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■ 宮台真司ETV特集「海を行く〜寄せては返す日々」

◆その3 存在意義としての祭り

 もう一つ、祭りのことだけどさ、祭りが元々、なぜ1961年をもって中断されたのかというと、当時丁度好景気で、皆どんどんマグロ船に乗るようになったせいで、漁師さんが港からいなくなっちゃうんだ。そのせいで、丁度10月の十五夜の時に祭りがあるわけだけど、10月ってマグロの季節だから、祭りの担い手がいないんだよ。漁師のお祭りで「綱引き祭り」って言うんだけど、沖縄から九州にかけて、伝統的に漁師町に存在するものらしいんだけど。その綱引き祭りは、したがって漁師がやる祭りなんだけど、漁師が港にいなくなったせいで、祭りの担い手がいなくなって、つぶれるわけだ。

 ところが、1981年に復活した。復活させたのは「丘の人」と言われる、地元の商店街の人達なんだよね。その商店街の名前が「一生会(いっせいかい)」と言うんだけど、面白いことに、地元の商店街の人達も、かなりの人が出戻り組なんだよ。一回都会に出て、後を継ごうということで戻ってきた人達なのね。やっぱり50前後、団塊の世代が中心なんだ、基本的には。その親の代、大体70代を中心とする人達を、「一母会(いちぼかい)」と言って、違う集団を作っているのね。出戻り組の人達が「後を継げ」と言われてイヤイヤな感じで戻ってきて、例えば向こうでレストラン経営しようとしてレストランで修行してたり、ホテルで修行してたりとかしてる人達が戻ってきて、仕出し屋を継いだりとかしているわけだよ。

 そういう意味では漁師と似た構造が元々あるんだけど、この人たちが「一生会」を1981年に結成した時に、単なる酒飲み会はバカバカしいからやめよう、何かやろう、ということで、20年近く中断されていた漁師の祭りを復活しよう、と。

 それはどういうことだったのかと言うと、元々は地元の商店街は、観光地じゃないから、漁師相手に仕出し、弁当売ったりとか、あるいはいろいろな部品を売ったり、漁師相手、というのがあったわけね。でもマグロ船で漁師たちが遠くに行くようになってから、漁師相手に仕事できないから、日南市とか宮崎市全体を消費市場として考えるような産業に変わっていくわけよ。漁師相手の弁当屋は仕出し屋になって、例えば日南や宮崎のいろんなホテルで会合があるときにはそこに全部弁当を出すような仕事に変えていったりとかするわけだよ。

 その結果、やっぱり海の人と丘の人の間に、完全に交流がなくなったんだって。交流がなくなると、漁師は元々、いないわけじゃん。近海の漁師だって、生活時間めちゃくちゃ。夜中の3時に出て、翌日の12時、1時に帰ってきて、陸揚げしたらすぐに寝ちゃうわけだからさ。

 だからそういうことで断絶している漁師との関係を復活させるチャンスになるんじゃないかと同時に…元々漁師の町なわけだ、油津というのは。だけども、そういうふうに漁師との関係が切れてから、「油津」という町に住んでいる意味というか手ごたえが、全く失われているから、お祭りというのをテコにして…まあ、凡庸な言い方をすれば「町おこし」なんだよね。ただそれは、観光で人を呼ぶとか、金をもうけるというのではなくて、完全に自意識の問題なわけ。おれたちが、どういう町にいるのかということを確認するために、やっぱり祭りは必要なんじゃないか、ということで漁師を説得しに行って、漁師たちも「是非そういうことだったらやりたい」ということで、ちょうどこの季節、太い縄を、漁師さんたちが疲れきって帰ってきた後、自分たちで…力がないとできないんだよ、縄をなうという仕事は。で、その縄を作っているわけね。

 だから、それもすごく僕はいい感じに思えたわけ。つまりさ、町起こしで金をもうけるとか、物語を作るとか、そういうことじゃないんだよ。皆で一緒に祭りをやるということが、油津という町とつながる唯一の回路なのね。存在意義なの。でもそれが祭りだっていうのが、たまたま僕が『ダヴィンチ』で、「祭りは強度だ」と、書いたじゃないか。やっぱりそういう、たまたま僕が書いていたこととも、すごく結び付く。だから、物語とか、意味とかいう感じじゃなくて、「一体感」なんだよね。ある種の一体感を取り戻そう、という感じ、それが必要だということを、皆痛切に感じているわけ。だから、議論じゃない。皆祭りをやって、一緒に綱を引く、と。昔は漁師たちだけが関わっていたけど、そこで商店の人達も一緒に綱引きをする、ということを通じて、祭りが終わった後、朝まで漁師と町の人が飲み明かす。そのことが意味があると考えて、祭りを復活するわけだ。

 だから、完全に観光じゃないよ、誰も見に来ないわけだし。地元の人だけのものであるわけね。そのことが僕にとってはとても感動的な気がしたのね。

 個人も出戻りだし、祭りも復活だし、その「選び直す」という契機が両方にあると言ったけども、両方には同じような困難があってね、例えば、漁師はもう跡継ぎのなり手がほとんどいないんだよ。今一番若いのが35で、もちろん平均が60前後だからさ、息子は大体20代、30代くらいじゃないか。だれも今のところは継がない。30より若い奴で継ごうという奴はいないし。聞いてみると、継がせたい、とは思ってるんだけども、それは言えない、と。なぜかと言えば、それこそ「意味がない」からだよ。金ももうからない、安定性もない。立身出世も、これから未来が明るいということもない。頑張ったら将来見返りがあるということも、ないんだよ。

 つまり、世間的に言えば、意味がある仕事ではない。マイナスのファクターはいろいろあるよ。不安定とか、金がもうからないとか、肉体がキツいとか。だから、とてもじゃないけど、言葉で「漁師の仕事はいい仕事だから継げ」とはとても言えない、と。

 そういうことは言えないから、継いでくれたら楽しいしうれしいと思うが、自分からは言えない、と、皆言うんだよ。

 それは、漁師さんの美学でもあると思うんだよね、それは。だからおれは今回の番組も含めて、「でもこの仕事は面白い」とか「すごい」という感じがあるわけだよ。というのは、…次の世代がうまく知ることができるようであってほしいなあ、と思うね。

★★★ヽ(´ー`)ノ★★★

 さっき、じいさんが神様に見えると言ったよね。都会にいたらまずないよね、そういうのは普通。あの漁村で嵐の船に乗って、漁師さんの頑張りを見て…ということがあって、分かるわけじゃない。でも、変な話だけど、漁師さんの家族でさえ、息子でさえ、嵐の海に親と一緒に出掛けることはないよね。天気のいい日に、遊びがてら、日曜日とか海に出掛けることは、小さい子供のときはあった。その程度のものじゃないか。

 だから、その部分を、なんかうまく…番組を作るわけだから、油津ということに限らず、こういう仕事がある、と。自分の父親はこういう仕事をやっている、という機能があればなあ…と思うのね。

 すごく面白いのは、漁師さんの多くが、カメラを拒絶するんだよね。「撮らないでくれ」って。あるいは取材そのものを拒否する人がすごく多いの。それは、いろいろ拒否の場面に出会って思ったんだけど、もう直感的と言ってもいいけど、マスコミを含めたある種の情報提供が、自分たちの敵だという感覚がすごくあるのね。

 それはどうしてかっていうことは、子供のことを聞いて分かったわけ。広若さんにも中学生の子供達がいるんだけど、やっぱり皆ファミコンやって、TV見て…ということをやっているわけね。このお祭りも、たまたま「SMAP×SMAP」みたいなものと重なったりすると来ないし、せいぜい来ても、ゲームボーイ持ってくる奴がいるんだって。

 だから結局、例えば子供達に「お祭りは楽しいものだ」と分かってもらいたいと思っても、その漁師さんたちの情報宣伝活動のライバルはTVであり、ゲームボーイなわけで、漁師さんたちの方が負けなわけだよ。これから負け続けるとはおれは思わないけど、少なくとも、ある情報環境に育った子供にお祭りを見せても、楽しみ方は分からないよ。全然分からない。

 だから、そういう場面ではやっぱり、こういう普遍的な、日本全国を覆っているような情報に敵意を感じるというのは、よく分かるじゃない。

 こういう「マスコミ的なものに関わってもろくなことはない」という、アメリカのアーミッシュという、文明を拒絶している連中がいるじゃない。似ていると思うんだよ。そこまでじゃないんだけどさ、アーミッシュほどには排他的でも反文明的でもないんだけど、感覚としては、カメラはだめだ、と。もちろん、一人だけ抜け駆けしていい格好するのは良くない、というのもあるかもしれないけど、それだけじゃ説明できないんだよ。何か、情報を嫌ってる。

 ただ、広若さんという人だけはちょっと例外的で、( )彼の掛けだよね。僕たちの意図もよく分かっていて、このままじゃもう完全に尻すぼみだ、と。だから、自分たちの仕事に世間的な意味で意味があるとか、未来があるということがないから、そういうふうな説得は、次の世代に対しては難しい。

 広若さんが言うのは、「自分たちは、漁が面白いとか、意味があるとかって言わない代わりに、少なくとも漁でちゃんと食える、稼げるという、そういう条件を整えようとして、漁を休む休漁日をもうけるとか、様々なルールをもうけるとか、新しい流通ルートを開通するとか、いろいろ工夫を必死でやっている」と。まあ、工夫してやる、というのは、あんまり漁師さんというのは他人のこととか真剣には考えないから、広若さんのように考えてる人は珍しいんだけどもね。

 まあ、いずれにしても、彼が考えていることは、こういう番組を通じて漁師の生活というものが次の世代に分かってもらうという部分があれば、もしかしたら何かに役立つかもしれない、という感じが、広若さんにはあるのね。

 だからまあ、そういうことをとってみても、結構僕は、感慨深かったですね。

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