廣松渉先生について語りました。前半部分だけ掲載します。やがて『情況』に全体が掲載されます
<広松渉との交友>
宮台 廣松渉さんとの出会いから。お顔を拝見したのは一九七八年。東大・駒場キャンパスに通っていて、当時の2号館で廣松先生の講義を拝聴しました。授業は大人気で立ち見状態。教壇の前まで立ち見が埋まり、廣松さんが「まるで立ち会い演説会ですね」とおっしゃったのを覚えています。
廣松さんを意識したのはそれに先立ちます。僕は中二で若松孝二と足立正生の映画にハマりますが、映画批評家で第四トロツキスト同盟元活動家の松田政男さんの本がきっかけです。麻布中の図書館にあった松田さんの『薔薇と無名者』に廣松さんのことが書いてあって、東大に入ったら廣松さんの所に行こうと思いました。
「廣松さんは哲学者の姿をした革命家だ」という旨が書いてあったのですが、若松さんと足立さんを「映画作家の姿をした革命家だ」と思っていたので、似ているぞと。松田さんは「表現を通じた意識変革」を目指すグラムシ主義者なので、そんな在り方を推奨するんです。因みに松田さんや足立さんの周辺は六九年から〈風景論〉の論陣を張っていました。
永山則夫連続射殺事件があった際、旧左翼の人たちは、見田宗介の『まなざしの地獄』が典型的ですが、「田舎から東京に出て、都会から疎外された」という図式で見ました。若松プロ周辺の新左翼はそうは考えず、「田舎から東京に出て来たが、風景が何も変わらなかったことに苛立った」と見て、これを松田さんが〈風景論〉と呼んだのです。
宮台的に言えば、〈ここではないどこか〉に行こうと上京したが、東京が〈ここ〉でしかない事実に苛立ち銃弾を発射した。〈どこかに行けそうで、どこへも行けない〉。ハイデガーに従えば、人に固有な理性の働きゆえに、〈ここではないどこか〉を〈ここ〉にもたらした途端やはり人は〈ここではないどこか〉を夢想する。〈脱自〉と言います。
若い頃リッケルトとマッハとハイデガーの影響を受けた廣松さんの物象化論は〈風景論〉です。〈ここではないどこか〉に「失われた楽園」があってそこに行けば救われるという〈本質疎外論〉を否定する。つまり、たとえ「楽園」が〈ここ〉にもたらされても、「そこが本源だから、〈ここではないどこか〉はもうない」とする発想を否定します。
松田さん経由で高校で『世界の共同主観的存在構造』『事的世界観の前哨』を読み、これは〈風景論〉だと思い、ハマりました。それが廣松さんのところに行った理由です。五木さんと廣松さんとの共著『哲学に何ができるか』が出版されたのは一九七八年。僕が大学に入った年で、出版直後に読みました。大学の生協には山積みでした。
<広松の背後にあるもの>
宮台 僕は七三年まで続いた中学高校紛争の最終世代。紛争の中で最初に読んだのが、『マルクス主義の地平』と『マルクス主義の理路』です。そんな経緯もあって、僕は廣松さんを哲学者だと思ったことがなく、マルクス主義まで含めた哲学の〈真理の言葉〉を、機能的・戦略的な道具として使う印象を持ちました。
それだけでなく僕は廣松さんをマルクス主義者だと思ったこともない。五木さんの仰る通り、廣松さんは亜細亜主義者だと考えます。因みに十年程前、戦旗の主催で南京大学出版記念イベントがあり、「廣松はプロレタリアン・インターナショナリズムでなく亜細亜主義だ」と話したら、面白いことが起こりました。
今は亡き荒岱介が立ち上がって「宮台! 何を言うか。廣松こそがまさにプロレタリアン・インターナショナリズムだ!」と叫ぶと、塩見孝也が立ち上がって「いや、全く宮台の言う通りで、廣松さんは亜細亜主義者だ」と反論。すると奥様がスッと立ち上がり、「廣松の口癖は『尊皇攘夷』でした」と。これで全てに決着がつきました(笑)。
亜細亜主義者には、明治前期の岡倉天心に遡れば「力の文明か、美の文明か」、あるいは戦間期の石原莞爾や大岡周明であれば「欲望国家か、道義国家か」といった二項図式を使う。廣松さんも同じで、「実体主義か、関係主義か」あるいは「ギリシア的伝統か、仏教(中観派)的な伝統か」の類の対比は〈亜細亜主義的二項図式〉そのものです。
実際、廣松さんは軽口で「ロスケ」という蔑称を使いました。彼をマルクス主義者として理解すると間違います。廣松さんはマルクスから決定的なことを学んだのではない。物象化論を含め、彼自身に元々内在する世界観をマルクスに読み込んだ。もっと言えば、マルクス主義を改鋳し、彼の世界観に引き付けた。
「だから廣松は素晴らしい」というのが僕の考えです。マルクスとエンゲルスに対する解釈が正しいか、哲学者としてオリジナリティがあるか、僕には関係ありません。関係あるのは、マルクス主義でさえ廣松世界観に合わせて改鋳するほどの〈ヴィルトゥ virtu〉(内から湧き上がる力)の存在だけです。
ロマン主義は〈超越への志向〉です。正確には「不可能と知りつつ超越に近づこうとする志向」。廣松さんそのものです。佐藤優さんが『共産主義を読みとく』で、マルクス主義における疎外論は〈失楽園譚〉でキリスト教的だとした上、廣松さんはそれを明示的に否定して物象化論を展開したから、反キリスト教的だとします。
ミスリーディングです。実は物象化論も一種の疎外論です。疎外論には〈本質疎外論〉と〈受苦的疎外論〉があるのです。〈本質疎外論〉は本来性からの疎外を考えます。本来あるべき状態から離れているとの意味で、多くは本来性が始源に想定され、本来性を取り戻すことが救済になる。疎外論的マルクス主義における革命がまさにソレ。
〈本質疎外論〉では「本来性からの疎外」が問題ですが、〈受苦的疎外論〉では「別であり得た可能性からの疎外」が問題です。〈世界〉はいつも「本来なら別様であり得たのに、これでしかあり得ない」というふうに現れます。〈世界〉はいつも「別様であり得た可能性」と共ににあり、我々はいつも「別様であり得た可能性」から疎外されている。
〈本質疎外論〉では〈ここではないどこか〉から疎外されない最終のここ〉を考えますが、〈受苦的疎外論〉では、人が理性ゆえにどんな〈ここ〉にも〈ここではないどこか〉を対置する以上〈ここではないどこか〉からの疎外は克服不能とします。にもかかわらず、両者共に〈ここ〉が〈ここではないどこか〉から隔てられているという意味で、疎外論なんです。
廣松さん的には〈ここではないどこか〉を探す旅にゴール---最終的な〈ここ〉---があると見做す〈本質疎外論〉は、本来性という「ゴールの物象化」ゆえに誤り。でも、ゴールを初めから到達不能と見做しつつ永久に〈ここではないどこか〉を求める旅を奨励する〈受苦的疎外論〉は正解。まさに「不可能と知りつつ超越に近づこう」とする初期ロマン派です。
〈本質疎外論〉に対置される物象化論は教義学的に〈受苦的疎外論〉です。ロマン派に擬えれば、到達「可能」な全体性(民族精神!魔の山!)を想定する後期ロマン派---ナチス思想の母体---が〈本質疎外論〉の形式で、全体性は到達「不能」だと当初から見做す初期ロマン派は〈受苦的疎外論〉の形式です。実は観念史的に反復されてきた差異の形式なのです。
小林敏明さんも『廣松涉---近代の超克』という伝記の中で---僕の言葉でパラフレーズしますが---九州で育った廣松渉さんが、東京を〈ここではないどこか〉だと夢想して上京したものの、東京も〈ここ〉でしかなかったことが原体験となり、〈ここではないどこか〉の夢想が不可能性と結合し、独特の文体となったとする。本質をついています。
これは『連続射殺魔』(1970年)を撮った〈風景論〉者の若松孝二と足立正生が、ドキュメンタリー素材の永山則夫に読み込んだ事情と同一図式です。彼ら曰く、永山則夫もまた、〈ここではないどこか〉を求めて東京に出てきたものの、そこは津軽と大差ない〈ここ〉にしか過ぎず、どうにも変わらない風景を切り裂くために銃弾を発射した⋯。
因みに、佐藤優さんの指摘通り、廣松渉さんは新左翼を究極には信じていませんでした。思うにその理由は、新左翼が、永久に到達不能と知りつつ〈ここではないどこか〉を希求する実存主義的なものだと知っていたから。廣松さんは「実存主義的構えが貫徹できれば、革命が成就しなくてもいい」とは考えなかった。それ自体を実存的不徹底だと見たんです
左右概念を確認すると、資本主義の肯定否定、再配分の肯定否定は関係ありません。北一輝や石原莞爾のように「資本主義を否定する」右翼、「再配分を肯定する」右翼が戦前は珍しくありません。初期ギリシアに辿れば「理想社会を実現すれば人は幸せになる」とする〈主知主義〉が左。「理想社会を実現しても人は幸せにならない」とする〈主意主義〉が右。
戦前はこれが常識。〈主知主義〉と〈主意主義〉の差異は19世紀初頭に活躍したプロテスタント神学者シュライエルマッハによる弁神論分類が参考になります。「全能の神が創造した世界に悪があるのは変だ、全能の神などいないのではないか」といった議論に対して神の存在を弁護する議論が〈弁神論〉です。これを巡りスコラ神学が分岐しました。
世界に悪があるのは「神の計画」だとするのが〈主知主義〉者。むろん相対的存在である人間には、絶対神が何をどう計画しているのか最終的には判りません。これに対し、神は絶対的存在だから何をも望み得るとするのが〈主意主義〉者。神の意図は端的なもので、神が気まぐれだったり悪を意図したりすることが妨げられません。
〈主意主義〉者からすれば、創世記が人は神の似姿とする以上、人の意思も端的なもの。合理的だから意図するとか、非合理だから意図しないとかは、意図の本質からズレます。因みに社会システム理論の創始者タルコット・パーソンズは、計算合理性から外れた意思を勘案した自らの行為理論を「主意主義的な行為理論」と名付けました。
〈主意主義〉者の言うように人の意思が端的ならば、理想社会が肯定する善悪枠組の内側でだけ人が意思するとは限らず、その場合は理想社会の善悪枠組が意思を挫きます。だから「理想社会を実現しても人は幸せにならない」。他方、〈主知主義〉者にとって人の意思は計算可能なので、周到な計算で「理想社会を実現すれば人は幸せになる」のです。
麻布が叛旗派や中核派の拠点だったので、「理想社会を実現すれば人か幸せになる」とする〈主知主義〉が「旧左翼」、理想社会を実現しても人は幸せにならないとする実存主義(〈主意主義〉)が「新左翼」だと、中学で知りました。後者は「マル存主義(マルクス主義的実存主義)」とも呼ばれていた。先の戦前的尺度で言えば「新左翼」は右です。
冒頭の説明とマッチさせれば、〈ここではないどこか〉の探索に終わりがあるとする〈本質疎外論〉は〈主知主義〉的であるがゆえに左翼的。他方、ハイデガーが理性概念を用いて示すように〈ここではないどこか〉の探索に終わりがないとする〈受苦的疎外論〉は〈主意主義〉的であるがゆえに右翼的。そして廣松さんは後者。
「新左翼」は、戦前右翼と同様、〈主意主義〉的であるがゆえに実存主義的です。〈主知主義〉を否定する分、徹底した計算合理性の貫徹で革命をもたらそうとする態度が欠如しがち。廣松さんはこれを革命意志の弱さだと捉えていました。だから徹底した計算合理性の貫徹を目指す共産党ないし講座派に近く、能天気な労農派を嫌いました。
<宗教・哲学そして廣松渉>
宮台 宗教の話に引き付けると、「これが本来的だ」と名指せると信じる宗教と、「本来的なものは名指せない」と信じる宗教の、二つがあります。千年王国論を信じるアメリカのエヴァンジェリカルズ(福音諸派)が、名指せると信じる宗教の典型です。これに対して、スピノザ的な汎神論は、名指せないと信じる宗教の典型です。
キリスト教は微妙です。神の命令を戒律として名指せるとするパリサイ派のヤハウエ信仰に対し、イエスが真のヤハウエ信仰ではないと却けたからです。ユダヤ民族は北王国がアッシリアに征服されてから南王国がバビロニアに征服されるまでに、生贄を捧げることで神の救いに預かろうとする振舞いが、神と取引きする瀆神的な営みだと気付きます。
以降のヤハウエ信仰は〈生贄から贖罪へ〉とシフト。瀆神的な営みを含めた罪ゆえに神が救ってくれないのだと理解する。かかる理解へのプロセスがトーラー(旧約)に刻まれます。これは五百年余りかけて練り上げられますが、一貫した理解ができないように書かれています。新約の四福音書の間も矛盾だらけ。なぜか? 理由が重大です。
ユダヤ民族は、生贄を授けることで救いにあずかろうとする振舞いが、取引きで神を制御しようとする瀆神的な営みだと気付き、続いて、罪を犯さぬことや犯した罪を利他行で贖うことで救いに預かる振舞いも、取引きを通じて神の偉大さを傷つける営みだと理解します。神は絶対的存在で、相対的存在である人間と取引きなどする訳がないと反省します。
相対者は絶対者を理解できないという〈原罪譚〉は重大です。でも、それが含意するのは、取引きによる約束があるとして善行をなす者は、自らが救われたい余りに絶対者の意思を矮小化するエゴイストだということです。自分が救われたいのは自意識つまり〈自己〉の問題。社会に救われるべき人がいる(から救う)のは〈世界〉の問題です。
トーラー(旧約)が頁をめくるごとに矛盾するように書いてあるのは---例えば創世記第1章では神は一日で人を作ったとあるのに第2章ではアダムが寝ているときに肋骨からイヴを作ったとある---、神の言葉をリテラルに読み取れないようにすることで、「神の言葉通りに振舞うことで救い預かろうとする瀆神者」が出てこないようにする工夫です。
でも「それじゃ救いに預かれないので困る」ということで、トーラーを書き換え、守ったか否か確認できるミツヴァ(戒律)を作ったのがパリサイ派。このパリサイ派を「〈自己〉の問題を神のメッセージという〈世界〉の問題と取り違える、浅ましき頓馬」と断言したのがイエス。四福音書の「マグダラのマリアの挿話」の意味もそこです。
吉本隆明から小室直樹を経て橋爪大三郎さんまで「ユダヤ教が〈戒律宗教〉だったのを、イエスが喩を通じて〈内面宗教〉にした」と言います。聖書学的には誤り。イエスは、ユダヤ教は元々戒律宗教ではないとして元の姿の回復を企てたんです。マグダラのマリアの話も、トーラーとミツヴァが等価だとは実はラビでさえ思っていない事実を、指し示したもの。
ところがイエスの死後、ローマ戦争を挟んでユダヤ教がパリサイ派方向に特化、イエスを含めた改革運動を切り捨てたので、ユダヤ教が〈戒律宗教〉でキリスト教が〈内面宗教〉だという分化が生じました。この分化を以て「キリスト教の誕生」と見做し、イエスがユダヤ教改革派だと見做されていた時期までのものを「原始キリスト教」と呼びます。
この経緯が示す通り、イエスが理解する元々のユダヤ教は---従ってイエスの言行に由来するキリスト教も---「これが本来性だ・全体性だ・超越だ」とは名指せない神学的構造を持ちます。神の意図を名指せると見做すと、神を取引きで制御する瀆神的な振舞いに及びがちです。イエスの理解する〈原罪譚〉はこうしたものです。
創世記にある通り、楽園追放の理由となる原罪とは、人のなす区別(善悪判断)を神のなすそれと等置すること。神のなす区別と違い、人のそれは必謬的。例えば、時間性に着目すれば、「人間万事塞翁が馬」で結局何が善いのか人には判らない。また空間性に注目すれば、集合論的にどんな包摂(内の平等)も排除(外への差別)を含まざるを得ない。
また、禁忌を破って知恵の木の実を食べ、必謬的な区別(善悪判断)をなすようになって楽園を追放された人間が、知恵の木の実を食べる前の楽園生活の記憶を、論理的に持たないことも、大切です。人間は楽園生活の本来性を原理的に知らないから、楽園生活の本来性は取り戻せない。だから〈失楽園譚〉を〈本質疎外論〉としては読めません。
人には全体性が不可知なので必ず誤る(のにそれを忘れる)とする妥当な〈原罪譚〉と、人は楽園生活に戻ることは論理的に不可能なので永久に誤りによって苦しみ受け続けるとする妥当な〈失楽園譚〉は、人為による救済を徹底否定する点で、〈本質疎外論〉よりも〈受苦的疎外論〉です。その意味で、むしろ廣松さんの構えにこそ似ています。
因みに〈本質疎外論〉は、回復すべき本質や全体性を知り得ると見做す〈主知主義〉で、社会的自明性の欠如ゆえに絶えず全体性を参照したがる、実念論(普遍実在論)を含んだ大陸合理論に近縁。他方〈受苦的疎外論〉は、本質や全体性を依存的心性の表れと見做す〈主意主義〉で、社会的自明性ゆえに経験を参照したがる、唯名論を含む英米経験論に近縁。
廣松さんは後者です。廣松さんはドイツ観念論出自なのでそれが判りにくいですが、ドイツ観念論にも、〈主知主義〉を嫌って〈主意主義〉を推奨した初期ギリシアを参照しようとする古代ギリシア文献学者の系譜、つまりニーチェとハイデガーがあります。廣松さんはハイデガーの影響を受けた分〈主意主義〉的で、從って実存主義的なのです。
シュライエルマッハの思考伝統に従えば、〈主知主義〉が左、〈主意主義〉が右の定義だと言いました。廣松さんは「晩年に東亜新体制論を語ったから亜細亜主義的な右だ」と言われますが、それはどうでもよく、廣松さんは〈本質疎外論〉を否定して〈受苦的疎外論〉にコミットする〈主意主義〉だから、右でしかあり得ないんです。
キリスト教を〈本質疎外論〉だとする俗論は、確かに福音諸派には当て嵌まるし、一般信者レベルでは他の宗派でも広く信じられるけど、今日の聖書学では否定されるし、聖書重視を打ち出した第二バチカン公会議以降のカトリック聖職者も多くは俗論を否定する。廣松さんは〈本質疎外論〉を否定するから反キリスト教だというのは、当たりません。
宮沢賢治の話が出ました。賢治も〈主知主義〉を否定するがゆえに〈本質疎外論〉を否定する点、廣松さんに似ます。遺作『銀河鉄道の夜』は途中で編集が変わってデタラメな内容になったまま現在に到りますが、元々は賢治が何ゆえ満州事変首謀者石原莞爾や上海事変首謀者重藤千秋と同じく国粋的な日蓮主義団体の國柱会に傾倒したのかを示すものです。
藤城清治率いる木馬坐の影絵劇『銀河鉄道の夜』を教育テレビで観て、学校の図書館で読んだのが1966年、小二のとき。ところが1968年に図書館で再読して仰天します。話が変わっていたんです。巻末に説明があった。弟・宮沢清六氏、最初の原稿整理者・森荘巳池氏、岩波版童話全集の編集者・堀尾青史氏の三者協議で、内容が大幅に変更されたというのです。
カムパネルラの死の位置が変更され、セロの声をしたブルカニロ博士の挿話が削除されました。初期型と後期型と呼ぶとします。四十年間何度も読み返してきましたが、初読の印象が強かった点を割り引いても、初期型が正しい。病死まで十年間改稿が重ねられた作品で、賢治が死なななければ最終型がどうなったか判りませんが、必ず初期型になったはずです。
僕は、東大に入って図書館で調べているうち、賢治が、田中智學の設立した法華系の国粋的新宗教で、石原莞爾ら大物国粋主義者が心酔する在家団体國柱会の信者だった事実を知り、それで、現世救済の世直し思想を特徴とする法華経について調べて、賢治が長く生きていたら『銀河鉄道』の完成形は、絶対に初期型になっただろうと確信するようになりました。
後期型では、ジョバンニがカムパネルラと銀河を旅する夢を見た後、丘で目覚めて牛乳をとりに牧場に立ち寄った帰路、カムパネルラの死に遭う。銀河鉄道の夢は死んだカムパネルラによる「お別れ」だったという夢オチです。初期型では、牧場からの帰りにカムパネルラの死に遭って涙にくれるジョバンニが、丘でまどろみ、カムパネルラと銀河を旅する夢を見た後、目が覚めてブルカニロ博士に夢の意味を再確認され、覚悟を抱えて家路につきます。
初期型が強烈なのは、死んだ筈のカムパネルラが向かいの席にいて、思わず《カムパネルラ、きみは前からここにいたの?》と問いかけるジョバンニの驚きを共有させられるところ。でも本当に強烈なのは、死んだカムパネルラと一緒に銀河の旅をするエピソード自体、ジョバンニがカムパネルラに対して抱く深いリグレットに覆われていることです。説明します。
冒頭部分、カムパネルラの溺死に遭う直前に、カムパネルラが本当の友達ではなかったと明示されます。ジョバンニの不在の父が、実は出漁中でなく入獄しているのだと囃すザネリが、《ラッコの上着が来るよ(獄中だから上着は来ないよ)》と、二度ジョバンニをからかいきます。ところが、二度目はなんと、カムパネルラがザネリとつるんでいたのです。
ジョバンニのモノローグが丸括弧で示されます。《(ぼくはもう、遠くへ行つてしまひたい。…ぼくは、どんなに友だちがほしいだらう。ぼくはもう、カムパネルラが、ほんたうにぼくの友だちになつて、決してうそをつかないなら、ぼくは命でもやつてもいい。けれどもさう云はうと思つても、いまはぼくはそれをカムパネルラに云へなくなつてしまつた。⋯)》
ジョバンニとカムパネルラとはお父さん同士も友達だという幼馴染みですが、二人の境遇は対照的です。ジョバンニは病気の母親と二人暮らしで、学校帰りに活字拾いをしながら生計を立てています。カムパネルラの父親は書斎に立派な本を揃える学者で、カムパネルラ自身も背が高い(≒育ちがいい)。つまり、階級の違いがこれでもかと明示されるんです。
その結果、イジメを見て見ぬふりのカムパネルラと、ジョバンニの断念のモロローグとに、後続する形で、カムパネルラの死が描かれるとき、そこには確実に〈ジョバンニによるカムパネルラの〈階級的殺害〉の印象が生まれるんです。その結果、物語全体に漂うジョバンニのリグレットは、〈階級的殺害〉へのリグレットとして読めるという訳です。
そのリグレットは、一緒に旅をしたらカムパネルラの方が自分より遙かに利他的で《まことのみんなの幸》のことを真剣に考えていることが判ったという形をとる。〈階級的殺害〉で自分よりも世直しに必要な存在に手をかけてしまったことの暗喩です。これはジョバンニが浅はかだったということか。もっと慎重に考えるべきだったという話なのか。違います。
人々は良かれと思って世直しをします。世直しに際して如何に慎重であっても血が流れます。それは〈大いなる偉業のための小さな犠牲〉だったと正当化されます。だが世直しも所詮は人のなすこと。世直しが犠牲を贖うに足る価値があったのかどうか分かりません。まさに神のみぞ知る。ならば世直しは手控えられねばならないのか。断じて否⋯という訳です。
賢治も信仰した日蓮が、世直しの邪魔立てをする念仏宗教(真宗)の僧侶殺害を推奨した事実と併せれば、もはや暗喩の意味は瞭然。國柱会創設者田中智學は、日蓮の本懐を遂げ、勅命による国立戒壇の建設を足掛かりに霊的世界統一(五族協和)に向かうという目標を、日本書紀からの造語「八紘一宇」で表し、大東亜戦争の思想的バックボーンを与えました。
國柱会に加入しようと上京した賢治の、現実の國柱会を目にした逡巡を含めて、賢治はナイーブではない心酔者だったと思います。ナイーブではないというのは、〈世直しに関わる密教的断念〉があっただろういうことです。〈世直しに関わる密教的断念〉とは即ち「リグレット(慚愧の念)なき世直しがあり得ないことへの覚悟」のことです。
それは「慚愧の念を欠いた世直しを、許し難き傲慢だと却ける態度」でもある。『銀河鉄道の夜』に繰返し登場する《まことのみんなの幸》《ほんたうの幸》という文言は、蠍座のエピソードを通じてそれが〈不可能な全体性〉であることを暗喩すると同時に、〈不可能と知りつつ、全体性に殉じる態度〉を奨励します。廣松さんと同じ構えと申し上げた所以です。
廣松さんの話に戻ります。〈本質疎外論〉は虚構的過去に存在した理想状態からの疎外を問題にしますが、廣松さん的には〈協働聯関(≒下部構造)〉に帰属される虚偽意識です。〈受苦的疎外論〉は別様であり得た可能性からの疎外を問題にしますが、常に既に〈ここ/ここではないどこか〉の対立を前提とせざるを得ない人間的理性の摂理に帰属される真実です。
フッサール現象学に従えば〈ここ/ここではないどこか〉の二重性が〈内在的超越〉です。元は神学の概念で「超越的な神が、世界に内在することを通して、真に超越的であること」を意味します。このように〈内在的超越〉の概念には幾つかのレイヤーがあるんですが、廣松さんの場合、〈協働聯関〉が深層、〈実在(客観)〉と〈観念(主観)〉が、表層を構成します。
廣松四肢構造論はハイデガーの〈用在性〉論のバリエーションで、何かが何かとして現れるのは人間の潜在行為のなせるワザとします。コップがコップなのは水などを飲むという潜在行為があればこそ。そして潜在行為は先験的な(初めから決まった)ものでなく、社会の〈協働聯関〉に規定されます。つまり〈協働聯関〉が〈実在〉と〈観念〉を相即的に分泌します。
我々が〈実在〉や〈観念〉の水準で現に特定の〈ここ/ここではないどこか〉の二重性---現象学的〈内在的超越〉---を生きるのは、社会的〈協働聯関〉自体が常に既に、本来なら別様であり得たのにソレでしかないという〈ここ/ここではないどこか〉の二重性---マルクス主義的〈内在的超越〉---を孕むからです。廣松さんは不可視の全体性を〈協働聯関〉に帰属します。
廣松さんによれば、「〈唯物論/唯心論〉〈実在論/観念論〉といった伝統的二項図式は顛倒であり、〈実在論/観念論〉という二項図式自体が〈観念論〉なのであって、それを〈唯物論〉が克服するのだ」というマルクス&エンゼルスの図式こそ、まさしく〈協働聯関〉が〈実在〉と〈観念〉を相即的に分泌するという図式を意味していることになります。
〈協働聯関〉は不可視の全体性です。それが視野に収まることは永久にありません。視野を分泌するのが〈協働聯関〉だからです。だから〈観念〉が〈実在〉を反映することもないし、〈実在〉が〈観念〉に従って作り替えられることもありません。だから、我々は自分たちの世直しの正しさを、自分たちの外側にある何かを参照して確証することは、できません。
こうした発想が反キリスト教的だとは思いません。〈原罪譚〉の最も重要な意味は、本質や全体がたとえ在っても、人間には名指せないこと。知恵の木の実を食べた結果、神に似て分別を行使できるようになったものの、時間的にも空間的にも矮小な相対者に過ぎない人間の善悪判断は必謬的たらざるを得ないからです。これと〈失楽園譚〉が表裏一体です。
〈失楽園譚〉は、失われた本質の回復を奨励しません。なぜなら人間が分別を持ったまま楽園(分別以前)に戻ることは語義矛盾だからです。むろん分別を失った存在は人間ではありません。〈失楽園譚〉の意味は、分別を持つ人間は今後、全体性を意味する楽園を永久に名指せないまま、想像的=虚数的な楽園を目指す(つもりになる)しかないことです。。
名指せる神(偽の全体性)=〈名前のある神〉エロヒム(偶像神)です。名指せない神(真の全体性)=〈名前のない神〉ヤハウエです。名前がないのでヤハウエはサイファ(暗号)です。〈名前のある神〉エロヒムは偽物なので幾らでも代わりがいて複数形(単数形エロハ)です。〈名前なき存在〉(ヤハウエ)と〈名前ある存在〉(人々)は論理的に言って交信ができません。
前教皇ヨセフ・ラツィンガーによると、〈名前のない神〉が〈名前のある人々〉と向い合って話したくなったので、イエスを人間界に送り込みました。〈名前のあるイエス〉であれば人と交流できます。これをイエスから見れば、〈名前あるの自分〉が〈名前のない神〉とかい合える特別な資質があるので、〈名前ある人々〉に従来ない仕方で向き合えます。
これを〈名前のある人々〉から見れば、生贄や贖罪にもかかわらず〈一向に神が動いてくれない〉と悲嘆していたのが、イエスを通じて〈今ここで神が働いている〉のを知ることで、特別な資質なき自身も、〈名前のある人々〉に従来ない仕方で向き合えるようになる訳です。ついでに、ラツィンガーに従って精霊と三位一体の概念も説明しましょう。
第一に、〈名前のない神〉と〈名前のあるイエス〉を繋ぐ、ありそうもない働きが、精霊です。第二に、特別な資質のある〈名前のあるイエス〉と、特別な資質のない〈名前のある人々〉を繋ぐ、ありそうもない働きも、精霊です。第三に、その結果、〈名前のない神〉と〈名前のある人々〉は、精霊という働きで繋がっています。
かくして、キリスト教的な---とりわけカトリック的な---祈りは以下の二つの柱から成り立ちます。(1)神よ、私が皆を裏切らぬよう見ていて下さい。(2)神よ、私はあなたのものです(私はどうなっても構いません)。こうした祈りを通じて、特別な資質のない〈名前のある自分〉が、〈名前のある人々〉に、従来にない利他性を発揮できるようになります。
かくして、平凡な人が、人々に対して、従来にない向かい合い方ができるようになること自体が、救いです。その意味で、〈一向に神が動いてくれない〉と悲嘆するより、〈今ここで神が働いている〉のを知ることができること自体が、救いです。「良いことをしたので神に報酬を貰うこと」ではなく、「できそうもない良いことができること」自体が救いです。
しかし「私はあなたのものです(私はどうなっても構いません)」という祈りの意味は、「自分が報酬を貰いたい---永遠の命を授かりたい---のではない」というだけではありません。もう一つ、「自分がやったことがどのような意味を持つのか自分では分からない」という〈原罪譚〉の問題があるのです。この思考が、宮沢賢治そして廣松涉さんの思考と似ます。
どのみち世直しで血が流れます。『銀河鉄道の夜』における〈階級的殺害〉が示す通り、世直しと信じて〈大いなる偉業の為の犠牲〉として血を流したところが、〈取返しのつかない誤り〉だったと後で分かる可能性があります。歴史はその種の例に満ちています。ならば、世直しは諦めるべきか。実はキリスト教は「それでも前へ進め」と言う思想です。
それが「私が皆を裏切らぬように見ていてください。でも、私はあなたのものです」という祈りの本質です。ハーバマスは改革派神父だった前教皇ラツィンガーがバチカンに入るや異端審問官に“転向”した理由をそこに見出します。後に〈取返しのつかない誤り〉と判るかもしれぬがゆえに「怒れる神父」を教会としては裁きつつ、実は応援しているとします。
これは通俗図式と違った意味で、前に進むことを促す図式です。通俗図式は「正しいから前に進め」。疎外された本来性の回復を企図する〈本質疎外論〉です。キリスト教は違う。「原罪を負う人間には正しいか否か確証できないが、正しいと信じるなら前に進め。進んで誤りならば裁きを受けよ」。廣松さんの物象化論的革命論=〈受苦的疎外論〉そのものです。
1970年に公開されたハーバマス&ルーマン論争では、ハーバマスが〈本質疎外論〉、ルーマンが〈受苦的疎外論〉でした。システム理論家ルーマンは、実践論と正しさの確証を結合したがるハーバマスを、原理的に正しさは確証できないと批判しました。多くの人はルーマンの思考では前に進む勇気がでないとして、ハーバマスを支持しました。廣松さんはどうか。
廣松さんは「意外かもしれないが、多くのドイツ新左翼はルーマンの方を支持する。自分が見る処、論争はルーマンの圧倒的勝利だ」と僕におっしゃいました。廣松さんは、正しいことが確証できないと前に進めない世直しなどあり得ないと考えておられた。第一に、原理的に確証があり得ないからで、第二に、確証に依存する心性はニーチェ的な弱者だからです。
ハーバマスは、ルーマンとの論争後次第に〈本質疎外論〉から〈受苦的疎外論〉に立場を変え、最終的には後に教皇ベネディクト16世となる改革派神父ラツィンガーの異端審問官への“転向”を先に述べた「泣いて馬謖を斬る」振舞いとして擁護するに到ります。前教皇は「旧約聖書に全てがある」との発言で有名ですが、旧約が〈受苦的疎外論〉を核とするからです。
因みに「原罪を負う人間には正しいか否か確証できないが、正しいと信じるなら前に進め。進んで誤りならば裁きを受けよ」という思考は、ニーチェの影響を受けたウェーバーの〈結果倫理としての政治責任〉論---必要とあれば法の外に出ることをも厭わぬ存在こそ真の政治家---に見られ、最近ではウォルツァーの先制攻撃論と結合した〈汚れた手〉論にも反復されます。
[後半はいずれ出版される『情況』を参照]
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