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北田暁大×宮台真司『限界の思考』(双風舎)[10月下旬発売]あとがき

投稿者:miyadai
投稿日時:2005-09-28 - 11:52:19
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(2)
【世代的文脈の特殊性に言及して言説の普遍性を調達しようとする冒険的試み】

■本書は、「全体性へのどんな言及もすぐさま部分化されるという、再帰的近代のコミュニケーションを必然的を見舞う強迫的なアイロニズムに抗いつつ、如何に全体性への言及可能性を確保するか」という不可能な課題をめぐる、ロマンチックな対談の記録である。
■このように記しても、あとがきから読み始めた方々にとってはチンプンカンプンだろう。そうした方々のために強いて導入めいたことを言うなら、北田暁大氏と私がなぜ社会学を思考するのかという根本的な動機づけについて、徹底的に語り合った対談集だと言えよう。
■『限界の思考』のタイトルは双風舎社長の谷川茂氏によるが、北田氏と私が共にプログレ好きであることを考えれば、キングクリムゾンが1974年に活動停止する直前のアルバム『レッド』がレッドゾーン(限界領域)から来ていることに、因んでいるとも考えられる。
■このタイトルは奇しくも適切すぎるほどだ。お読みいただければ分かるように、社会学に限らず、今日の思想的な営みの限界領域について、徹底的に語ったものだからだ。思想的営みの不可能性を明らかにするための、自己破壊的な思想的営みの記録だとも言えよう。
■でも、まさかこうした対談集になるとは思っていなかった。当初から決めていたのは、「自分の思考と実存との関係について徹底して語る」ということだった。結果的にみれば、私自身はこれ以上あり得ないほど語り尽くした。その意味で、まるで遺作の如き趣きだ。
■回顧モードに入るほど自分が齢を重ねたということだろうか。はたまた、控えめで礼儀正しい一人の青年を前に、彼の緊張を解こうとしてサービス精神を発揮した結果だろうか。そういう面もあるとは思うが、私が先のように決めていたのは、主に二つの理由があった。
■一つは、私自身の世代的な利害に関わる。私たち世代のコミュニケーションを支える私たち世代しか知らない文脈について語りたかった。もう一つは、世代を越えて私たち日本人(と呼ぶべきだろうか)の利害に関わる。私たちの文脈参照能力について語りたかった。
■主題的な議論は本文を読んでほしいが、この数日間に身辺に起こったことを手掛かりにしてイメージメイクしておく。因みに現在は2005年9月19日。北田氏がまえがきを書いてから三ヶ月経った。諸般の事情で数ヶ月間、元原稿に手を入れられない状態が続いたのだ。
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■9月8日木曜日、盟友の見澤知廉氏が亡くなった。自死なのか錯乱死なのかよく分からない。いま私の目の前には見澤知廉氏と並んで撮った写真がある。見澤氏がとても凛凛しい。五年ほど前のものだ。当時、二人は共著本を出すために、対談を繰り返していたのだった。
■不幸なことに見澤氏の精神的な状態が悪くなり、対談シリーズは予定回数の三分の一で止まってしまった。初回の対談で二人は自分の生い立ちを語り合った。詳しくは話したくないが、二人の生い立ちは実に良く似ていた。二人は驚き、それが契機で親しくもなった。
■生い立ちだけでなく、不可能な理想や不可視の全体性に殉じて散華したがった過去も似ていた。でも理想が不可能で、全体が不可視なので、散華はうまく行かなかった。不可能で不可視なものに準拠しようとすると、振舞いは滑稽になる。それを二人は自覚していた。
■確かに二人はオウム世代だ。でも、二人がオウム幹部と違うのは、不可能を可能と思い違えたり、あえて思い做したりするのを、潔しとしなかったことだ。不可能なものに不可能なまま殉じたかった。しかしそもそもが不可能なので、初めから失敗が約束されていた。
■二人の感じ方は(オウム信者らとは違うかもしれないが)世代的だと感じる。この世代性の意味を、年少の世代に受け渡したいと思っていた。北田暁大氏と対談しないかと谷川氏に持ちかけられたとき、チャンスだと感じた。以上が、世代的利害に関わる理由だ。
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■9月19日月曜日、第九回水戸短編映像祭のコンペティションの審査をした。もう五回も続けている。そこで長い講評をした。表現の文脈に鈍感な表現者がますます多くなってきていることへの苛立ちを表明した。因みに、若い社会学者に感じる苛立ちと同種のものだ。
■映画を通じて豊かな情報を体験させたいと思うとき、対照的な二つの戦略がある。一つは、映画自体に、体験させたい情報量を盛り込む方法。もう一つは、映画の情報をフックとして、体験者の記憶アーカイブスから大量の情報を引き出して体験させる方法。
■前者は「説明的」で、後者は「喚起的」だ。さて、喚起的な映画にも二種類ある。一つは、記憶された類似エピソードを喚起する、表層的「あるある系」。もう一つは、エピソードの類似ではなく、〈世界〉は確かにそうなっていると納得させる、深層的「寓話系」。
■「あるある系」の映画は、時間が経つと急速に古びて感情移入が困難になるだけでなく、国内でしか通用しない類の作品になりやすい。それに比べると「寓話系」の映画は、時間的耐用性や、空間的汎用性が高まる。こうした論理的な問題に無頓着な表現者が多いのだ。
■ひどい場合には「あるある系」なのに「説明的」でリダンダント(冗長)だったり、逆に「あるある系」でも「寓話系」でもないユニークな体験を与えようとしながら、体験の輪郭を構成するのに必要な情報が欠けていたりする。こうした欠陥は極めて日本的である。
■映画に限らず、全ての表現は文脈依存的だ。とはいえ、文脈参照のあり方次第で、時間的耐用性や空間的汎用性に差が生じる。本文中でも述べていることだが、日本的な表現は、判決文から思想まで、時間的空間的な特殊文脈を補わないと完結しないものが多すぎる。
■そのため思想内容の世代間伝達に障害が生じる。障害を克服する方途を、世代差のある北田氏との対談を機会に例示したかった。障害の克服は世代を越えた利益だ。具体的には、私たち世代を浸す特殊な社会的文脈に再帰的に言及しながら、私の表現を行おうと思った。
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■すなわち、(1)私たち世代を理解してもらうことで私(の言説)を理解してもらい、(2)かかる作業を通じて日本的言説空間の欠落を埋めるための試行事例を示す。これを対談の目標にした。かかる次第で、北田氏と私の世代差をできる限り有効利用しようと心がけた。
■そうした試みをするに当たり、年少の論客でもとりわけ北田氏が相手に相応しく思えた。『広告都市・東京』『責任と正義』『意味への抗い』『嗤う日本の「ナショナリズム」』の著作のどれもが、北田氏が抱える「世代的切実さ」を自覚した表現だと思われたからだ。
■なのに、北田氏の表現と「世代的切実さ」(という社会的文脈)との関係について言及する論評が少ないのが気になっていた。そこで、彼(ら世代)の切実さと私(ら世代)の切実さとの違いを際立たせることで、互いの表現を支える文脈を陽表化できる、と思った。
■まるで嘘のように、思った通りになった。それは、私に内緒で谷川氏と各回の段取りを策定した北田氏が、私の目論見と奇しくも噛み合う形で、私の言説の世代性や時代性を浮き彫りに(することで私の言説を相対化)しようと企図していただろうことがあるだろう。
■その意味で、北田氏の企図は願ってもないことだった。だから、多少戯画的なまでに世代的な差異を強調したところもある。この世代的な差異には、あたかも部分に全体が宿るかのように極めて大きな普遍的含意があると考えているので、あえてそうさせてもらった。
■加えて言えば、私は自分が抱える問題意識を、可能な限り世代的文脈(という特殊条件)に自己言及することで逆に普遍化した上で、北田氏に受け渡そうと思った。第三章の末尾で述べた通り、北田氏以外の年少研究者にそうしたことをしようと思ったことはなかった。
■その意味で北田暁大氏に──彼を存在させてくれた〈世界〉に──感謝したい。稀有な機会を与えてくれた双風舎の谷川茂氏にも──彼を存在させてくれた〈世界〉にも──感謝したい。感謝しているクセに作業への取りかかりが遅れたことをお二人にお詫びしたい。

                      2005年9月20日 宮台真司