昨年末に上梓した
『「絶望の時代」の希望の恋愛学』が大変な売れ行きです。Amazonでは2週間以上にわたり欠品が続くという異常事態になりました。イベントを現場やネット配信で見た方々から、多数の苦情をいただきました。我々の側に目算の誤りがあったためで、改めて心からお詫びを申し上げます。三日ほど前にAmazonでもようやく当日配達も可能な在庫がととのいました。
さて、お詫びとして、
『希望の恋愛学』に収録されなかった文章を掲げます。
『希望の恋愛学』は電子書籍
『宮台真司 愛のキャラバン』を底本にします。(ただし、まえがき、第Ⅰ部、あとがき、と合計80枚以上加筆があります)。この
『希望の恋愛学』には
『愛のキャラバン』のあとがきを収録予定でした。ところが最終ゲラの段階で出版コストの事情で収録をやめることにしました。
収録されなかった「電子書籍版あとがき(抄)」を以下にアップロードします。何とか収録して貰おうと、オリジナルのあとがきを、半分に縮めたものです。読み直してみると、冗長さが削られ、ストレートになって、なかなか良い⋯。そこで、迷いましたが、あえて、オリジナルならぬ「抄」をアップ致します。
『希望の恋愛学』を含む僕らのプロジェクトの初期段階のノリがわかります。
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電子書籍版あとがき(抄)
【ちまたの「ナンパ塾」への違和感】
昨今は「ナンパ塾」がブームだ。ナンパブロガーたちにも注目が集まる。僕には違和感がある。第一に「自己啓発」に意識が集中しがちな点。第二に、女性を〈物格化〉しがちな点。第三に「ナンパ塾」の指南は全てが「番ゲ」から「セックス」までに集中する点。
巷には「相手が見つからない悩み」とは別に「相手に深く関われない悩み」が増加中だ。「深く関われない悩み」は自己啓発化や
〈物格化〉と関わる。これら関連し合った問題に切り込んで処方箋を書く若者に出てきてほしい。そこで見本になるイベントがしたかった。
だから本書で「ナンパ」という言葉を使うものの、巷にありがちな「セックスまで」の
前半プロセス=〈踏み込み〉だけでなく、「セックス以降」の
後半プロセス=〈深入り〉を含む。それどころか僕らの関心は専らそこだ。読者の関心もそこにあるべきだと信じる。
少子化をもたらす晩婚化や非婚化を手当てすべく、市町村がマッチングサービスに腐心する。だがどんな関係を構築すべきか触れない。生き方から世界観にまで及ぶ価値観が関わるからだ。行政が下手に踏み込めば、市民や議員に追及される。ならば民間しかない。
【プライバシー開陳というハードル】
でもそんな民間はない。民間の講座は価値観に踏み込めない。イベントをして理由が分かった。経験を語らねばならないからだ。ファシリテイターは、語る価値のある経験を持ち、プライバシーを開陳しなければならない。だが、それが不可能ではないことを示せた。
登壇者はプライバシーを開陳した。リスクを冐した登壇者の皆さんに敬服する。それでも僕たちは多くを語り残した。なぜか。僕たちは観客を
〈変性意識状態〉に導くことを決めていた。さもないと登壇者がプライバシーを深く明かしたところで空振りに終わる。
〈変性意識状態〉には流れがある。流れに沿わないと
〈変性意識状態〉に水をさす。だからジャズ・インプロビゼーションのように、他のミュージシャンたちとオーディエンスの呼吸を見ながら、適切なプレイだけ選択する。いきおい、事前計画の多くを語り落とす。
僕も語れなかったことがあった。ナンパを始めざるを得なかった動機を語ったが、何に
ミメーシス=〈感染〉したのか語らなかった。だがこの種の振舞いを起爆するのはロールモデルへの
〈感染〉だ。モデルがないと
〈踏み込み〉の困難も
〈深入り〉の困難も想像を絶する。
【混乱の日々が導いた奇蹟的な邂逅】
僕が「声掛け」に乗り出すようになったのは1982年つまり23歳の大失恋後。それから83年にアウェアネス・トレーニングに接触するまでの間に、重大な出遭いがあった。その出遭いは僕は感染をもたらし、やがて「声掛け」へと向かわせた。それが本書に繋がる。
早稲田大学教育学部教授の丹下龍一先生(故人)との出遭い。初めて訪れた研究室の壁一面にジェーン・フォンダのポートレイトが飾られていた。先生はフィリピン人と見紛う濃い目の風貌で、日に焼けた小柄な体躯をラフな開襟シャツとジーパンで包んでおられた。
エスノメソドロジーの社会実験をする社会学者だと伺っていた。研究室を訪れると先生はカセットテープを再生した。丹下先生と若い女性の二人の会話が収録されていた。テープが進むと、別の若い女性との会話になった。「何だと思う?」と先生が尋ねられた。
皆「よろしくお願いします」から始まり、故郷のこと、親のこと、高校時代のことなどを喋った。先生が明かした。「ホテトル嬢をラブホに呼んで会話している。客に身分を偽るホテトル嬢に、どれだけ短時間で本当の身分を語らせられるかを、実験してるんだ」。
先生は「免許証などを見せてもらって裏を取っている」と語られた。何のための実験か。先生が仰言った。「知らない人と一瞬で親しくなるのは難しいと誰もが思う。その前提が都会に生きるのを難しくする。でもそれはコミュニケーションの仕方を知らないからだ」。
そのとき窓から下を見た丹下先生は脱兎の如く研究室を飛び出して行かれた。先生は樹の下で小さな女児の隣にしゃがみ何か話しておられた。戻られた先生は「俺が言う知らない人は年齢を問わない」と仰言った。呆気にとられていると「晩飯でも食いに行こうか」。
一緒に歩いていると、先生は歩道ですれ違った若い女の子にぱっと振り返って追いつくと、たどたどしく「日本に来たばかりでよくわからないんですが、道を教えてもらえませんか?」と仰言った。やがて先生は僕を残して女の子と二人でどこかに姿を消された。
【関係した方々への御礼、そして…】
残された僕には先生の
〈黒光りした戦闘状態〉とでもいうべき感触が残った。数日後、僕は街頭で「丹下先生を反復」していた。「不案内なおのぼりさん」として女の子に道を尋ねていたのだ。親切な子もいて、案内してもらったお礼に「お茶でも」と切り出した。
知らなかった世界が開けた。なぜ自分は丹下先生を反復したのか。失恋の痛みを忘れるためか。劣等感を埋め合わせるためか。分からないことだらけ。程なくアウェアネス・トレーニングに出遭い、更に二年してテレクラに出遭った。全出発点は先生との邂逅だった。
邂逅の前には失恋があって混乱が続いた。それが邂逅を導いた。思えば高石宏輔氏にも公家シンジ氏にも最初に激しい混乱の日々があり、それが邂逅を--人であれ出来事であれ--もたらした。「ワンランクアップ」の自己啓発から程遠かった。互いを通底する共通項だ。
イベントに登壇されたお二人と、鈴木陽司氏に、心から感謝申し上げる。イベントを企画した院ゼミの立石浩史君、書籍化実務を担当した中野慧君にも御礼を申し上げたい。わざわざ予約して深夜に来場され、質問をお寄せ下さったお客さん方にも御礼申し上げたい。
妻の由美子と、娘「はびる」と「まうに」、じきに生まれる男児「うりく」。過去の出鱈目地獄に辛うじて意味があったと思えるようになったのは妻や子供らの御蔭だ。あの混乱の日々なくして妻との出会いも子供らとの毎日もない。その思いが動機づけを与えた。