「思想塾」開講!!
一年がかりで準備してきた「思想塾」がいよいよ4月20日(水)に開講となります。
以下に設立趣意書を掲載します。
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「思想塾」設立趣意書 代表:宮台真司
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【思想塾の設立経緯:旧ゼミの解体に抗って】
■そもそも私塾の設立は、一連の都立大改変の中でB類(夜間部)が廃止されたことが契機である。93年に都立大に赴任して以来、学部生向け旧宮台ゼミは一貫して夜間部に置かれてきた。理由は、各著書でも述べてきた通り、ゼミの質を高めるためだった。
■第一に、夜間部生の方が平均年齢が高く、社会経験を有する者が多いので、経験が培った内的確かさをベースにした発言が目立つことがある。第二に、社会経験を有する者は、経験に裏打ちされた価値観によって、知識を重み付けして血肉化しやすいこともある。
■第三に、夜間部の最終時限(七時間目)に開設することで、七時半過ぎから十時半過ぎまで三時間以上ぶちぬきでゼミが出来ることも、ゼミの質の向上に役立った。それなりに実りのあるゼミをやるためには(テーマにもよるが)九〇分では短すぎるだろう。
■これらに加え、後述するように三年ローテーションで政治思想史をやり始めたころから一挙にモグリが増えたのも、質の向上に貢献した。院生、左翼団体や右翼団体や宗教団体のメンバー、エコノミスト、ライター、他大学の学生や院生、そして高校生などである。
■年齢は十代半ばから私と同世代まで三十歳もの幅があったが、書物を読んだり、思想や理論を語ったりする場合、三十年前、二十年前、十年前に、それらがどう受け取られたかを直接知る者が同席することは、若い学習者にとって実りが大きい。
■それだけではない。そもそもこれだけ年齢が違い、また立場が違う者たちが一同に会する機会が、いまや極めて珍しい。若い学習者にとってはそのこと自体が社会を知る機会になる。社会を知りつつ思想や理論を学ぶことは、極めて実りの多いことである。
■ところが、B類(夜間部)廃止で、多様な立場のモグリが参加できる時間にゼミを開けなくなった。[経過措置として旧B類生向けに七時間目に開くことは可能だが、首都大学の学生が単位を取得できなくなる]。古くからのメンバーには不利益変更になってしまう。
■そこで、首都大学の最終時限(五時間目)に開設する単位取得可能な正規の学部ゼミとは別に、とりわけ古くからのメンバーにとっての既得の利益が損なわれないように、一年以上前から私塾開設の方向で可能性を探っていたのである。
【各領域のディバイドに抗って】
■従って、私塾開設の目的は、今述べた通り、一つには古くからの学部ゼミ参加者の利益を守ることである。だがもう一つ、重要なことがある。従来のゼミの質を維持することが、社会的な利益に適っていると思われることである。
■先にも述べた通り、旧宮台ゼミには、年齢と立場の違う者たちが多勢集っていた。私の方針で、少なくとも夏休み前には自己紹介を促したり肩書き入りの名簿を作らなかったので、相手の肩書きに萎縮する前に対等に話し合える環境を整えることができた。
■こうした環境がもつ意味は大きい。私が学生だった二十年以上前には研究会活動が盛んで(例えば小室ゼミや言語研究会)、学術出版社の編集者たちが多数出席し、書籍の執筆者を一本釣りしていた。私の『権力の予期理論』(勁草書房)もそうして生まれた。
■編集者たちは、研究者の卵たちのホットな動向に敏感であることができ、研究者の卵たちも、編集者たちとの交流を通じて書籍化に必要な執筆技術を教わることができた。こうした交流環境は、学術系書籍のマーケットを質的に維持するのに必要不可欠である。
■それだけではない。私は院生だった時代にマーケットリサーチ会社に勤務して、学術系以外の一般マーケットを宛先とした文章に、何が要求されるのかを、オンザジョブで学べた。各領域のディバイドが進みつつある今日、こうした学びの必要性は高まりつつある。
■大学院ゼミでも頻繁に述べることだが、かつては許されなかったような思想的無教養が、閉鎖的な社会学者集団の中では許されている。例えば、政治学者が聞いたら仰天するような稚拙な議論が、社会学的権力理論の中で横行したりしている。
■ジャーゴンやコネクションによる防護を解除した場合、自分の言説はどれだけ通用するのか。即ち、そもそも自分の言説の質は、同時代の知性の水準に照らしてどの程度のものなのか。そうしたことを知る機会が(社会学者の卵にはとりわけ)必要である。
■思想塾の活動は社会学をベースにして進められるが、社会学や心理学や経済学や政治学といったプロパー内部でのジャーゴンやコネクションによる防護を、できるだけ解除していく。例えば、社会学会では許される言説も、思想塾では通用しないことがあり得る。
【後期近代における「端的なもの」の露呈に対処して】
■同じく、もう一つ、思想塾の社会的貢献の可能性がある。それは右翼の本質に関わるものである。即ち、思想理解に必要不可欠なコモンセンスが途切れないようにすること、ならびに「魂の系統」「情念の連鎖」の流れを断ち切らないようにすることである。
■古くはプラトン以前とプラトンとの違い、あるいはプラトンとアリストテレスの違いにまで遡り、スコラ神学者においては神の存在の弁証可能性をめぐる対立として再燃した、「主意主義/主知主義」の対立がある。厳密に、前者が右翼、後者が左翼である。
■日本でも戦前の思想者に遡及すれば分かるが、弱者救済への志向、公正さ(平等性)への志向、世直しへの志向は、左翼の専売特許であるどころか右翼の十八番である。第一次近似で言えば、行政官僚組織による集権的再配分の是非を巡って分岐するのがヒントだ。
■色々な規定が可能だが、主知主義とは〈世界〉を知識で覆える(神を合理的に弁証できる)とする立場、主意主義とはそれを否定する立場だと考えるといい。主意主義がそれを否定するのは、意思を知識に還元できない端的なものだと見做すからである。
■パーソンズが『社会的行為の構造』で主意主義的行為理論を提唱したとき、主意主義を主観主義化した。具体的には(相互)行為の偶発性をもたらす、行為者サイドの「ランダムな変数」として、概念化した。確かに「意思が知識に還元できない」からである。
■しかし、この概念化は完全な間違いではないものの、問題を矮小化し過ぎている。何故なら理性は、乱数表を織り込んだシステムを合理的に設計できるからだ。そうではない。主意主義の本義は、主体ではなく、〈世界〉の根源的な規定不能性に関わっている。
■因みに、ルーマンの社会システム理論は、パーソンズによって主観主義化された主意主義概念を、再び〈世界〉の側へと奪還する試みである。ルーマンによって翻案された「二重の偶発性」や「規定不能性」概念に、そうした趣意が刻印されている。
■実は、意思の端的な性質は、〈世界〉の根源的な規定不能性と表裏一体である。派生的には意思を意思することができても、究極的には意思を意思できない。意思は「端的に訪れる」。感情を意思の要素に含めるか否かは論争的だが、感情も「端的に訪れる」。
■アリストテレスは、端的に訪れるものを「パトス」と呼んだ。あそこに山があり、ここに川があり、空が青い、といった事柄も、「選んだ」ものでなく「訪れた」事物。同じく「叱る」のは「選んだ」行為でも、「怒る」のは「訪れた」感情。全てパトスだ。
■〈世界〉に孕まれる、私たちを「訪れる」という性格を、「美学的」な範疇で議論するのがアドルノである。言うまでもなく、モーツァルトの楽曲は、彼が作ったというよりも彼を訪れている(イン・スパイア=霊が入る)から、サリエリよりも「美学的」である。
■だが〈世界〉に孕まれる「端的に訪れる」性格は、知性にとって──あるいは知的に構成されたシステムにとって──規定不能性を構成しうるので、極めて危険だ。だからこれを規定可能性の内側で生じるランダムネスに加工する。それがパーソンズの趣意である。
■ルーマンは、宗教や芸術の社会理論において、〈世界〉に孕まれる「端的に訪れる」性格を、特殊な領域やレイヤー(層)に囲い込んだり隔離したりして、制度と両立可能な形で馴致する機能を有する制度として、宗教や芸術を記述している。その意味は何か。
■確かに私たちが何かを「宗教的」「美学的」「芸術的」と呼ぶとき、端的に訪れてしまうものを制度の内側に囲い込む共同的な所作へと加担している。私たちが複雑な社会システムを営む以上、それは必要不可欠な所作である。問題はそこから先にある。
■囲い込みや隔離は、あくまで擬制に過ぎない。本質的には囲い込みも隔離も不可能である。鈍感な人間はそのことを忘れる。忘れるから主知主義者になる。つまり左翼になる。しかし敏感な人間(=美学的な人間)はそのことを察知する。彼らはどうすればいいか。
■巷ではよく分かっていない向きが多いようだが、今道友信のような美学者や、黛俊郎のような芸術家(音楽家)に、本質的な意味での右翼が目立つのも、そのことに関連する。しかし彼ら自身も思想的な素朴さゆえに「エセ右翼」と癒合してしまいがちである。
■因みにエセ右翼とは、本来は規定不能なものへと開かれた身体を賞揚するはずの右翼が、「これが伝統だ」とか「これが共同性だ」などという具合に、規定されたもの(再帰的伝統・再帰的共同性)への帰依を推奨する立場へと堕落したものを言う。
■但し問題は複雑である。原初的共同体では全成員が〈世界〉の根源的規定不能性へと開かれた身体であり得る。だから「縦の力」に感染する力をもったシャーマニスティックな身体がそこここに溢れている。定期的に祭祀が訪れ、酩酊物質(麻薬)も使われる。
■だがこうしたあり方は社会の複雑性と両立しない。例えば、集権化した高文化社会へと進化するには、これらバナキュラーなシャーマンを削除し、頂点だけが聖性を独占する必要が出て来る。更に、近代の複雑なシステムも、酩酊物質を禁止しないと回らない。
■複雑なシステムの恩恵を受けている私たちは、如何に規定不能性へと開かれたくても、エセ右翼と同型の「規定不能性の規定可能化」という擬制(再帰化の擬制)の恩恵を、常に既に享受している。だからエセ右翼を単純に批判して済む話ではない。
■しかし、逆に単に肯定することも不可能である。エセ右翼は左翼と似ており、実際に左翼からの転向組だらけだ。なぜこれらを肯定できないか。それは彼らが「問題」の解決に必要な内発性を──意思を──知識(規定可能なもの)によってスポイルするからだ。
■みんなが平等であることは大切だ。でも「みんな」って誰のことだ。人間全部のことか。だったらなぜ人間だけを平等の宛先にするのか。境界設定にはいつも根拠付け不可能な端的なものが入り込む。そこに左翼は合意を持ち込み、エセ右翼は伝統を持ち込む。
■まさにそれこそが「規定不能性の規定可能化」の所作である。複雑な社会においてそれは必要不可欠ではある。しかしそれが必要であると言い得るためにすら、実は境界設定へと向けた端的な意思の「訪れ」が必要になる。即ち、内発性が必要になる。
■かつて貧しい時代には、社会での上昇に──社会でのポジショニングに──意味が与えられた。社会内での位置を欠落させた者どもが、位置を回復させることに強度を見出すことができた。だが、豊かな社会ではもはや社会内での位置の欠落は問題たりえない。
■豊かな社会は、むしろ社会自体が位置を欠落させている。だから社会での上昇が〈世界〉での下降を意味するかも知れない。社会の中であくせくするのはツマラナイという感覚が拡がる。そこでは再び、社会の外が、〈世界〉が、内発性が、問題になりはじめる。
■オウム真理教を巡る事件は悲惨であり滑稽でもあったが、これを本質的な意味で克服するには、今述べたような後期近代(近代成熟期)固有の問題を背景とすることに敏感であらねばならない。その意味で、左翼的であるより、むしろ右翼的である必要がある。
■思想塾では、そのような敏感さを育て上げるための訓練を施すことで、後期近代の社会が突きつけてくる問題に対処可能な人材を養成する。実はそのことが、政策的にも実存的にも、最も必要とされている。だから思想塾の営みも、政策的であり実存的である。
■因みに規定不能な端的なものとしての意思を「魂」ないし「情念」と呼んでいる。これらの言葉はエセ右翼的な手垢にまみれているが、その形式的な意味は完全に論理的に説明できる。ことほどさように思想塾では、論理的思考の否定どころか徹底をこそ要求する。
【具体的なプログラム】
■思想塾では、首都大での学部ゼミや大学院ゼミと連動する形で、三年ローテーションで「近代西洋政治思想史」「近代日本政治思想史」「戦後日本政治思想史」を学ぶ予定である。(但しローテーションを早める可能性もある)
■「近代西洋政治思想史」では、最先端の政治理論や社会理論(「第三の道」論、社会システム理論、フランクフルト学派第四世代の理論)を理解することを目標に、初期ギリシアの思想や中世のスコラ神学者の思想に遡りつつ、ホッブズやロック以来の流れを学ぶ。
■「近代日本政治思想史」では、明治維新以降とりわけ戦間期の日本思想を集約的に示す「近代の超克」論を徹底的に理解することを目標に、西郷隆盛、岡倉天心、北一輝、大川周明、石原莞爾、折口信夫、西田幾多郎といった亜細亜主義的な思想の系列を学ぶ。
■「戦後日本政治思想史」では、うってかわって丸山真男に代表される戦後のリベラルな政治思想の意味を徹底的に理解することを目標に、長谷川如是閑ら戦前のリベラル思想や戦前の左翼思想の流れにも遡りつつ、戦後の日本思想の系列を学ぶ。
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※思想塾の会員になるには、(1)会員による紹介、(2)執行部による審議、(3)代表による決済、という手順をクリアする必要があります。
※会員数は、毎回の出席者が二十人前後になるような規模に調整することとし、紹介申請のバックオーダーから三ヶ月ごとに上記手順を経て不足人数分を新規加入させます。
※会員による紹介は、面識のある場合に限定します。代表を含めた会員の元には面識のない方々からの会員申請が続々とありますが、残念ながら一切受け入れられません。
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