こりゃ相当まずいなと思った。
知らない人のために言うと、ぼくが28歳のときに書いた博論『権力の予期理論』は、国家権力構造の数理的記述という壮大な目標を掲げたものです。ぼくの研究の出発点は、国家研究や権力研究なんですね。その後、サブカルチャー研究から性愛フィールドワークに転じたので、ぼくが転向したように思う方が多いようですが。
99年に話を戻すと、当時の妻だった速水由紀子が、鬱屈したぼくの姿を見て、一〇年以上後に書く予定だった宗教の話を書いたほうがいいと勧めてきた。「社会に投企する理由は社会自体にはない」という僕の考えが、宗教的だと思ったんでしょう。早すぎると思いましたが、ぼく自身の体験をベースにして語ることにしました。
ただし学術的な話はしない。折口信夫や三島由紀夫や保田與重郎が強い関心を寄せた初期ギリシアの感受性や行為態度を、初期ギリシアという言葉や、ディオゲネスとかアリスティッポスという人名を出さずに説明できるかどうかチャレンジしようと考えました。
右翼の本質は主意主義です。主意主義の出発点初期ギリシア思想です。これはスコラ神学を通じて社会思想へと継承される。初期ギリシアの思想が理解できないと右翼の本質が分からない。実は「セム族的な唯一絶対神信仰に対抗するべく、絶対神を否定してパンテオンを持ち出す立場」に初期ギリシア思想の本質があります。
「絶対神を否定してパンテオンを持ち出す立場」は紀元前8世紀のホメロス叙事詩の時代以前の「暗黒の四百年」を語り継ぐためのもの。「絶対神への依存」にかえて「不条理への開かれ」と「凄い者への感染」を持ち出す。この立場は、当時の都市国家における重装歩兵の集団密集戦法(ファランクス)と整合するものです。
右翼への関心はぼくが二十歳代でアウェアネス・トレーニングに関心を寄せていた時代からです。一つのきっかけは鈴木邦男『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書、一九七五年)を刊行五年後に読んだこと。「情動の連鎖」の概念に関心しました。
よど号ハイジャック事件に触発されて三島由紀夫が決起し、三島の決起にうながされて反日武装戦線〈狼〉が決起し、反日武装戦線〈狼〉の決起にうながされて野村秋介が経団連襲撃に決起して、という風にピンポンするありさまを「情動の連鎖」と呼んだんです。「意気に感じること」とも表現しています。
鈴木邦男氏が書く右翼の本質と初期ギリシア的な構えの本質は同じです。ところが彼が書いたことに誰も注目しない。右翼も古代ギリシア研究者も注目しない。おかしい。だからぼくはのちに、この本の新装版の解説を書いた。これは『援交から天皇へ』(朝日文庫)という拙著に収録されています。
資本主義を肯定するか否かは左右対立に関係ない。戦前右翼は資本主義を否定しました。再配分を肯定するか否かも左右対立に関係ない。北一輝や石原莞爾は再配分主義者でした。天皇主義か否かも左右対立に関係ない。昭和ファシズムを駆動した日蓮主義者は天皇を道具として使おうとしました。
こういう思想的常識を弁えない者が、自称他称で右だ左だのというのは困ります。ミメーシス(感染的摸倣)ならびにミメーシスを可能ならしめる社会的文脈の保全に、強くコミットメントするような、自分自身がミメーシスによって駆動される存在こそ、真の右翼です。これを思想史に言及せずに書くと『サイファ』になります。
『サイファ』を書いた2000年の段階だと、思想史的に「真の右翼」について語ると、誤解されて危険だと思ってました。書き方がわかっていなかったんです。速水の問いに答える形でなら書けると思いました。「やむにやまれず」「意気に感じて」とかヤクザ映画好きが痺れるようなモチーフを、もっともらしく推奨できると。
廣松渉と全体性
宮台 田辺の「種の論理」よりも高山の「呼応の論理」のほうが廣松の議論に近いのは言うまでもない。実際「呼びかけ」と「応答」は彼の役割理論の基本概念でもあります。ただし詳しく読むと、廣松が一切な批判的言及を回避しているのは、最も若年でかつ唯一哲学者でなかった歴史学者の鈴木成高だったりする。
それはともかく、高山をはじめ西田幾多郎の周辺の思考ってカール・バルト神学の思考と近いんです。カール・バルトの神学は危機神学の名前で知られます。自分たちには神の言葉を知ることができない。神は絶対者で、自分たちは相対的な存在だからです。人間がこれは神のメッセージだと僭称することは許されないとします。
これは社会科学でいえば、全体性は存在するが、不可知、不可侵であるとする思考です。簡単に言うと「あることは確かだが、実態はわからない」という立場です。しかし分かろうとする営みには意味がある。人間同士が「お前は全体性を踏まえていない」「いや踏まえている」といった鍔迫合いはできる。
抽象的図式として言えば、我々は全体性にたえずさらされてある以上、全体性を認識する必要があるのに、残念ながら全体性は永久にわからない、といった構造を、「危機」とバルトは呼ぶわけです。京都学派は全体としてバルト神学によく似ています。それとは別に、廣松の若い頃からの議論もバルト神学に似ているんです。
冒頭の話に関係しますが、廣松は若い頃から失楽園譚的な本質疎外論を徹底拒絶します。これが全体だという措定を徹底拒絶するのと同じです。そのことを廣松は「世界が世界する」と称します。「世界が世界する」その一コマに人間たちの営為がある。でも僕たちには「世界がどう世界しているのか」は絶対に分からない。
ところが廣松は「歴史の推転に棹させ」と推奨します。歴史の推転つまり「世界がどう世界しているのか」は絶対に分からないのに。廣松がなぜ京都学派に関心をもつのか。全体性は確かにあるが我々には触知できず、全体性はローカルなトポスにおいてある角度から切り取られたものとしてしか見えてこないからです。
それが廣松の言い方では「エトヴァス・メール(etwas mehr:それ以上なにか)」となるわけです。いつも何かは「それ以上の何か」なのですが、「それ以上の何か」とは何かを認識しようにも、影踏みや逃げ水のように、常に既に逃げてしまう。それをローカルなトポスにおいて触知しようとする京都学派を評価するんです。
冒頭に申し上げた「受苦的疎外」とは、「本質からの疎外」ではなく「別様のあり方からの疎外」だと申し上げましたが、これは構造的には「全体からの疎外」だと言っても同じです。廣松渉とは「受苦的疎外」の人ですが、いつも「別様のあり方からの疎外」=「全体からの疎外」に悩み、焦燥していた人だということです。
宮台 高山岩男、高坂正顕、西谷啓治の三名が哲学者でヘーゲル流の「世界史の哲学」を志向したのに対し、鈴木成高がランケ流の「世界史学」を志向していたという差異も重大です。「世界史の哲学」とは違って「世界史学」は、語りえないもの(全体性)については沈黙して、歴史自体に語らせる方法をとります。
ちなみに鈴木成高は1938年にランケ『世界史概観』を翻訳していますが、ぼくの見るところ、廣松は鈴木成高を意識しつつ高山岩男を批判しようとしたというのが実態ではないかと思っています。なぜなら廣松は「言及できないことを言及すること」の問題を論じているからです。
「言及できないことを言及せずに前提とする」という廣松の態度こそが、ぼくに言わせると「右的」です。それに対して「これが全体ではないかと言及する態度」は「左的」です。前者は主意主義に相当し、後者が主知主義に相当することは、もはや言うまでもない。高山ではなく鈴木成高だというところ、廣松は「右的」です。
言い換えれば、「世界史の哲学」にとって全体性は(たとえ不可能であれ)言及するものですが、「世界史学」にとって全体性は刺し貫かれるものです。「刺し貫かれるもの」というとハナ・アレントの『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房、一九六九年)をめぐる、アレントとショーレムのコンフリクトを思い出します。
ショーレムが、なぜお前はユダヤの娘なのにユダヤを冒涜するような軽薄な文章を書くのかと問う。アレントは、なんと奇妙な難詰かと応答する。自分がユダヤの娘である以上、どう振る舞おうが何を書こうが、つま先から髪の先まですべてユダヤ性に刺し貫かれていることは自明なことではないか、と反論する。
言い換えればこうです。ユダヤ性は「ある」に決まっている。それが自分たちを「刺し貫いている」に決まっている。しかし、だからこそ、何がユダヤ性なのかを言及することなどできはしない、と。その意味で、ショーレムは、高山岩男、高坂正顕、西谷啓治に似て、アレントは、鈴木成高に似ます。
廣松もアレント的=ランケ的=鈴木成高的な感受性を強くもっていたので、ぼくは評価しています。南京大学の記念集会で「廣松はそういう意味で明らかに右だ」って言ったら、荒岱介が「ふざけるな宮台、廣松はプロレタリア・インターナショナリズムだ」と。そうしたら廣松の奥さんが「廣松の口癖は尊王攘夷でした」と言ってすべてが決着したという事件もありました(笑)。
宮台 保守思想の源流はフランス革命の同時代に革命を批判的に考察したエドマンド・バークです。カール・マンハイムに言わせると、社会契約説などに始まる近代主義の最終形態として保守思想があり、これは素朴な伝統主義とは隔絶した、近代合理主義に基づく「再帰的な伝統主義」だと言うのです。
またしてもキーワードは全体性なのですが、第一に、我々には社会的な全体性を知ることができない以上、社会的な全体を設計できないし、第二に、うまく回っている社会があるとして、なぜその社会がうまく回っているのかを我々はつまびらかにしきれないのから、それなりにうまく回る社会を軽々しくいじるな、となります。
つまり、保守主義とは、我々の認識能力や行為能力の限界という当然のことを踏まえた上で、法実務でいう「不作為という作為」を推奨する。「あえていじる」よりも「あえていじらない」という選択をしたほうが合理的だろうというのです。だから、それはナイーヴな伝統主義--昔からの作法を単に尊重する性向--とは違います。
つまり「理性に従って社会を設計することは、理性的に考えて限界がある」との認識です。これを「事実性の尊重」とも呼べます。うまく回る社会があるとすれば、うまく回っている事実の重さを尊重しろというわけです。ここには「我々は全体性に刺し貫かれているけれど、全体性は見えない」という認識があります。
美的と美学的
宮台 そうです。じゃあ右翼とは何なのか。さっき主意主義=右、主知主義=左、と整理していただきました。そこでいう右とは一義的に右翼のことです。保守主義は、マンハイムのいうように、合理性の限界を指摘するものの、再帰的伝統主義という近代合理主義の変種なので、左のようでも右のようでもあります。
保守が「全体性の尊重」だとすれば、右翼は「美学への帰依です」。不可能な全体性への帰依を持ち出す点では保守もロマン主義的たりえますが、右翼のロマン主義との決定的な違いは、世直しや維新への帰依を積極的に肯定するかどうかです。右翼も不可能性を志向するのですが、世直しや維新をめぐってそれを志向します。
だから、保守は平時ないし日常の思考で、右翼は戦時ないし非日常の思考だとも言えます。保守と右翼は、だから排他的概念ではない。例えば、うまく回ってきた社会が、外や内の敵によって危急存亡の淵に立っている場合、どうするか。保守は厳密にはインディファレントになりますが、右翼は世直しや維新や革命の旗を振る。
だから、平時には保守と呼んでいただいて結構だが、戦時には右翼に転じるということがあり得ます。だから保守は感染(ミメーシス)をさして重視しないが、右翼は感染を重視するという違いがあります。右翼が感染を重視するがゆえに「美学への帰依」が見られるわけです。ただし「美学」は「美」とは異なります。
美学の尊重は一八〇〇年頃の初期ロマン派のともので、美の尊重はそれから一〇〇年以上たって隆盛になる後期ロマン派のものです。初期ロマン派は不可能性に敏感ですが、後期ロマン派は鈍感です。だから初期ロマン派は全体性を表象不能だと見做すのに、後期ロマン派は民族や民族精神や「魔の山」的風景に全体性を見出す。
だから、後期ロマン派がナチズムを準備することになります。さきほど中島さんが説明された「右翼」は後期ロマン派的なものす。だから「政治と文学の一致」とか「全体性と行動の一致」が可能だと捉られてしまう。これはぼくに言わせれば「短絡した右翼思想」です。初期ロマン派的には「政治と文学の一致」は不可能です。
でも「政治と文学の一致」など世迷いごとに過ぎぬとする廣松渉に、ぼくは美学を見出して心酔する。ぼくが廣松渉を右翼だと思うというのは、そういうことです。それでいえば、戦後右翼より戦前右翼のほうが初期ロマン派的で、戦前でも、国権派よりは国権派への転向以前の民権派の亜細亜主義者のほうが初期ロマン派的です。
初期ロマン派は初期ギリシアを参照し、「見えない全体性が自分を刺し貫くが、全体性は見えない」と考えます。たとえ偶像崇拝を禁じて全体性の不可能性に言及しようと、唯一絶対神という表象を立てるようなセム族的宗教性は、初期ギリシアの人々には「不条理の只中に屹立する自立」でなく「絶対性に帰依する依存」です。
そのような意味で、古代ギリシア文献学者のニーチェは、初期ロマン派の視座から、後期ロマン派に見えるワグナーを、批判するのですが、しかしそのニーチェはワグナーが何もかも分かっていながら「敢えて」やっているペテン師であることを弁えていて、そこに心酔してもいるわけです。オペラはそもそもペテンですからね。
玄洋社や黒竜会の如き「国権派の扮技をした民権派」と同じで、「後期ロマン派の扮技をした初期ロマン派」という構図があり得ます。だからこそ「ネタからベタへ」の頽落が問題化する。初期ロマン派的な契機を欠いた者を真正右翼とは認めませんが、ぷっと思いながら「政治と文学の一致」を提唱する真正右翼はあり得ます。
こうした意味で、後期ロマン派的な美と、初期ロマン派的な美学を、一応峻別するのが欧州的伝統です。アドルノもベンヤミンもアレントもフーコーも、初期ギリシャ的ないし初期ロマン派的な「不可能性の美学」に殉じようとします。その意味で、ベンヤミン的には、全体性はシンボル(美)でなく、アレゴリー(美学)です。
「瓦礫の中の星座」とか「フラッパーな所作を刺し貫くユダヤ性」といった言い方それ自体も実はシンボルですから--だってアレゴリーという概念自体もシンボルですから--所詮は美と美学を截然とは峻別できません。しかしそれでも、世の自称他称右翼の大半は後期ロマン派な頽落に陷っていると言えます。
サフィックスをつけ、あえて言う
宮台 廣松渉は物象化を推奨して本質疎外論を否定しました。そこからどういう行動指針が得られるのかです。主体や疎外などの概念を立ててはいけないのかというと、違います。「人間は受苦的疎外--別様可能性や全体性からの疎外--に基づいて、ただひたすら前に進む存在である」と述べているように思います。
彼はブントです。ブントは団Bundつまりスパルタクス団Spartakusbundをさします。第一次大戦期の社会民主党反党分子のローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトらが結成したわけですが、六全協以降の日本共産党反党分子である香山健一や森田実らが結成したのがブントということになります。
両方ともに党独裁を否定して大衆蜂起に期待するわけですが、大衆蜂起に向けて放送や新聞などの資本主義的ツールを存分に利用し尽くせといった戦略論を持っていました。このあたりは、資本主義の客観情勢が革命の主体的条件を用意するというマルクス主義の公式見解に抗ったルカーチやグラムシと共通する部分があります。
さて頭山満の座右の銘は西郷隆盛の「敬天愛人」ですが、「敬天」というサフィックス(接尾辞)に裏打ちされている場合であれば「愛人」つまり人を愛する振る舞いが許される。同じく、本質疎外論が物象化的錯視であることを踏まえている場合であれば、疎外概念--受苦的疎外概念--を立てることが許される。これが廣松です。
人間など所詮は木端。価値などあろうはずがない。そういう思い込みは全て物象化的錯視だ。しかし、だからこそ「人間に価値がある」と言ってみないと、ただひたすら前に進むなんてことはできはしない。これも玄洋社や黒竜会が元来民権派だったと言われるのと同じです。彼らが近代主義者としての人権主義者のわけがない。
全体にせよ人間にせよ、所詮は仮そめに過ぎない。仮象ないし物象化的形象に過ぎない。それを踏まえればこそ、全体性や人間性に向けて突き進むことができる。それが廣松。その意味で、廣松主義つまり戦前右翼的なものから出発したぼくが、自ら全体性を体得しているんだとばかりに社会設計に乗り出すのは、アリなのです。
似た対立が一九七〇年のハーバーマス=ルーマン論争です。この時代、ハーバマスは素朴主体主義者・素朴近代主義者を演じ、ルーマンは終わり良ければ全て良しなれども人には終わりがどこか分からないというヘーゲル主義者を演じた。もちろん巷の見方は、ハーバマスが左翼で、ルーマンがテクノクラートだとするものです。
廣松はぼくに二つのことを言いました。一つは論争はルーマンの圧倒的勝利だということ。もう一つはドイツの新左翼はルーマンの側に立っているということ。これは単なる客観的な診断ではなく、廣松のコミットメントを示すだろうと思います。「全てが仮象なのであれば何でもありだ」とした上での「革命」ということです。
興味深いのはここからです。論争以降のハーバーマスは一挙にルーマンを吸収します。自分の言うことに全部サフィックスをつける。つまり、いわば、敬天を経由して愛人を語るようになるんですよ。廣松的にいえば、「進もうが退こうが物象化的錯視が不可避である以上、あえて進むしかない」という立場に進化するわけです。
日本の右翼の源流にあたる人たちも、こうしたことをよくわかっていたように 思います。だから、民権派から国権派に転向することに躊躇がなかったのだと思います。あるいは大川周明のような猶存社的な設計主義が、あくまで道具的な関心のもとで、あり得たのではないかと思うです。
宮台 単に「愛人」ではなくて「敬天愛人」であること。西郷が「民主主義」でなく「儒教的民本主義」の立場をとることからこそ、「敬天愛人」にならざるを得ない。なぜなら、民本主義はパターナリズムですから、何が民にとって良いのかを「上から目線」で判断せざるを得ず、判断の正当性は不確かだからです。
「民本主義=パターナリズム」と「敬天愛人=不可能な全体性の参照」との組み合わせ。あるいは“「パターナリズム&全体性参照」を「すべては仮象」という構えのもとで温存する”こと。こうした構えが猶存社にも継承されたのではないでしょうか。猶存社を設計主義的無謬主義だと断じるわけにはいかないだろうと思います。
“「パターナリズム&全体性参照」を「すべては仮象」という構えのもとで温存する”発想をぼくは廣松物象化論から学びました。だからぼくは廣松が戦前右翼から連続していると考えるわけです。それを戦前の亜細亜主義に言及せずに、普遍主義的な仮象で正当化すべく、マルクス主義を持ち出しているのが、廣松ではないか、と。
こうした立場に立つ者は「人を見て法を説く」やり方をせざるをえない。場合によっては主体主義者のように、また別の場合には実存主義者のように振る舞わざるを得ない。全体性があるという言い方をしたり、生活世界はあるという言い方をしたりする。ただし道具的関心に基づいて言うだけで、本当に思ってるわけじゃない。
ぼくはそういう構えを救済したい。戦前右翼の世直しってそういうものだと言いたいんです。それが巷間語られる右か左かはどうでもいい。「敬天」すなわち「不可能な全体性の参照」のサフィックスがついているかどうかです。サフィックスがついているかどうか不可視で、わかる奴にしかわからない面があって危険ですが。
革新右翼と設計主義
宮台 微妙な問題だからどう答えていいか、迷いますね。率直に言うと、ぼくは彼らを戦前右翼の系列の王道だと捉えることにそれほど否定的ではありません。というのは、「超越的なものを参照する設計主義者」の極北に、亜細亜主義の最終形態としての日蓮主義があると思うからです。
宮台 国柱会の石原莞爾や宮沢賢治を見て思うことは、「超越的なものを参照する設計主義者」にとって、超越的なものは―それは天皇であったり日蓮であったりするわけですが―究極の価値合理性の源泉なのか、単なる目的合理的つまり道具的な手段にすぎないのかが、本質的な意味で決定不能であるということです。
田中智学に従えば、日蓮主義者にとっては日蓮が大元帥。天皇は賢王つまり道具です。まずは国民に天皇絶対主義を説き、次段階で天皇を日蓮宗に改宗させれば、最終的に日本人全員が世界革命の戦士になれるという図式。でもこの図式における大元帥日蓮という概念がどの程度誠実な信仰の対象なのか、不明です。
智学を読むと、天皇が道具だと観念される位だから、日蓮だって道具だと観念されているんじゃないとの疑惑を禁じ得ない。そう感じる理由は、ぼくの原体験に関係します。中学二年で読んだ高橋和巳『邪宗門』の影響です。ある種の信仰に殉じることそれ自体が当人自身にとって実は道具的でありうるという恐ろしい内容です。
『邪宗門』の主人公千葉潔のように、最終的には、のたうち苦しんでいる人々を救うことこそが絶対的な目的としてあるんじゃないか。世直しこそが絶対的な目的としてあって、あとはマルクス主義だろうが宗教だろうが、有効であれば何でもいいという発想をしていた可能性があるのではないか。それが高橋和巳の見立てです。
宮沢賢治にとっての法華経とか日蓮って何なんだ。あれほど初期ギリシア的な万物学的感受性に開かれていた賢治が、初期ギリシャの万物学者ならば批判するような超越的特異点を持ち出して本当にそれに帰依するなどということがあり得るのか。軽々にそうだと言えないのではないかと思うんです。
いつもぼく自分の話を持ち出してしまって恐縮だけれども、ぼくもソーシャル・デザイナーを自称する設計主義者ですが、これは周到にやれば設計がうまくいくと信じているからではありません。むしろ設計はかならず失敗すると確信していますが、再帰性が貫徹する近代社会では、設計しないこともまた設計なのです。
宮台 何かするしかない。何もしないことも何かしていることと同じだからです。そんな泥沼の再帰性に耐えるために道具的価値をもつのが、超越性という仮象ではないか。と、ぼくは裏側から読んじゃう。北一輝にしろ大川周明にしろ、世界規模での世直しこそが絶対的関心ではないか。超越性への帰依があってそれ故に設計が正当化されるという理路は、石原莞爾においてすらないのではないか。
宮台真司の戦略
宮台 今まで述べてきたようなぼくのような立場は、中島さんのような立場からする警戒的監視があって、初めて機能すると思っているからです。ぼくがそう思うようになったのは、ルーマンとハーバーマスの論争を研究したからです。論争時の二人は、互いに相手があって初めて機能するような関係にあったのです。
(1)ハーバーマスは生活世界があると言う。(2)ルーマンは生活世界は仮象だと言う。(3)だがルーマンの言う通りだと思う我々も、現実の生活においては生活世界の存在を前提にするしかない。つまり生活世界は「恣意的だが非任意的」です。だから先に述べたように、ハーバーマスは、ルーマンを吸収して一人何役も演じ始めます。
実は、ハーバーマスは、のちに自分一人で何役も演じるためにこそ、あえて無名だったルーマンを論争に引きずり出して、あえて論争に負けたかのように演じたのではないか。論争に負けた後、しかし、実践的推奨を全く変えずに、ルーマンを取り込む。すると(1)~(3)の一人三役で、実践的推奨が、何倍も免疫化されるからです。
ぼくが堀内進之介と共著した『幸福論』(NHKブックス、二〇〇七年)でも、堀内がハーバーマスのような立場をとり、ぼくがルーマンのような立場をとり、そのことで「ウロボロスの蛇」のような相互呑み込み構造を提示しようとしました。これは、ファシズムを擁護するぼくが危険を自覚して準備した防波堤なんです。
全体性は触知できないので、設計は必ず間違えます。だから、設計は正しいのだ、現に皆がそう思ってるじゃないか、といった動員は根本的に間違っています。でも、地域であれ国家であれ、近代社会でそれ以外の世直しってありうるのでしょうか。パターナリズム(温情主義)を欠いた社会制度の推奨ってありうるのでしょうか。
教育もパターナリズムです。子供には右も左も分からないからと、子供が選んだわけでもない恣意的な枠組をインストールする。これには厳密な意味での正当性はありません。単に俺もそう教わってきたし、皆もそう教わってきたという、非任意的な事実があるだけです。教育とは「恣意的だが非任意的な」パターナリズムです。
つまり教育とは事実性を口実にして社会成員を束ねるファシズムの一形態です。そこから二方向ありえます。一つは、教育はファシズムだと自覚した上で教育を徹底的に利用する方向性。もう一つは、教育はファシズムで危険だから徹底的にウォッチして批判しよう方向。しかし、常に既に教育は行なわれ続けているわけです。
常に既に教育が行なわれている以上(先ほどの(3))、教育はファシズムだと自覚した上で徹底利用を図る方向と、教育はファシズムで危険だから徹底批判しようとする方向とを、車の両輪にして前に進むしかないんですよ。それがぼくの立場です。それを一人でやるのは尤もらしくなく分かりにくい。だから批判者を必要とする。
危機のときにどう行動するか
宮台 いじわるな質問をします。コミュニタリアンは保守主義者です。マンハイムが言う意味での再帰的伝統主義者であって、パターナル(上から目線)です。コミュナルなものが我々のコミュニケーションを支えており、リベラルという感覚をも支えている。コミュナルなベースを人為的に再生産しようとします。
ところがウォルツァーが、9・11以降のアメリカによるアフガン攻撃を全面擁護し、昨今ではイスラエルのガザ地区封鎖の全面擁護しました。そのロジックは、ウォルツァー自身は引用していませんが、マックス・ウェーバーの政治責任論そのものです。これは簡単に言うと「不可知論をベースにした行動の指南書」なんです。
ウェーバーのロジックはこうです。政治家の責務は政治共同体の命運を確保すること。市民の法に従っていては政治共同体の運命を確保できない場合、どうするか。市民の法を逸脱し、政治共同体の将来を守るべく命をかけるべきだ。むろん市民の法を破ったかどで血祭りに上げられるかもしれない。だがそれは仕方ないのだと…。
ウォルツァーはそれを「汚れた手」の概念で継承し、先制攻撃論を出してきます。反撃権が国際法で許容されている。だが核の時代、敵が核ミサイルのボタンを押せば数万人規模でこちらが死ぬ。だったら敵がボタンを押す寸前に敵の核基地を殲滅するのが正しい。どうせこちらがボタンを押すのが1~2分早まるだけの問題だと。
たった1~2分間先にボタンを押すことが国際法に反するからとビビるような政治家は無責任だ。政治家は責務を果たすべきだ。ウォルツァーはそう言います。ところで、敵がボタンを押すだろうとの観測が勘違いだったことが、後で分かったらどうするか。その場合、勘違いを追認した政治家を血祭りにするしかないとします。
ウォルツァーはコミュニタリアン左派と呼ばれますが、左派というよりコミュニタリアンの本質を示します。コミュニタリアンは再帰的伝統主義者なので、とりわけ非常時には、パターナルに共同体保全のための積極的施策を推奨します。国外では核基地殲滅になりますし、国内ではテロ分子殲滅になる。実にネオコン的です。
つまり、ウェーバーからカール・シュミットを経て、コミュニタリアンのウォルツァーに、政治責任論における決断主義が継承されているんです。三者に共通して、その決断は、少なからぬ場合において誤りだから、その場合に血祭りに上げられる覚悟を持つということが政治倫理になるんだ、という話になっています。
そこで、中島さんに質問です。平時に、設計主義の否定や世直しの否定などを通じて、良きものを保守しようとする保守主義者がいたとして、暴虐無人なナラズ者国家や狡猾なテロリストによって脅かされて危急存亡の瀬戸際を迎え、国際法や国内法を踏み越えないとどうしようもないとき、どうされるのですか?
宮台 さっき「ウロボロスの蛇」の喩えを出しましたが、保守主義とは他に決断主義者がいて無視できない勢力を持つという事態に、パラサイト(寄生)する思考です。全体主義者がいるからこそ保守主義者がいる。全体主義がなければ、あるいはフランス革命がなければ、保守思想はまったく意味をもたない思想です。
より穏当かつ正確に言えば、人間の理性に対する理神論的な信仰さえなければ、保守主義なんて意味をもたないのです。だからこそ、実践論の面で言うと、保守主義者から「保守主義である以上、こうしなければいけない」みたいな行動指針が、ダイレクトに出てくることはあり得ない。だから保守主義は批判の思考なんです。
保守主義=平時の思考、右翼=戦時の思考と分けましたが、これも正確に言えばこうなります。認識次元では、保守主義的に「人間の理性的判断でさえ誤りに満ちている」と冷えた頭で理解した上で、具体的な行動次元では、不可能性―何が不可能なのかさえ不確かですが―に殉じる形で右翼的=美学的なものを貫くしかないと。
共同体の危急存亡に面してじっとしている保守主義者は、左脳的には、人為の誤りについての認識は適切で合理的に思考していますが、右脳的には、人間として鈍感で自己陶冶を遂げておらず、醜悪な不作為に加担していると言わざるを得ない。こう言うと、お前は戦前の頽落した亜細亜主義者と同じじゃないかと言われますが。
昔からよく話だけど、田母神元幕僚長の如き輩が、大東亜戦争には亜細亜主義的な大義があったと言うでしょう。これは馬鹿の言うことで、誰もが知るべき常識は、「亜細亜主義には確かに大義はあったが、大義は簒奪され利用され、陸軍参謀本部や海軍軍令部の拡張主義につながった」ということです。
「ライフラインを守る、ABCD包囲陣を打破する、そのためには対米開戦不可避なり」と。これも大義として正しい。しかし参謀本部や軍令部で、かかる大義ゆえに動機づけられていた者はむしろ少数で、大義を文字通り錦の御旗として、参謀本部と軍令部の間でセクショナリズムの鍔迫合いを続けていたというのが実態です。
ウェーバーはこの種の頽落を「形式合理性による実質合理性の簒奪」と呼ぶ。形式合理性による実質合理性の簒奪が今の日本でも続いています。問題は、かかる簒奪された大義によって、大義なき戦争が開始された場合、どう振る舞うべきかです。この場面で、素朴に加担できるとするのも批判できるとするのも、明白に誤りです。
「簒奪された大義による戦争開始」の如き差し迫った立場に置かれていない我々がなすべきことは、そうした「引くも地獄、進むも地獄」の如き逆説的状況がしばしばあり得る以上、そうした逆説的状況に人々を導くような社会的営み自体を回避するということです。逆説的状況下ではどのみち妥当な行動はないと知るべきです。
中島 そうですね。その点でいえば、私は竹内好のような態度は、わかる気
竹内好の実践的態度
宮台 中島さんがそのように正直におっしゃっていただければ、ぼくは中島さんの保守主義に信頼を置くことができます。実は、ぼくも竹内好、好きなんですよ。竹内好のあの行為態度は、マックス・ウェーバーの行為態度と基本的に同じです。ウェーバーは行政官僚制る対して示す行為態度は以下のようなものです。
市場に任せれば絶対的窮乏化や周期的恐慌が訪れ、やがて社会が無茶苦茶になる。それに対抗するには、市場に介入する組織つまり官僚制を頼る他ない。だが官僚制は形式合理性により頽落する。頽落を押し止めんとすればビスマルク流の社会帝国主義しかない。だがこれ自体極めて危険で社会を破壊し得る。だがそれ以外あるか。
我々の社会に引きつければこうなる。官僚はいつの時代も行動原則が同じです。どんなに官僚制批判を展開しようが不変です。縦割的で、セクショナリズムで、国益を無視して省益や省益を前提とした自己利益を追求する。どんなに縦割の弊害を乗り越えよと行政官僚らに呼びかけても、組織的にできないようになっている。
であれは、官僚制批判もいいが、実際に必要なのは、官僚制がいつでもどこでもそのようにしか機能しないことを前提にした上で、それを上書きするような別の外部的な権力を以て介入するしかない。それが行政権力と区別された意味での政治権力であり、先の話でいえば、ビスマルクの独裁的な権力ということになります。
ビスマルクを出すと独裁だから危険だという話に縮小あがちですが、そうではない。民主主義に基づく政治的決定であっても話は変わらない。行政官僚制への政治的介入が正しいなどという保証はどこにもない。官僚制打破の政治的大義があり、それが正しかったとしても、程なく行政官僚は大義を形式合理的に簒奪し始めます。
これは平時に限った話じゃない。日本の場合、先の敗戦で滑稽な顛末を呈したので分かりやすいが、実は全ての戦争において起こっている。全ての戦争には大義がある。だが実際に組織的な近代戦が行われる現場では、そこで動く人々にとって大義は関係なくなる。程度の差はあれ必ず暴走や逸脱や私益追求の横車が登場します。
これは帝国陸海軍がダメだったという話じゃない。米国においても、太平洋戦争で、ベトナム戦争で、イラク戦争で、同じことが必ず起こっています。その意味でこれは摂理なのです。ただ日本の場合、錦の御旗が登場すると、この摂理を忘れて、無警戒となり、賢明な振舞いを国民が相互に要求することができなくなるのです。
陸軍や海軍による大義の簒奪を批判するのは大切です。丸山真男の言うように、公の大儀を簒奪して私を追求するような帝国陸海軍の振る舞いは許せない。その通りです。しかしこの種の簒奪は日本だけでなく常に既に全ての行政官僚制において多かれ少なかれ起こっていることです。そのことへの自覚と警戒が足りないのです。
宮台 北の思考回路はどうもいい加減な感じがします。右翼としても中途半端だし、ファシストとしても論理が成熟していない。マルクスを読み込んでいるかわりに、ウェーバーを知らないので、大義は必要だが必ず簒奪されるという「ファシズムの不可避性と不可能性」という逆説に鈍感です。
脳天気な時代の薄っぺらな保守論壇
宮台 回り道をしながら答えます。初期ギリシャ哲学やほぼ同時期のソポクレスに代表されるギリシャ悲劇に従えば、「世の摂理は人知を超える」。だが「世の摂理はが確かにある」。ベンヤミン的に言えば、摂理はシンボルによってこれとは名指せないが、砕け散った瓦礫の中に一瞬、星座のように浮かび上がります。
ベンヤミンは、全体性とはシンボルでなくアレゴリーでしか示せないと考えます。これは初期ギリシア的思考そのものです。なぜならば、アレゴリーでしか示せないからギリシア神話があるからです。ギリシア神話の背後には、ドーリア人侵入に始まる紀元前一二世紀から八世紀までの「暗黒の四百年」の歴史があります。
「暗黒の四百年」は悲劇の連続です。強盗・強姦・殺人・放火のオンパレード。だからこそパンテオン(神々の集まり)は血の海に浸されています。なぜか。「所詮、人間はこの程度のものでしかない」「所詮、この手の悲劇は繰り返されるしかない」と、理不尽や不条理に対する免役化のためにギリシア神話があるからです。
人間はどんなに頑張っても「所詮」という言葉が冠せられるような摂理を越えられない。摂理とはある種の全体性ですから、「所詮」と言えるような摂理とはコレとコレとコレだと逐条的に数え上げることはできません。そこに困難があります。だから、それを名指し数え上げたい人々は、エジプト的な超越神を持ち出します。
しかし、それは頽落だとするのが(初期プラトンによって描かれた)ソクラテスであり、遡れば初期ギリシアの万物学者らの思考です。それを受けて古代ギリシア文献学者のニーチェが唯一絶対神を頼る作法を、唾棄すべき弱者の営みだとするわけです。ニーチェは初期ギリシアの行為態度のルネサンスを図っていたわけです。
シンボルを頼るエジプト的思考と、アレゴリーしか認めない初期ギリシア的思考。唯一神的宗教と万物学との対比です。しかしアレゴリーを利用する万物学的思考は、経験のベースがなければ機能しません。共同体が全体性を共有するには、共同体が経験のベースを共有する必要がある。だからニーチェは「悲劇の共有」を持ち出す。
なぜ田母神や「新しい歴史教科書をつくる会」や「2ちゃん系ウヨ豚」のような輩が出て来るか。個人レベルでは、経験のベースが薄いヘタレが溢れるからであり、社会レベルでは、悲劇の共有がない脳天気な時代だからです。でも、社会がそういう輩で溢れるということは、悲劇の共有がない「平和な社会」だということです。
初期ギリシアに既に主題化されていたように、田母神みたいな輩、古くは蓑田胸喜の如き輩は、いつの時代にもゴミのようにどこにでも溢れている。それこそニーチェの「永劫回帰」です。しかし、そうした輩の存在が許容されるような「脳天気でいられる社会」は「所詮」長くは続かない。であれば「述べ伝え」が必要です。
「述べ伝え勢力」が手薄すぎるのが日本の問題です。そこはぼくら物書きの責任でもあります。これはすでに述べたように、ある種の行為態度の問題です。行為態度というのは、ウェーバーの「エートス」にぼくが当てた訳です。認識ではなく構えの問題です。だから右翼と保守の本質を、再認識してほしいと願っているのです。
右翼と保守には、不可知の全体性を踏まえようとする志向が共通します。「表出の根」や「情動の連鎖」を支える共同体的な基盤を護持しようとする志向が共通します。ですが、そうした共同体的な基盤が風前の灯のとき、保守は行動についてインディファレントですが、右翼は行動を呼びかけます。非常時の思考たる所以です。
今は平時でしょうか非常時でしょうか。平時であれば、ぼくも中島さんのように保守主義者を名乗ったかもしれない。でも、ぼくのみるところ、今は非常時です。共同体の基盤がまさしく風前の灯火です。保守主義の如き「再帰的伝統主義」だけで行動指針が得られるとは思わないということです。ぼくの判断にすぎませんが。
ぼくは判断の是非を競いたいとは思っていません。ただ、悪い社会になればなるほど、人々は「貧しくても楽しい我が家」の如き感情的安全を求めるようになるのと同時に、尤もらしい理屈よりもスゴイ奴を目前にしたミメーシス(感染的摸倣)を求めるようになります。保守と右翼への志向が同時に高まると言って良いです。
そのとき、世直しを志向するのかどうかです。世直しを志向せずに「貧しくても楽しい我が家」(の如きローカルな関係性)の護持を志向するということはあり得ます。でも、もはや世直ししかないと思うようになった場合はどうでしょうか。右翼への志向がせせり出してきます。僕はそうした時代に応接しているつもりです。