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MIYADAI.com Blog > Category : お仕事で書いた文章   ↔ See also Archive

維新派を貫く「縦の力」と眩暈

■維新派の公演を「演劇」と呼ぶべきなのかどうか分からない。でも「演劇」という概念
自体の自明性が崩れてから少なくとも(例えばブレヒトから数えて)半世紀。面倒だから
「演劇」と呼ぶことにする。私にとっての最大の演劇経験は、いまでも維新派だ。
■評判には聞いていても大阪まで出かけるのは億劫。ビデオで見たことはあっても、結局、
私が初めて維新派を直接体験したのは、今から三年前のこと。忘れもしない、今はなき大
阪南港ふれあい港館広場で行われたヂャンヂャン☆オペラ『流星』の公演だ。
■南港は遠い。東京から行くとなおさら遠い。翌年の奈良県室生村での『さかしま』も遠
かったし、翌々年の岡山県犬島での『カンカラ』も遠かった。でも、繰り返し経験すると
分かるのだが、遠いことが大事だ。
■旅の道中は、神殿参拝のための禊ぎの時間のようなもの。スポーツでいえば準備体操の
ようなもの。日常の時間と空間をそのまま公演会場に持ち込むのではなく、すぐさま水に
飛び込む代わりに、非日常の時間と空間に向けて徐々に体をならしていくのだ。
■日の落ちた後の薄暮。南港の広場に近づいていくにつれて、赤々とした灯が、火が、見
えてくる。屋台が立ち並んでいる。呼び込みの声がする。食べ物の匂いがする。人が多勢
渦巻いている。ああ、あの感覚だ。子供の頃に経験したお祭りの日と同じだ。

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投稿者:charlie
投稿日時:2003-09-04 - 14:00:00
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ディズニーランドの秩序(アメリカ流文化的多元主義)に異を唱えるものは抹殺する ――ネオコン的なものを本質を見

                        東京都立大学助教授、宮台真司

【長崎少年事件、捜査手法の問題点】


■今日は、90年代とりわけブッシュ政権以降、ネオコンあるいはネオコン的なものが、な
ぜこれだけ伸長したのかについてお話ししたいと思います。というのも、巷間ネオコンに
ついて語られていることの多くが、実はネオコン自体の説明にはなってはいても、ネオコ
ンが隆盛してきた理由の説明にはなっていないと考えるからです。ネオコンが支持される
世論のベースといいますか、土台について行き届いた議論がなされていない。
■その話をするとっかかりとして、長崎で12歳の少年が容疑者になった事件をめぐる国民
の反応の仕方に、ひとつのヒントを見い出してみたいと思います。長崎の事件については、
性的異常の問題であるとか、あるいは親の責任の問題、メディアの悪影響の問題が取り沙
汰されています。でも、そうしたことは今回の事件の本質とは関係ありません。問題の本
質は、警察の捜査手法です。それをどれだけの方がご存じでいらっしゃるでしょうか。
■実は今回の事件のようなタイプの連続犯罪に対しては、私服警官を張り込ませるやり方
と、制服警官を張り込ませるやり方の、二通りがあります。この二通りのやり方は、相反
することを目的としています。制服警官を張り込ませる場合は、犯罪防止が最優先事項に
なります。制服は目立ちますから、「ああ、警察が張り込んでるな。捜査されているな。
ちょっとマズいな」と、犯人もしばらく犯罪をすることができなくなる。
■これに対して、私服警官を張り込ませる場合には、犯人逮捕が優先になります。現実に
犯罪を起こさせる、少なくとも起こす寸前まで泳がせてから捕まえるわけてず。刑事ドラ
マによくあるパターンですね。

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投稿者:charlie
投稿日時:2003-09-02 - 15:04:00
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亜細亜主義の可能性 ~国家を操縦する導きの糸~

8月18日朝日新聞夕刊に掲載された論説です。

■世の中にはベネディクト・アンダーソンを誤読して「国民化の歴史を振り返り、国民幻
想を相対化せよ」などと語る輩がいる。「ボーダーレスな時代だから国民国家にこだわっ
ていては駄目だ」と言う。時代錯誤だ。
■私たちは領域的にも力の大きさ的にも国民国家=ネーションステイトを超える主体を持
たない。私たちが世界を変えようと思ったら、ネーションステイトをハンドリングするし
かない。
■私がかねて「自立した国民として思考停止に陷らず、ステイト(機構としての国家)を
ハンドリングせよ」と呼びかけ、政治家や役人にロビイングしてきた。私はネーション幻
想(幻想共同体としての国家)に身を委ねているか。ありえない話だ。
■愛国心とは何か。国という言葉が誤解の元で日本人はすぐステイトを愛することだと思
う。ここでの国はパトリの訳で、ステイトが守るべきナショナルヘリティジ(国民財産)
の意味。国家が守るべき社会のことだ。
■ゆえに愛国者は、国家が社会を、ステイトがネーションを守らないなら、国家=ステイ
トに文句を言い、操縦せねばならない。現に国家への命令である近代憲法は、国民とナショ
ナルヘリティジを守るよう厳命する。
■国家が守るべき社会とは何?「幻想共同体としての国家」が確固として信じられる国民
国家の黎明期と違い、今日のそれは一定の地理的領域内の「生活の事実性」に拡張される
べきだ。
■社会がボーダレス化したならボーダレス化した社会における「生活の事実性」から国民
が得る利益を守るべく、国家は機能しなければならない。国家がそうした責務を果たすよ
う国民が監視し、操縦する必要がある。

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投稿者:charlie
投稿日時:2003-08-21 - 15:08:00
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「安保基本法」を制定し、原則を確定せよ

6月21日付朝日新聞朝刊オピニオン面「私の視点」に、私の論説が掲載されています。

■冷戦体制下では、自衛隊の存在自体の合憲性が争われていた。合憲側は、米国の軍事行動がソ連の覇権から西側諸国を守る利他的行動に見えたこともあり、単に合憲を主張すれば良かった。違憲側は、日本が現に米国の「核の傘」に覆われ、55年体制下で万年野党化していたことを背景に、単に違憲を主張していれば良かった。今思えば能天気な時代。そうした時代が終わった。
■小泉首相が「国民も自衛隊は実質的に軍隊じゃないかと思ってる人が多いんじゃないの」と述べたのが象徴的だが、合憲性は中心的問題ではなくなった。では今何が問題か。結論を言えば「米国に言われりゃ何でもやるのか」といったズルズル感。すなわち、冷戦体制下のままの思考停止がもたらす主体性のなさが、国益を侵害し、自衛隊員の命を粗末にする恐れが、明確になって来ているのである。
■思考停止は滑稽を通り越す。米英では大量破壊兵器が見つからないことで政権が危機に陥っているのに、日本ではそうした気配がない。それどころか党首討論で追求された小泉首相は、フセイン大統領が見つかっていないからイラクにフセインがいなかったことになるのかと爆笑答弁をした。外国に報道されたら国辱ものだ。それに先立ち久間章生政調会長代理が2月14日の本紙朝刊で、外務省は米国支持以外あり得ないとの態度だがと問われ、「外務省は米国の外務省みたいなものだから」「日本はアメリカの何番目かの州みたいなものだから」と答えた。これは単なる爆笑発言ではない。小泉首相は党首討論で久間発言を踏襲するべきだった。それすれば、義がなくても米国についていくしかない日本の現状を満天下にさらし、今後も現状のまま行くのかについて国民的議論を惹起できた。それができるのは首相だけだ。
■こうした国民的議論が起これば私の立場は明確だ。第一に、政府による憲法解釈を集団的自衛権を許容するものに変更し、第二に、国家安全保障基本法を定めて、集団的自衛行為としての正当性が国際的に認められたことを示す手続きとしての安保理決議など自衛隊を派兵できる要件を定める。理由は二つある。憲法的にも法律的にも合法枠内で出兵できる
ようにすれば、(1)要件不充足を盾に米国からの理不尽な要求を拒絶でき、かつ(2)自衛隊員の安全を守りやすくなるからだ。
■現状は先の二人の発言以上に滑稽だ。米軍との共同作戦行動なくして意味をなさないイージス艦を戦地の近くに送りながら集団的自衛権の行使ではないと言い張るのはまだいい。横須賀港から戦地に向かう米軍艦船への燃料補給は「出港段階ではどこに行くか確定できないから」、湾岸地域での米軍艦船への補給も「トマホークを打った段階ではどこに向かうか確定できないから」集団的自衛権の行使ではないと言う。こんなデタラメな理屈が横行し、脱法行為が日常化している。だからこそ、どうせ脱法行為なのだからと米国の要求に際限なく応じるしかなく、国益と自衛隊員の命が軽んじられる。無意味なタブーを破り、憲法上も法律上も、自衛隊が海外で集団的自衛権の範囲で任務を遂行できるようにし、かつ安全な任務遂行に必要な武力行使を可能にする必要がある。
投稿者:charlie
投稿日時:2003-06-21 - 15:11:00
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りそなへの公的資金投入の背後に隠されているもの

■今回の付録CD-ROMに収録した「まる激」は、5月28日に配信した「りそな問題に
出口はあるのか」だ。慶応大学経済学部・池尾和人教授をゲストに招き、公的資金注入に
どんな問題点があり、市民が何をウォッチするべきなのかを議論した。

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投稿者:charlie
投稿日時:2003-06-18 - 15:13:00
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