6月18日火曜日の朝日新聞オピニオン面に掲載された宮台発言の、元原稿
2013年6月18日火曜日の朝日新聞朝刊のオピニオン面に掲載された宮台発言の、元原稿をご参考までに掲載します。
掲載されたものは、元原稿の8割程の分量に短縮されているので、若干文脈を補完する意味があります。
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◇耕論■宮台真司(みやだい・しんじ)さん■■社会学者
■共同体自治の動きの一つとして道路建設計画を巡る小平市の住民投票に注目しましたが、投票率35%は低すぎます。
■投票率50%の成立要件を批判する向きもありますが、投票率が低いと「住民投票=異議申し立て」という色が付きます。
■住民投票は、異議申し立てでなく、住民自身による決定です。賛成派も反対派も参加するもので、そうなれば高い投票率になります。
■逆に、異議申し立てだとする勘違いが、投票率を下げます。賛成であれ反対であれ、住民の意志で決める。それが住民投票なのです。
■住民投票の意義は二つあります。第一に、投票前の公開討論会やワークショップで計画評価に必要な情報を得て、行政による「フィクションの繭」を破ること。
■第二に、討論会やワークショップを通じて顔の見える関係になり、「分断された共同体」を超えること。
■〈参加〉による「フィクションの繭破り」と、〈包摂〉による「共同体の再生」。それが住民投票の本質です。でも日本での理解は不十分です。
■第一の理由は政治文化です。日本では「引き受けて考える」自立の作法より「任せて文句を言う」依存の作法が支配します。住民投票が縁遠くなる所以です。
■第二はメディアと教育。日本の政治報道は中央の話が大半で、インターネットを見ても町村レベルの地域政治が語られる機会が少な過ぎます。教育も同じです。
■欧米では住民投票への中学生の参加もあります。世代相互の包摂に加え、公開討論会やワークショップへの参加が格好の公民教育の機会だからです。
■「未来の豊かさに思いを託して、苦しみを我慢する時代」は、終わりました。「小さくなるパイを分けあって、幸せにならなきゃいけない時代」です。
■それには「我々が住むのはこういう街だから、それじゃなく別のものが必要」という評価が不可欠です。これは当事者意識を欠いた中央の官僚にはできません。
■全国一律基準は、リアリティを欠くフィクションです。〈参加〉による「フィクションの繭破り」と、〈包摂〉による「共同体再生」なしに、地域の幸せはあり得ません。
■その証拠に、〈参加〉と〈包摂〉を欠いた地域社会では、インターネット依存を背景に、クレージー・クレーマーと、ヘイト・スピーカーの、感情的噴き上がりが蔓延します。
■〈参加〉と〈包摂〉を旨とした共同体自治は、可能な選択肢というより、人々が幸せになる唯一の道です。そして〈参加〉と〈包摂〉への道が住民投票です。
■投票率四割なら、その中の過半数は全体の二割。住民投票も選挙も同じで、それで政治的決定がなされれば、共同体自治の体をなしません。
■対米追従は公共的か、大企業の発展は公共的か、公共事業は公共的かなど、今はかつての自明性が失われました。まさに分岐点であり、人々の最終目標=価値こそが問われます。
■分岐点で重要な価値を選択をしたという話になるには参加の規模が不可欠。でも「本音の表出」のような感情のフックに釣られたポピュリズムはダメ。包摂の落着きが必要です。
■そのことを学ぶ場も住民投票です。小平市の50%という数字に意味はないけど、大規模な参加が必要な理由を学ぶ機会になればいいと思います。
※59年生まれ。首都大学東京教授(社会システム理論)。「みんなで決めよう『原発』国民投票」共同代表も務める。「日本の難点」「14歳からの社会学」など著書多数。
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