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映画『国道20号線』について長い文章を書きました

投稿者:miyadai
投稿日時:2008-07-21 - 13:26:41
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(1)
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富田克也監督(相沢虎之助共同脚本)の『国道20号線』がなぜ世紀の大傑作なのか
──映画が描く〈世界〉の中に私がいるというアレゴリカルな体験の貴重さ──
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■この映画はいい作品かどうか。高校生の時分から映画の出来を評価する個人的な判定規準がある。第一は「〈世界〉は確かにそうなっているな」と思わせられるかどうかだ。後にヴァルター・ベンヤミンを学び、それが「アレゴリー」と呼ばれる性質に関わることを知った。
■このような判定規準を誰かに教わったわけではない。映画の鑑賞体験を通じて自然に身についたものだ。だが私にとって決定的だった鑑賞体験がある。それは中二の時、新宿の『アンダーグラウドの蠍座』で立て続けに見た、若松孝二と足立正生の映画作品の体験である。
■麻布中学に入学した途端、中学高校紛争に対処した理事会側が半年近いロックアウトを行なった。近くの公園で野球をやると一学期分の英語の単位。目黒自然教育園を散歩すると一学期分の理科の単位。学校に行かなくて良かったので、私は映画を立て続けに鑑賞し始めた。
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■SF同好会の動向からニューウェイブSFを知り、山野浩一編集『NW–SF』を読み、同好会の先輩を通じてジャーマン・プログレッシブ・ロックや唐十郎「状況劇場」や寺山修司「天井桟敷」を知り、山下洋輔らのフリージャズを知り、アングラ的なものに関心を持った。
■理由は歴然としていた。小六の秋に上京するまで育った京都で、お祭りに耽溺し、駅裏の広場でジャム煎餅を買って紙芝居屋を見、屋台で花札をやって負けた者が奢るタコ焼きを食べ、円山公園で蛇娘の出し物を見、旅芸人の人形劇に耽溺し、という生活をしていたからだ。
■上京して三鷹に転校して衝撃を受けた。学校が休みになる祭りがなく、時間はのっぺり。どちらの方角も同じような街が拡がっていて、空間ものっぺり。京都は違った。自殺名所の池があり、女の子が何人か殺された岩が山の中腹に見え、被差別部落者が住む地域があり…。
■小六の秋までの私は民俗学的時空を生きていた。小六秋から突然近代的時空に放り込まれた。アノミーになった私は中学高校紛争の中でアングラ的時空に出会った。日本のアングラは反体制と並び反近代を旗印にした。アングラ芝居の多くは民俗学的時空をモチーフとした。
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■若松孝二と足立正生の名前は佐藤忠男氏の映画批評本で知った。『蠍座』は当時の新宿文化地下の倉庫を改造した映画館だった。天井が著しく低く、煙草の煙が充満していた。その中で初めて見た若松作品が、『理由なき暴行』『ゆけゆけ二度目の処女』の二本立てだった。
■どちらのモチーフも共通して「どこかに行けそうで、どこにも行けない」だ。『理由なき』は「小田急線に乗って網走に行こう(!)」という設定に、『ゆけゆけ』は出口に「鍵がかかった屋上」という設定に、モチーフが集約されていた。頭をぶち抜かれる衝撃だった。
■私は「この人だけは俺を分かってくれている」と思った。この人とは若松監督のことだ。『理由なき』の血塗れになりながら壁を伝い歩くラストシーンを反芻し、『ゆけゆけ』で主演の秋山未恥汚が唱う「ママ、ぼく出かける」という歌をただちに丸覚えしてしまった程だ。

 ※宮台が若松孝二監督と親しくなった契機は、十年以上前だろうか、
  若松監督のトークイベントで、宮台が「ゆけゆけ二度目の処女」の
  主題歌を通しで歌ったみせたことだった。会場には作詞者の中村
  義則氏の娘さんがたまたまお越しになっておられた。私は感激した。

■『ゆけゆけ』の台本を書いた足立正生の『銀河系』も程なく『蠍座』で見て、やはり「どこにも行けない」モチーフを見出して感激し、殆ど全シーンを覚えてしまった。中二だった私は「俺を分かってくれるこの人たちは、俺よりも〈世界〉を知っている」と確信した。
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■それ以降私の評価軸が決まった。「〈世界〉は確かにそうなっている」と思えるかどうか。「この人は俺よりも〈世界〉を知っている」と思えるかどうか。両方の問いにイエスだと答えられれば「いい映画」。どちらかないし両方がノーであれば「大したことのない映画」だ。
■以来、自分よりも〈世界〉を知らない者が撮った映画、その意味で自分よりも馬鹿な奴が作った映画だと感じられる作品に触れると、途端にイライラし、映画が始まって五分で退館することも全く珍しくなくなった。またこうした態度が「シネフィル嫌い」を決定的にした。
■大学に入って、東大と立教の蓮實重彦ゼミに顔を出すようになり、シネフィルに辟易した。社会を知らないくせに――否、それゆえに――社会学だけ知る奴がいるのと同じように、〈世界〉を知らないくせに――否、それゆえに――映画にやたら詳しい奴がいる。反吐が出た。
■思えば昨今の邦画は、「自分よりも馬鹿が作っている」と感じさせる作品が多い。「泣かせる映画」や「笑わせる映画」――感情的フックを用いて俗情に媚びる「ウェルメイドな映画」――の大半がそうだ。何千本も映画を観ているから、こちらは仕掛けを先刻承知なのだ。
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■いい映画かどうかを見極める、第二の個人的判定規準がある。「〈世界〉は確かにそうなっている」と思わせるアレゴリーを、一瞬に封じ込めたカットがあるかどうかである。第一の規準が小説などにも適用可能なのに対し、第二の規準は「映画的」と呼べる真髄に関わる。
■この判定規準もまた誰かに教わったわけではない。自然に身についたものだが、振り返るとやはりエポックとなった映画を思い出せる。中二のときに若松や足立の映画を見たと述べたが、高一のときに見たトピー・フーパー監督『悪魔のいけにえ』(74)が、それである。
■この映画はスプラッタ映画の元祖と呼ばれたり、猟期犯罪者エド・ゲインをモデルにした、『サイコ』に続く映画として話題になったりする。それはどうでも良い。私には一瞬のとても印象的なカットが問題だ。レザーフェイスが「獲物」の狩りに失敗するシーンである。
■仕留めたはずの「獲物」が行方不明になり、部屋をおろおろ探し回ったレザーフェイスが、窓辺に座り込む。薄暗い部屋。外は黄昏。レザーフェイスのクローズアップ。唇をペチャペチャ舐めている。彼の目を初めて見る。意外にも狂気より日常化した怯えが浮かんでいる。
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■この一瞬のシーンだけ他とトーンが違う。このシーンで、私たちは、コミットメントからディタッチメントに変化する。喜怒哀楽(恐怖!)の直接性から離れ、「〈世界〉の中にこの男が確かにいるのだ」と受け止める。「ああ、そうなのかもしれない」と思うのである。
■「そうなのかも知れない」を具体的に噛み砕くのは難しい。強いていえば「〈世界〉はたぶんそうなっているのだ」という感覚だ。そこには「世の摂理」が集約されていると感じる。等身大の時間=喜怒哀楽の時間が破れ、非等身大の時間=摂理に身を委ねる時間が、訪れる。
■似たシーンを、コーエン兄弟監督の『ノーカントリー』(07)に見出せる。大金持ち逃げ男を仕留めるべく、彼の自宅にやって来たハビエル・バルデム。だが男は逃げ失せた直後だ。冷蔵庫から牛乳を取り出して、ソファーに座って飮む。その瞬間「あの時間」が訪れるのだ。
■熊切和嘉監督が『T.』創刊号(08)で《日曜日の昼下がりに不意に時間をもて余してしまったような》という実に適切な表現をしている。そう。「時間は誰のためにも流れていないのだ」と感じさせる一瞬である。私たちは、恐怖の直接性から離れ、〈世界〉に接触する。
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■飜ってみれば、先に言及した『ゆけゆけ』にも『理由なき』にも〈世界〉が濃縮された一瞬がある。『ゆけゆけ』では、秋山未痴汚が手摺に顎をのせて少女と一緒に屋上から下界を眺めるシーン。自分からは全てが見える。でも誰からも自分は見えない(見てもらえない)。
■『理由なき』では、三人組が小田急線に乗って網走=江ノ島に出かける道行き。窓外を移動する風景が、午前の光が差し込む車中と併せて、延々と撮られる。三人が口遊む「網走番外地」に感染しつつ、自分もどこかに行ってしまいたい、でもこれは小田急線なのだと思う。
■これらのシーンで、「〈世界〉の中に、少年がいる」「〈世界〉の中に、三人組がいる」と感じた瞬間、観客はオブジェクト階梯からメタ階梯へと連れ出される。と同時に、「〈世界〉の中に、自分がいる」と感じた観客は、自分にとっての〈世界〉を改めて触知するのだ。
■『悪魔のいけにえ』の窓辺を含め、これらのシーンは映画の序盤から中盤までに登場する。偶然ではない。映画がアレゴリカルに指し示した〈世界〉を、まさに自分の〈世界〉だと感じることで、観客にとって映画の意味が一変する。そのことが無意識であれ意図されている。
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■私が「これはいい映画だ」と思う作品は、第一に、〈世界〉は確かにそうなっていると思わせるアレゴリーがあるかどうか、第二に、そのアレゴリーを一瞬の光景に圧縮したかのようなシーンかあるかどうか、で決まる。喜劇か悲劇かアクションかに関係がなくあてはまる。
■そうした受け止め方が、「この人は自分よりも〈世界〉を知っているのだな」と思える映画が観たい、逆にいえば「この映画は自分よりも馬鹿な奴が撮っている」と感じる映画は観たくないという感じ方と繋がる。むろん知能指数でなく、〈世界〉への開かれの問題である。
■邦画でそうした作品に出会うことが滅多になくなった。そう思っていた所で出会った富田克也脚本監督(共同脚本・相沢虎之助)の『国道20号線』(07)は、真の衝撃をもたらした。〈世界〉は確かにそうなっていると思い、〈世界〉が圧縮された一瞬に心底の戦慄を覚えた。
■私が数多の商業映画を差し置いて自主映画『国道20号線』を2007年ベスト1だと評価するのは正真正銘の本気だ。『国道20号線』は既に十回以上見ている。全く見飽きない。見る度に〈世界〉の感触が微妙に変わる。むろん〈世界〉とは私自身が生きる〈世界〉のことだ。
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■作品の序盤で「この映画は凄い」と確信させる2つのシーンがある。第一は、主人公の男と同棲する女が部屋の中で着替えるシーンのバックショット。女の重量感のある半ケツが映る。その瞬間、私は「ああ、この人(監督や脚本家)は〈世界〉を知っている」と直感する。
■ストーリーとは何の関係もないシーンだ。一瞬なので、考え事をしていれば確実に見逃す。そこにはエロチシズムとは関係ない――いや微妙に関係した――うら悲しさがある。何が心悲しいのか言うのは難しい。男が一つ屋根の下で女のケツを眺めるときに感じる何かである。
■序盤のこのシーンだけで私の瞳は倍近くに拡がった。しかし序の口に過ぎない。中盤に差し掛かるあたりで、昼下がりのドンキホーテ前、駐車場に駐めたワンボックスのデッキで、女が主人公の男を待つ一瞬のシーン。目の前を家族連れが通るたった三秒間のシーンである。
■その瞬間「あの時間」が訪れる。女の結婚願望を示唆する説明的シーンだと受けとめる向きもあろう。違うのだ。そこだけトーンが違う。違った時間が流れる。人間関係でなく、摂理の時間。叙情ならざる叙事の時間。「時間は誰のためにも流れていない」と確信する瞬間。
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■この瞬間、作品が傑作であることが、直感から確信に変わった。「この人(たち)は俺よりも〈世界〉を知っている」との直感が、確信に変わった。本当に、そういうふうに感じる邦画にで会うのは何年ぶりだろう。初めてこの映画を観たとき、この段階で既にそう感じた。
■そして、映画を見終わったとき、私は胸が一杯になった。体がひりひり痛くなった。座席から簡単に立ちあがれなかった。八〇年代半ばから十年ほど、全国を回って援助交際やクスリの子たちをフィールドワークしていた間に私に積み重なっていたものが、強く刺激された。
■元暴走族ヒサシは同棲相手ジュンコとパチンコ通いの毎日。シンナー浸りで借金が嵩む。族時代からの友人で闇金屋の小澤が儲け話をもちかけてくるが、悉く失敗、やがて小澤も行方知れずに。ジュンコも失ってしまったヒサシはシンナーの幻覚に手招きされていく――。
■国道20号線沿線が舞台。国道沿線を、カラオケBOX、パチンコ店、消費者金融のATM、ドンキホーテの看板が埋め尽くす。夜になると安っぽいネオンたちが不夜城を形作る。辛うじて方言が場所性を示すだけ。それ以外、地方都市の風景には如何なる場所性も存在しない。
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■『国道20号線』のなかに、私は、96年にフィールドワークをやめる直前までの地方郊外の風景を見出す。正確に言えば、『国道20号線』が描くような地方郊外の在り方が、急速に変わってしまったことが大きな理由の一つとなって、私はフィールドワークをやめたのだった。
■96年といえば、首都圏や大阪圏の援助交際の在り方が激変した頃でもある。それまでトンガリキッズの(カッコイイ系の)女子高生らが援交していたのが、イケテナイ系に変わった。同じ96年頃から、地方都市や地方郊外でも、急速に場所性や地域性が失われ始めたのである。
■それまで大都市圏と地方の援交には違いがあった。地方には地域的共通前提があって、どの辺に住んでいるかでどんな人間か互いに分かるので、比較的警戒せずに出会えた。だが大都市圏には共通前提がないので、女子高生という記号性を前面に出した出会いが専らだった。
■記号性の有無は相場に現れた。地方では、女子高生も女子大生もOLも主婦も一万五千円で横並びだったのに、大都市圏では、女子高生相場だけが四万や五万で、残りが二万から三万だったのである。女子高生という記号的な付加価値に高い対価が支払われたという訳である。
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■援交の現場から見ると、地方に色濃く存在した地域的共通前提が急速に崩れていくのが96年頃だ。それは相場が東京に横並びになることによって示された。記号性の浮上だ。加えて、大都市圏でも地方でも共通して、援交の現場からコミュニケーションが急速に消えていった。
■大都市圏と地方に共通していた所から見ると、記号性の問題とは別に、テレクラやQ2などで出会った相手との間のコミュニケーションへの期待水準が著しく下がらざるを得ない共通の背景があったのだろう。援交に限らず性愛への期待水準が著しく低下した時期でもある。
■地方都市や地方郊外での少年凶悪犯罪の性質も変わった。かつての少年凶悪犯罪は、多くが集団的なものだった。ところが96年の酒鬼薔薇事件以降の少年凶悪犯罪には単独犯が目立つようになる。過渡期を象徴したのが89年の足立区綾瀬の女子高生コンクリ詰め殺人事件だ。
■これは確かに地域の少年による集団犯罪だが、以前と決定的に違う点がある。孤立だ。彼らの数十日に及ぶ暴行過程は、地域にも家族にも介入されなかった。かつてならあり得ない。 従来の不良集団は多くはヤクザにケツ持ちされていたから、そういう勝手は許されなかった。
■80年代末から90年代前半にかけて、不良少年たちを支えていた地域的前提が崩れたのだ。崩れる過程では、まず、不良少年たちが地域の大人たちの関係性から遊離する段階があり、続いて、地域的前提の空洞化で不良少年たちがつるむこと自体が難しくなる段階があった。
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■『国道20号線』には古き良き時代がある。まだ地元の不良少年たちがつるむことができた時代。それも地域のヤクザな大人たちにケツ持ちしてもらえた時代。だから、映画が酷薄な現実を描いていながらも、私には、「パラダイス感」や「居場所感」が感じられるのである。
■『自動車絶望工場―ある季節工の日記』(74年)の著者で、昨今はワーキングプアを積極的に取材する鎌田慧氏と話す機会があった。私は「絶望工場の季節工と、現在のワーキングプア、どちらがキツイか」と尋ねた。物理的にはかつてだが、精神的には現在だと氏は答えた。
■かつての季節工や出稼ぎは、昨今のワーキングプアよりも身体的にはキツイ仕事をしていた。だが彼らには帰る場所があり、仕送りする場所があり、そこで働くことに一定の意味が付随した。昨今では、帰る場所も仕送りする場所もなく、意味の空白に見舞われている、と。
■この意味の空白は、「自分たちがそこから来た場所」が消えてしまったことに由来する。それが消えたのは、地域共同体の空洞化のせいである。こうした彼らは、苦難に耐えた後に帰る場所、あるいはどうにも苦難に耐えきれなくなって逃げ帰る場所をも、失ってしまった。
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■思えば、私が80年代後半に話を聞いた地方都市や地方郊外の「壊れた子」たちは、あれから二十年経った現在、三十歳代の後半から四十歳前後になっている。子供がいれば中高生だろう。あの頃の「壊れた子」たちを今から思い出すと、共通の特徴があったことに気づく。
■それを一口でいえば「本当はマトモだったからこそ、壊れてしまった」という感じである。だから、涙ながらに不幸や悩みを吐露した。取材方法も、当たり障りのない話から入り、今までで一番楽しかったこと、一番苦しかったことを聞いていく、という段取りが有効だった。
■一見するとスレッカラシの「壊れた子」たちは、「期待水準」が低くても(現実に期待していなくても)、「願望水準」が高かった(心の底には自分としての自分の望みがあった)。だから彼らは、こちらのやり方次第では、堰を切ったように話し出し、止まらなかった。
■彼ら彼女らの子供にあたる、昨今の「壊れた子」たちは、もっと「壊れて」しまったように感じる。現実に対する「期待水準」のみならず、心の奥底に潜むはずの「願望水準」まで下がってしまったように感じる。現に全く喋ってくれない。私はフィールドワークをやめた。
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■『国道20号線』に登場する男女は恐らく20歳代後半という設定だろう。とすると、90年代半ばの「壊れた子」たちの、ほぼ十年後ということになる。古き良き不良少年たちの、最後の面影を残していても、不自然ではない。これは、完全に意識的な設定だろうと思われる。
■彼らは(元)「壊れた子」たちであるが、だからこそ、どんなにスレッカラシに見えても、現実に対する落胆(低い期待水準)の向こう側に、心の奥底に折りたたまれたロマン(高い願望水準)がある。そのことを示すキャクラターが、とりわけジュンコと小澤の二人である。
■ジュンコの場合、ドンキの駐車場る駐めたワンボックスカーから家族連れを眺めるシーンで見せる表情が、折り畳まれたロマンの在処を示す。小澤の場合、ヒサシのシンナーを諫め、ビジネスに誘い、悠々自適の海外生活の夢を語る、その存在の仕方自体ロマンチックである。
■だからこそ、ヒサシが国道20号線をバイクで走るラストシーンに被さる小澤の声が重要になる。自死の直前に書かれたねこぢる『ぢるぢるインド旅行記~ネパール編』のモノローグに似た内容だ。即ちそこでは、夢と現実の、死と生の、境界線の曖昧さが語られるのである。
■その声が、ラリったヒサシの幻聴なのか、不良時代に共にシンナーを吸引した頃の小澤の声の記憶なのか、行方知れずの小澤がどこかで呟くのか、よく分からない。はっきりしているのは、古き良き不良少年たちの「パラダイス」が、蜃気楼のように再現していることだ。
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■先日、私がサブカルチャー史の授業を担当する学生たちに、授業の中で『理由なき暴行』のDVDを見せた。カネもなく女もいない予備校生と大学生と旋盤工の三人組。昨今のワーキングプアと似た境遇が描かれている。そこで彼らに問うた。「今と、どこが違うか」と。
■むろん学生たちには瞭然だった。かつての惨めな若者たちは、にもかかわらず、否、だからこそ、たむろできた。だからこそ、どこまでも酷薄な現実が描かれているにもかかわらず、映画はどこかしら甘美な青春映画の匂いを――「パラダイス」感を、漂わせていたのである。
■この「パラダイス」感は、私がフィードワークを始めた二十二年前にはまだはっきり触知でき、フィールドワークをやめた十年前に消えたものだ。もう忘れていた「あの頃」の風景が、『国道20号線』のスクリーンに不意に映し出され、私は取り乱してしまったのである。
■そこには映画が描く世界があるのではなかった。映画に描かれた〈世界〉がとりもなおさず自分の〈世界〉だ――そう感じる体験があった。或いは、普段は忘却したままの自分が生きる〈世界〉のことを、映画が告げ知らせてくれる。辛ければ辛いほど、それは福音である。