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『週刊読書人』最新号(昨日発売)で先日逝去された吉本隆明氏について大塚英志氏と対談しました。

投稿者:miyadai
投稿日時:2012-04-07 - 16:56:59
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(0)

例によって宮台発言の一部のみ抜粋します。
大塚発言を含んだスリリングな全体はぜひ『週刊読書人』最新号をお読み下さい。



【宮台】本日のポイントは三つ。吉本さんが亡くなった日の夕方、僕は橋爪大三郎さんとニコ生の追悼番組に出て、大塚さんに電話出演いただきました。そこで話したように大塚さんは民俗学がルーツ、僕は社会学がルーツで、そこから来る吉本さんの見え方の違いがあることが第一点。第二点は、同世代である大塚さんと僕が吉本さんの思想の何をシェアしているのか。第三点は、3・11原発災害の一年後に亡くなられたタイミングの意味ですね。
 第一点について個人的体験を話します。一九七一年に麻布中学に入学したら中学高校紛争の只中。中三一杯まで続きました。その三年間、先輩や倫社の先生--現在の麻布学園校長氷上信廣先生--から様々な本を薦められ、高橋和巳、埴谷雄高、野間宏と並んで吉本隆明が入っていました。氷上先生はエーリッヒ・フロムと吉本隆明を、先輩は谷川雁と吉本隆明を同時に薦めました。ニュアンスが違いながらも共通したのは「吉本さんの自立思想を弁えろ」「党派の機関決定に思考停止的に従う愚かさを知れ」ということでした。
 幼かったので『転向論』を読んでも自立思想をよく理解したとは言えず、最初に読んだ『共同幻想論』と『心的現象論序説』、中でも『共同幻想論』に魅惑されました。同時期、やはり氷上先生に勧められ、出口王仁三郎をモデルにした高橋和巳『邪宗門』を読んだこともシンクロしました。幼い僕なりに考えたのは、吉本思想がマルクス主義の思考とは全く違うこと、『邪宗門』がそうだったように天皇制に単に敵対していないことでした。
 印象的だったのは柳田國男が神隠しにあいやすい気質だったという記述です。京都で育った僕自身が似た気質だったのもあり、先輩から受け売りしていたマルクス主義とは違う、大切なものを提示されていると直感しました。その頃から出始めた勁草書房の選集を片っ端から読んで、同人誌『試行』を出していることや、そこに連載された「情況への発言」で柄谷行人さんを始め様々な論者を「チンピラ」呼ばわりしていたことも知った(笑)。
 中三から大学一年までの五年間、吉本さんの読書体験とともに僕の思想的成長があった。大塚さんや僕の世代--一九六〇年前後に生まれた新人類世代--では吉本さんの著作を読む人は珍しくなっていましたが、吉本さんを読むことで団塊の世代など年長世代の方々とコミュニケーションする際の共通前提を持てたことが、後に大きな意味を持ちました。社会学に触れる前の駒場キャンパス時代、廣松渉さんのゼミに出ていたこともあり、年長世代の方々との交流を通じて護教的マルクス主義者に対する反感を強く持ったし、共産党的ないし革マル的な「党機関決定=絶対」という発想にも反感を持ったし、単なる反天皇主義にも反感を抱きましたが、吉本さんの影響だと思います。
〜〜
【宮台】民俗学ルーツの大塚さんに近づいて話をすると、僕が日本に生まれ、日本的なるものを呼吸して育ったことの意味は何だろうというのが長い間の疑問でした。大学三年で書いた最初の社会学レポートも八重山の土俗信仰についてのものでした。僕の学問的出発は、社会学よりも民俗学の方でした。それも『共同幻想論』を読んだことによります。
 中学生の当時とても気になったのが、先生や先輩から指摘された二つのポイントでした。『転向論』の重要性と「関係の絶対性」概念の重要性です。両方が絡むのだと教わりました。共産党による獄中非転向の喧伝や、それによる正当性独占の企図に対し、吉本さんはスターリニズム批判の文脈でこきおろしておられましたが、僕にとって重大だったのは、出口王仁三郎図式というべきものです。戦前や戦中の日本において世の建て直しを構想する革命者が、反天皇の旗印を立てることがあり得ただろうかということです。この疑問が僕の中に深く埋め込ました。先に申し上げたように『邪宗門』を同時期に読んだことも関係します。そうした疑問に対する答えが形にならないまま博士論文の『権力の予期理論』(勁草書房、一九八九年)を執筆したのですが、僕の中で答えが形を取り始めたのは、援助交際をする女子高生を対象にフィールドワークを始めた一九九三年からです。
 最近再び性愛についてのグループインタビューと統計調査を開始したのですが、それに引きつけて話すと、昨年十一月に厚生労働省の作業部会から若者の性的退却に関するデータが出ました。十六歳から十九歳までで、性に対する嫌悪感を持つ人、性に全く関心を持たない人を合わせると、男は三六%、女が五九%の高率になり、なおかつ経年的に増加しつつあるというもの。それで、特に二〇代の女性を経済的社会的に三階層に分けて話を聞いてみました。そこで僕は、かつてそうだったように「関係の絶対性」に直面したのです。
 僕は、性的退却の背景にコミュニケーションの空洞化があると睨み、それを数値的に実証しようとしています。むろん背後に、望ましいコミュニケーションについての規範命題があるのですが、上位ニ階層の女性たちに対しては「どんな性愛関係が良いと思うか」とか「性愛関係における優先順位は何か」といった規範意識を探る問いをぶつけられるのに、最下層の女性たちを前にして僕も共同研究者も同じ問いを投げかけられませんでした。
 彼女たちが孤独感だったり生活苦だったり無意味感だったりに強く苛まれ、「あるべき性愛関係」などを考えているどころじゃないことがヒシヒシと伝わってしまったからです。結局、予定していたことを聞けずにグループインタビューを終えたのですが、その際、吉本さんの「関係の絶対性」とはこういうことなんだと思い出されたのです。「転向しない奴が偉い」という言葉は、「性愛のコミュニケーションで絆をめざす奴が偉い」という言葉と同じで、ある関係性の中に置かれた者たちにとっては全く意味がないのです。ちなみにかつて中南米の「解放の神学」を説いた「怒れる神父たち」も同じことを語っていた。
 最近再開した性愛リサーチを通じて、かつてのフィールドワークで経験したことを思い出しつつ、吉本さんの凄さを改めて感じました。僕にとって吉本さんは、社会学をする前に「関係の絶対性」の概念を通じて「社会というもの」について土台的な認識を与えてくれた方です。いっとき理論社会学や数理社会学にのめり込んだ際には忘れてしまったのですが、二〇歳代末に始めたフィールドワーク--を通じて、吉本さんが僕に埋め込んだものを思い出しました。僕の実存的な歴史が、吉本隆明の読書体験と結びついているんです。
〜〜
【宮台】最近大塚さんは、キャンベルの「物語要素論」を使いながら、我々が普通に理解する合理性に還元できないアーキタイプに注目されていますが、そのことと今の話が繋がるんじゃないかと思います。吉本さんの『転向論』や『共同幻想論』の重大な主題は、ある種の非合理の、合理的な擁護ですよね。
〜〜
【宮台】その意味で、非合理性の合理的な擁護を現在実践的に展開しておられる大塚さんにとって、吉本さんが『共同幻想論』において描き出した柳田が重要な位置を占めるのは、納得できますが、今の話に、僕が社会学にルーツがあるということもまた結びつきます。非合理の合理性と言いましたが、吉本さんが非合理な幻想として取り出すものは両義性を帯びています。意識という視座から見ると非合理でありながら、一方でラカンが無意識は言語によって構造化されていると喝破したように--むろんラカンのルーツであるフロイトがそうであるように--無意識は合理的に説明できます。
 無意識は、意識から見ると「変えられない前提」ですが、生活形式から意識を見ると、生活のあり方と密接に結びたものであるがゆえに、社会を変えることで「変えられる前提」です。無意識は、実存的には変えられず、社会的には変えられること。この両義性に注目してきたのが日本の文芸です。たとえば江藤淳は、日本人の、非合理で前近代的な側面を否定しないと、近代のせめぎ合い中での生き残れないとしつつ、単に否定的には扱えないとします。実存的には、日本人が日本人でなくなることを意味し得るからです。
〜〜
【宮台】確かに江藤淳には「ぷよぷよした醜悪なもの」に関わる両義性があります。彼はある種のマザコンだけど、そのことに彼自身は両義的な構えを示します。より一般的に吉本さんの言葉で言えば、我々には「母系的なものの方に傾斜する」心的傾向があるのだけれど、それが我々にとって桎梏であると同時に、我々の本質でもあるという意識です。そこが重要なポイントかなと思います。『共同幻想論』にも、我々の出自に対する来歴否認的な意識と、眩暈の如き陶酔を見いだせます。
 大塚さんが民俗学出自者としてそうであるように、僕も社会学出自者として「来歴否認願望/子宮回帰願望」の両義性に敏感であろうとしてきました。たとえば、ヘルムート・プレスナー的に言えば、子宮回帰願望の如きロマン主義は、教会と世俗王権との癒着によって「父なる神」の如き超越的聖性を樹立することに歴史的に失敗したがゆえの「埋め合わせ」です。ロマン主義とはその程度のショボイ歴史的事情に由来するものである一方で、僕たちの実存を構成してしまうのです。
 ところで、ロマン主義的なものに対する両義性とは、裏返せば近代主義的なものへの両義性で、後者の側面を体現したのがニーチェやハイデガーなどドイツ哲学にルーツを持つフランス現代思想--ポストモダン思想--です。吉本さんは七〇年代末、フーコーやボードリヤールと対話しましたが、この前のニコ生でも申し上げように、あの時の吉本さんの捉え方の出鱈目ぶりに衝撃を受けて、僕は一時期、吉本さんから離れました。その意味を捉え直してみるとこんなふうに思います。
 ポストモダン思想の骨格は「再帰性(リフレキシビリティ)」です。再帰性には、社会学者で言うとルーマンに代表される、社会システムは端的な循環であって根拠がない--「社会の外」の概念も社会システムの内部表現に過ぎない--という社会的次元と、ギデンズに代表される、自己とは社会システムが供給する紋切型で根拠がない--「本当の自己」の概念も市場で売買される商品に過ぎない--という実存的次元があります。後者は、前者への気づきが生み出す派生物ですが、大衆的には理解されやすい次元です。
 フーコーとサルトルの一九六六年の誌上論争がエポックでした。サルトルがシステムの変革契機として主体を持ち出したのに対し、フーコーが主体ないびに主体の言説は全てシステムの生成物に過ぎないと批判したところが、編集者から「そういう貴兄の言説もシステムの生成物ということになるが、そうすると貴兄は何をしていることになるか」と問われ、フーコーが影踏みの比喩ともいうべき論理を以て自己記述をしてみせます。このフーコーの発想は、後期ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム理論」や、ゲーデルの「不完全性定理」などと併せて、二〇世紀後半的な思想のモードというか、通奏低音となりました。
 従来の「合理性を貫徹する/貫徹しない」という二項対立、たとえば「世の中には科学では割り切れないこともある」といった図式が否定され、代わりに「合理性を貫徹することで合理性の貫徹が不可能であることが証明できる」という枠組になりました。つまり一九世紀的な「潜在性の思考」から二〇世紀固有の「自己言及の思考」に変わったのですが、吉本さん自身はそうした思想への感受性が鈍かったですね。
 両者が向かおうとする方向はそんなに違いません。たとえば「だいたいでいい」ということが0・001の正確さに拘泥することによって証明できるのです。ことほどさように「合理的なるものへの両義性」において両者は共通します。加えてフーコーの美学概念に見るように「ロマン主義的なものへの両義性」においても共通します。でも残念ながら思想として交わることはなく、ポストモダン思想の中に吉本さんを位置付ける試みもない。
〜〜
【宮台】今のお話は、うかがっていて総毛立つほどに僕にとって切実な問題でした。僕が九〇年代半ばに女子高生の援助交際問題に関わった最大の理由は「お座敷論壇批判」です。「中流なんて幻想だと説くお座敷論壇人が援助交際を前にして中流的な市民道徳を説く」という愚昧を露呈させようとして、成功しました。その際、「お座敷論壇批判」が吉本さんの「知識人批判」のバリエーションであることを意識していました。
 若い読者のために言うと「知識人批判」とは「知識人/大衆図式批判」であり「前衛党批判」です。要は「エネルギーはないが方向を知る前衛が、エネルギーはあるが方向を知らない後衛を、指導するべきだ」という図式。こうした「知識人/大衆図式」が大衆的に支持された時代が六〇年安保で終わります。共産党が国民運動に敵対し、国会前闘争で機動隊の側に大衆を押し出して逮捕させた事実が広く目撃され、一挙に失墜したのでした。
 そして、それから十年後の学園闘争の際、これは吉本さんの丸山眞男批判に関連しますが、戦後リベラル派知識人たちが示した態度が、文字通りの「知識人/大衆図式」の自明性に乗っかったものだったことが、広く失望を与えます。そこでも吉本さんの「知識人/大衆図式批判」が大きな意味を持ちました。かくして七〇年代の半ばまでに論壇誌の役割は完全に終わり、「七〇歳、団体職員」みたいな人しか読まなくなったというわけですね。
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【宮台】論壇誌は「死んだ」けど、自称他称の論壇人という「ゾンビ」が残っていたので、最後のゴミ掃除をするのが僕ら世代の役割だと思い、実際そう書いていました。ところが「知識人/大衆図式」や「前衛/後衛図式」が失墜した事実が持つ射程の大きさを、僕自身が見誤っていたんじゃないかと思うようになります。それもあって、世紀の変わり目あたりから、国家や天皇や亜細亜主義に意識的に言及するようになりました。
 吉本さんの「関係の絶対性」概念は、大塚さんのおっしゃるように、知識人よりもむしろ大衆の方が世界を知っているはずだという観念が前提になります。でも、その「知っている」ということの意味が、ニコ生では戦間期の今和次郎さんに触れて申し上げたように、非常に微妙なのです。それゆえに、吉本さんの企図どおり「知識人/大衆図式」が崩壊したことで、逆に「大衆が何を知っているのか」という疑念が膨らまざるを得ないのです。
 自分がブルーカラーかホワイトカラーか、大卒か高卒かっていうことが、コミュニケーションの前提になるような社会が終わることは、無条件にいいことです。その意味で「中流意識」を僕は肯定します。その一方、そうなったとき、吉本さんの「関係の絶対性」や「大衆の原像」という概念が持つ批判の射程が、同時に消えてしまうのではないか。抑圧された弱者がいるとします。コミュニケーションの際に自分の出自やポジションを絶えず意識せざるを得ないのは「痛み」です。それゆえに「なぜ彼は痛まず、僕だけ痛むのか」という疑問から出発して、等身大の実存的痛みから社会的全体性へと突き抜けられます。ところが「中流意識」はこうした「痛みから全体性へ」という回路を封鎖してしまいます。
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【宮台】納得します。「痛みから全体性へ」の回路が封鎖されて以降の「中流意識」には、新たな公共性のプラットフォームを切り開く可能性があったはずだというのは、賛成せざるを得ません。先進各国では、六〇年代を通じて中産階級的なものが広がった結果、アルベルト・メルッチやアラン・トゥレーヌによって「新しい社会運動」概念が提示されました。階級闘争史観に基づく社会運動ではない反核運動や消費者運動やフェミニズム運動のことですが、特に重要なのは、一九七九年のスリーマイル島原発事故や一九八六年のチェルノブイリ原発事故を契機に拡がった、「食の共同体自治」としてのスローフード運動と、その成果を前提にした「エネルギーの共同体自治」としての自然エネルギー運動です。
 簡単に言えば、階級意識の如きものの無関連化の後、生活世界の中で社会的全体性に繋がる新しい手がかりを見つけようとする方向に進んだのです。とりわけ一九九〇年前後の冷戦体制終焉以降のグローバル化=資本移動自由化の中で、こうした方向の実践的有効性が実感されるようになってきています。それが日本では全く実現していません。けれども吉本さんのせいじゃなく、大塚さんのおっしゃるように我々の未熟さと言う他ありません。「新しい社会運動」のカケラすら持てなかったからこそ、結果として吉本さんの「大衆の原像」論が浮いてしまったんです。
〜〜
【宮台】先のエピソードに戻ると、この数週間考えていることがあります。なぜ九六年に僕はフィールドワークをやめたのか。僕は「フィールドワークで出会う女の子が喋らなくなって取材ができなくなったからだ」と説明してきた。この説明に間違いはないけど、女の子たちがなぜ喋らなくなったのかをきちんと説明していない。なぜ喋らなくなったのか。今思えば明白です。先に話したことに関連するけど、援交する理由をぺらぺら喋るほどの余裕がなくなったのです。いや、そのことは僕も意識していて、「援交がリーダー層からフォロワー層に拡ったせいで、イタイ子たちが援交するようになった」と説明していますが、これも厳しい。援交から退却したリーダー層の多くがメンヘラー化したからです。
 この件は来るべき論稿で決着をつけるつもりですが、「日常のつまらなさゆえに、冒険的に歩きまわって街を身体化しようという、援交少女たちの先鋭的な営み」を肯定した僕の企図は、今にして思えば呑気でした。そもそも街の身体化などという企図は一過性であらざるを得ません。戦間期前半の一九二〇年代、戦後復興成長期末期の一九六〇年代後半、そしてグローバル化時代初期の一九九〇年代半ば、という具合に、都市を身体化する営みが反復されてきました。ロウ・イエ監督の中国映画を見れば分かるように、現在では中国の都市部でそうした営みがあります。一口で言えば「失われつつあるものの、失われつつあるがゆえの輝き」なのです。
 大塚さんとの援交論争に引き付ければ、それは「痛みの記憶を持つ者たちの輝き」です。結局「援交少女に痛みを感じている」とする大塚さんが概略的に正しかったんです。だから僕はフィールドワークから退却したのです。振り返れば、吉本さんのおっしゃる「大衆による啓蒙」が自分の場合は十分じゃなかったんですね。幸いにも吉本さんを若い頃に読んでいたお陰で、最近になって自分は「関係の絶対性」の探求が不十分だったので「大衆の原像」を取り逃がしたのだと意識できるようになりました。
 僕は長らく断片的理由を以てフィールドワークからの退却を理由づけてきたけど、これは虚偽意識です。正直にざっくり言えば、「割り切れる理論」を使って考えていた自分が、「割り切れる理論」の無効さを突きつけてくる「喋らない援交少女」に直面して、自己防衛のためにフィールドから退却したのだということが、真実なのです。
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【宮台】実践的な指針としては単純です。「その言葉を誰に対しても言えるのか」ということです。僕はお座敷論壇人たちに「中流意識批判者のあんたらの中流道徳的な説教を援交女子高生の前で垂れてみろ、爆笑ものだぜ」と揶揄していました。同じ言い方が僕に対してもできるのです。援交少女についての「割り切れる理論」は、一九九六年までに取材した少女たちの前で語ることができたし、実際語ってきましたが、一九九六年以降の少女たちの前で語ることができなかった。同じく、あるべき性愛コミュニケーションについての規範理論を、下層の女性たちを前では語れない。「関係の絶対性」によって復讐されました。「その言葉を大衆を前にして言えるのか」は吉本さんが持っていた実践的指針です。
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【宮台】吉本さんの「中流意識肯定論」自体、一九九一年のバブル崩壊ないし一九九七年のアジア通貨危機による平成不況深刻化までは、誰に対してでも語れる言葉でした。しかし、それ以降は、誰に対しても語れるものではなくなりました。僕は、吉本さんの実践的指針を、最近の吉本さんの言説自体に適用するべきではないかと思っているのです。
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【宮台】「中流の崩壊」「中産階級の崩壊」は日本だけでなくどこの先進国でも激烈です。映画やテレビの表現を見れば瞭然ですが、アメリカを含めて昔は「中流意識」を前提にした表現が多数ありました。今はノスタルジー以外では撮れなくなりました。吉本さんが「関係の絶対性」への準拠を貫徹される以上、こうした状況に言及して欲しいという思いが僕にはありました。かつては「大衆の原像」概念を支える「関係の絶対性」がありました。ところがこうした構造的前提が崩壊してしまう。ならば「大衆の原像」はどうなったのか。この概念を延命させるとして、中身をどう換骨奪胎するか。それを語って欲しかった。
 我田引水すれば、「大衆の原像」を、大衆自身にとっての明確な規範概念に換骨奪胎して欲しかったです。先ほど「新しい社会運動」の話をしましたが、第一段階は「重化学工業化による中流意識化」によって、第二段階は「資本移動自由化による中流意識崩壊」によって、かつての国民国家規模では大衆が像を結ばなくなりました。そうである以上、欧州がそうだったように、「大衆の原像」が像を結び続けるためにこそ、「再帰性を十分に意識した共同体自治のスモール・ユニットが大切だ」と言って欲しかったと思うのです。
〜〜
【宮台】確かに「大衆がそれを望んでいるなら、いいではないか」という面があります。とはいえ、大衆が普通に生活していたら目に入らないものが多数あり、中には「目に入ったならば確実にこう反応するだろうが、現に目に入らないから反応しない」という面も少なくない。最近の東電の電気料金値上げ問題が典型です。保坂展人世田谷区長が指摘するまで、マスコミを含めて誰一人「契約期間満了までは値上げに応じる義務がないこと」に思い至りませんでした。そういう現象が至る所で起きています。
 吉本さんの思想には、こうした問題にも切り込めるポテンシャリティがありました。先に規範概念うんぬんと申し上げたのも、それに関連します。東電値上げ問題が象徴するように、社会システムの構造的変化によって、「大衆の原像」は現実態というよりも可能態になりました。可能態を現実態とするには、明らかに規範的志向が必要です。今の流れで言えば、マスコミへの〈依存〉をやめ、参加と自治に基づく情報ネットワークを通じて〈自立〉することが必要です。吉本さんの自立思想の本義にも適うはずです。
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【宮台】正直、納得します。大塚さんに電話出演をいただいた先日のニコ生で僕は吉本さんについて否定的に語ったけど、やがて大塚さんのおっしゃるように感じて、しまったと思いました。こんなエピソードがあります。東京カトリック教区の司教団が脱原発声明を出したことです。ある神父が説明してくれたのですが、これは反原発とは距離をとるもので、その際基準になったのは「あなたはそれを誰にでも言えるのか」だったそうです。東電職員にも信者が多数いるということではなく、地域独占的な巨大電力会社に依存し、それゆえに本来ならオフピークのための緊急時調整特約で済むところなのに、病院などでは人命にも危害が及んだ計画停電を容認した自分たちが、原発人災を契機として従来の自らの頬かぶりを棚上げして原発派を敵として名指すのは、反倫理的ではないか、と。
 私の盟友である飯田哲也さんも同じ基準を持っている方だと思います。原発を廃止できるかどうかという問題は、単に、東電や経産省や科技庁や御用学者の権益問題でも、マスコミや政府の情報隠蔽問題でもない。原発の不合理が明らかになっても原発をやめることができない我々の関係性という、とことん深い問題に根ざしています。所詮は権益集団に過ぎない「専門家」や、権力集団に過ぎない「イデオロギー党派」を、無防備に信頼しているかの如く現象してしまうのは、「関係の絶対性」に由来します。口先では批判できても、社会体制として簡単には変えられません。僕の周囲を見る限り、こうした意識が拡がってきました。大衆の営みに学ぶべしという吉本さんの規範命題のエッセンスが、やっと実践的に学ばれてきています。必ずしも吉本さんを介した学びだとは言えませんが、吉本さんが先駆的におっしゃっていたことです。僕自身が読者だったから、よく分かります。
〜〜
【宮台】原発問題については、先の話とも関わりますが、吉本さんご自身の方法を徹底すれば、おのずとかつての立場を維持できなくなるだろうと思います。『「反核」異論』は冷戦体制下で書かれたもので、橋爪大三郎さんが強調されるようにソビエト連邦の西側に対する世論操縦が重大な問題として存在していた。これは重大な関係性の問題です。しかし今は冷戦体制はありません。さらに吉本さんは工学者として、どの技術も未熟で誤りを含むもので、それに立ち向かうことで技術が進歩するとおっしゃっていた。3・11以後も同じですが、間違いです。
 今日の「関係の絶対性」を前提づけるものは冷戦体制ではなく、資本移動自由化です。たとえばヨーロッパが逸早く脱原発方向に舵を切った理由は、地球温暖化の観念論ではない。そうでなく、資本要素価格均等化ないし平均利潤率均等化ゆえに、どのみち新興国に追いつかれる既存産業領域で企業が生き残ることが労働分配率切下げを意味する、という「関係の絶対性」です。だから、新興国が発信できない価値を発信し、その価値に基づく営みを競う市場を作り、労働分配率を確保しようという「産業構造改革」を企図しました。ここには、吉本さんが『「反核」異論』の時に参照した、簡単には動かせない国際的な政治経済体制の中での、妥当性評価の問題があります。とは言うものの、僕のような立場はやはり少数です。3・11以後の反原発運動の大概は「空気」なんですよね。
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