■社会学の基礎概念を説明する連載の第三回です。前回「一般理論」とは何かを説明しま
した。一般理論とは相対的な概念で、(1)できるだけ多様な主題を、(2)できるだけ限定され
た形式(公式)で取り扱えるほど、理論の一般性が高いと見なされることを紹介しました。
■ところが、重化学工業中心の経済段階が終焉して近代成熟期を迎えると、社会的共通前
提が崩壊し、切口が違っても共通の問題(戦後の再近代化に伴う問題)を扱っているとの
意識が薄れ、個別の分野を横断して適用可能な一般理論に対する関心が薄れるのでした。
■加えて、周辺に問題を派生しつつ近代化が進行する時代に、既存分野で扱えない問題(近
代とは何かなど)を扱うとの問題意識に駆動されて生まれた社会学が、講座が制度化され
るに従い、社会への関心を失って自家中毒に陷ったことも一般理論を退潮させたのでした。
■かくして近代成熟期の到来に伴って社会学の一般理論が退潮、社会の不透明性について
の意識が増大しますが、そもそも私たちのコミュニケーションを浸す不透明な前提を考察
するのが社会学の使命だから、今こそ一般理論が要求されているのだ、という話でした。
■さて今回から一般理論の中身に入りますが、社会学で一般理論という言葉を使うように
なったのは戦後のタルコット・パーソンズ(1902-1979)以来であり、当時から一般理論と
は「システム理論」のことを指します。今回は「システムとは何か」をお話しします。
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■社会学の基礎概念を説明する連載の第2回です。前回「社会」とは何かを説明しました。
「社会」とは私たちのコミュニケーションを浸す不透明な非自然的(重力現象などと異な
る)前提の総体で、それを探求するのが「社会学」でした。
■社会学誕生の背景にはフランス革命以降の社会展開がありました。それが、自立した個
人が契約に基づいて社会を営むとする啓蒙思想的な観念の前提たる、透明性に対する信頼
──個人から全体を見渡せるという信頼──を破壊したのでした。
■さて「社会学」なる言葉を使い始めたコントの時代は社会学を他の学問との関係でどう
位置づけるかという抽象的な問題意識が先行しました。ところが「近代社会学の父」と呼
ばれるデュルケーム、ウェーバー、ジンメルになると問題設定が焦点化されます。
■具体的には「近代社会」とはどんな社会で、他の社会とどう違うか。「近代社会」への
移行はなぜ起こったかです。哲学、心理学、経済学、政治学、人類学などから出自した前
述の論者たちが、これらの探求課題に取り組んで「社会学」を自称したのです。
■いまだ大学に「社会学」なる講座なき時代、既成学問で扱えない問題──「近代」とは
何か──に取り組むべく「近代社会学の父」たちがなした営みが、大学に「社会学」の講
座を産み、制度的学問としての「社会学」を誕生させたのです。
■それゆえ、コントとは違って「近代社会学の父」たちの学説は今でも参照され続けてい
ます。大学の講座云々もありますが(後に詳述)、「近代社会学の父」たちの社会学が「近
代」とは何かを解き明そうとする「一般理論」を目指していたからでもあります。
■ここで私たちは「社会」とは何かという問いに続き、「近代」とは何か、「一般理論」
とは何かという問いを手にします。ただし「近代社会学の父」たちが、こうした問いにど
う答えようとしたのかについては、この連載では触れません。
■理由は、連載が、学説史ではなく、最先端の理論に基づく基礎概念説明を目的とするか
らです。今回は、これらの問いが伝統的なものであることを確認した上で、「近代」に関
わる問題は後回しにして、「一般理論」に関わる問題を一瞥します。
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某雑誌で、バーチャル講義の原稿を元にした連載をはじめています。
みなさまにはご迷惑をおかけしたので、ここにも掲載させていただきます。
【はじめに:連載の目的について】
■社会学の基礎概念を幾つか取り上げて説明することが、連載の目的です。本誌の連載群
のように、ビジネス雑誌などに経済学の基礎概念について説明する記事が載ることは、珍
しくありません。ですが、社会学について同じことがなされることは、滅多にありません。
■なぜでしょうか。社会学の基礎概念とは何なのかについて、必ずしも合意がないからで
す。基礎概念についての合意がないので、基礎概念を用いないで書かれた、社会学を自称
する論文が、量産されています。これは学問としては、きわめて奇妙な事態だと言えます。
■基礎概念について合意がないのは、なぜなのか。社会学という学問の目的について、合
意がないからです。経済学の説明対象は、言うまでもなく「価格」です。社会学の説明対
象とは何なのでしょうか。しばしば「行為」であると言われてきましたが、どうでしょう。
■「行為」とは何かということは、連載でも説明する予定ですが、それ自体が大問題です。
それを置いて、日常的な語彙としての行為は、生物学的にも説明できるし、心理学的にも
説明できます。それらとは区別される社会学的な説明なるものは、なぜ必要なのでしょう。
■この問題は、近代社会学の父としてデュルケームやジンメルと並び称されるマックス・
ウェーバーが、『社会学の根本問題』などで当初から意識しており、戦後の社会システム
理論の基礎を築いたタルコット・パーソンズにおいても、繰り返し展開されてきました。
■しかし、80年代に入る頃から、こうした「行為」問題が問われることは、稀になります。
そうした抽象論に実りがないと思われたことも理由ですが、既に細分化された社会学分野
で業績を積み重ねるのに、そうした議論が必要なくなったということが、背景にあります。
■その結果として、「行為」問題に関わる者たちがハッキリさせようとしてきた「社会学
の目的とは何か」という焦点が、社会学者の意識から、ひいては社会学的コミュニケーショ
ンから、すっぽり抜け落ちることになりました。今回は「社会学の目的」をお話しします。
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