映画監督の熊坂出さん、ミュージシャンの日比谷カタンさんと、まったり鼎談
傑作映画『パーク アンド ラブホテル』を監督した熊坂出監督と、ユーロスペースでのトークイベントを終えたあとに、異形のアバンギャルド音楽を表現する日比谷カタンさんも合流して、実にまったりとこの映画について語り合いました。
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【音楽について】
宮台:カタンさんが『パーク アンド ラブホテル』(以下注では『PAL』と表記)に関わったきっかけはどんな感じでしたか?
日比谷:僕が出さんの弟さんの義人君というベーシストが前参加していたユニット「素」と知り合って、「素」のアルバムに参加させていただいて、その流れで出さんに見ていただいて。
熊坂:国分寺かなんかで。サトコさん(注:ユニット「素」ボーカル、『PAL』出演および同映画音楽にも参加)の誕生日会?
日比谷:ジプシー系のミュージシャンが集まる会があって。そのときに初めて見ていただいたんですが。
熊坂:「ヲマヂナイ」っていう曲(注:日比谷カタンの初期の代表曲)があるんですけど。それでやられちゃって。
日比谷:出さんがテレビのお仕事とかVPをされるときに、上司の方に紹介してくださったんですね。
熊坂:テレビマンユニオンの取締役とかに紹介したんですよ。すごいジャズとか好きな人とかいて。そしたら、その人 すんごい好きになっちゃって。
日比谷:で、何回かね。
熊坂:僕とは関係なく仕事してたりするんで(笑)。
宮台:なるほど
日比谷:でも、そのときの録音から出さんが撮った映像を見ながら「こんな感じで」っていう抽象的な注文をその場で言われて。ちっちゃいモニターを見ながらなんとなく「こんなかな?」「こんなかな?」「あ それ」とか言われてそれを広げていく感じの業務形態だったので。今回もほぼ同じやり方だったんで。
熊坂:同じだったね。
日比谷:だから作ってったものは大体ダメ出しされて。
熊坂:(笑)
宮台:あ、ほんと? でもね。美術を含め、あなた(熊坂さん)はラテンっぽい雰囲気でしょ? 色彩とか、画面の――なんていうんだろう――ありようとか。それと、カタンさんのジプシー音楽っぽい雰囲気が、すごく合ってたよね。人物に則した感情を盛り上げるタイプの音楽じゃなく、個別のショットを越えたある種の通奏低音というかベースラインを作り出すような音楽だったから。すごく合っていたと思いましたね。
日比谷:初めは、まだ音を入れる前の編集もされていない状態で、試写を見たときに、ほんっとに音を入れるのが想像できない仕上がりだったんで(笑)。それで、もう、打ち合わせのときにね。「これ、音、どこ入れんすか?」っていう話から始まって(笑)。それで、出さんと考えて。「ま、入れるならココ」って感じの。
熊坂:いや、もともとBGMを入れるつもりはなかったんです。最初から。
宮台:なるほど。「音楽による感情の盛り上げ」を頼るシーンはゼロですからね。
熊坂:だけど、艶子(注:『PAL』登場人物)は音楽を聴いている人であって欲しかったんです。僕は。
宮台:なるほどね。僕の言葉でいえば〈世界〉に感染する力を持った人ということですね。
熊坂:もう、それだけです。ほんと。
宮台:最近は音楽なしのハリウッド映画もけっこうありますよ。コーエン兄弟の「No Country for Old Men」とか。音楽を感情の盛り上げに使わない映画作家が増えてる。
音楽が記号的な働きばかりするのを嫌がる人が増えているんじゃないかと思うんだ。「ここは悲しみのシーンです」とかさ。
日比谷:ああ、そうですね。
宮台:「ここは静かなシーンです」とかね。余計なお世話だよ。そんなの。
日比谷:それは僕も嫌いですね。そういうのは。(熊坂さんに)嫌だよね? 絶対、それ。
熊坂:そうね。いや、でも、ま、やるかもしれないけどね(笑)。
日比谷:いや、でも、あの映画に関しては、それ絶対ダメでしょ。
熊坂:あ、それはないですね。最初からなかったですね。明確になかったですね。それはね。
日比谷:それはすごくわかったから。
宮台:でなければ、園子温みたいに、狂ったカオスのシーンに凄い明るい曲を流したりして、観客を発狂させるとか。音楽に悪意をこめるタイプだよね。
日比谷:僕も...なんか始めはそんな変な提案はしてたよね。
熊坂:してましたね。でも、まあ、難しいですよ。音楽は。ホントに難しい。
日比谷:予告編の僕の名前はびっくりしましたよ。「えーっ! 何でここで!!! 困る!!」って思いましたね(笑)。
熊坂:「サトコさんじゃねえかっ!」ってね(笑)。
日比谷:ああこれは誤解されるだろうなと(笑)。でもね、映画のレビューを見てみると賛否両論ある中、音楽についての記載があって「単なるアドリブでしかないものを"音楽"って言うのはどうか」とはっきり書いてあるんです。そのリテラシーある判断に逆に安心したというか(笑)
熊坂:サトコさんのやつ?
日比谷:そう、あれを僕がやっているかどうかがわかっているかどうかは別として、アドリブだということはわかっている、ということは、それはちゃんと聴いてるな、と思いました。僕は、それを危惧してたんです。アドリブでしかないものを、アドリブと思わず作曲と思う人がいるってわかってたから、それはやめてくれ、と思ってたんです。僕はメロは考えたいんですよ。フェイクはフェイク、メロはメロ。
熊坂:サトコさんとカタンさんは逆だもんね。サトコさんは全部モードだからね。モーダルだからね。
日比谷:サトコさんに任せて、あそこはサトコさんらしいし、あそこは好きだけど、「僕は関与していない」って言うことは言いたかった。でも、案の定、誤解が蔓延して、とても誤解されていい感じ(笑)。
熊坂:でも、世の中のメディアって皆そうですよね。誤解がまかり通っているからいいんじゃないですか。僕も、ほんとに、いろいろ書かれて、次の日、皆に平謝りしましたよ。もう、大変でしたよ(笑)。
【ラブホテル、屋上、非日常 】
日比谷:先ほどまで、どんな話を?
熊坂:どんな話をしていたかも忘れちゃった。
宮台:この話はどういう話かっていう僕の解釈を監督にぶつけて。
熊坂:それはすごく有難かったんですけど。
宮台:たとえば屋上っていうモチーフ。とりわけラブホテルの屋上だってこと。それも"古い"ラブホテルの屋上だっていうこと。そういうモチーフを、どういう経緯で思いついたのかとかね。ほんとだったら、それがどういう機能を果たしているか、それは狙いなのか、とか段々深めたかったんだけれど、なにせ時間がなくて(笑)。
話題にとりあげたことの一つは、特に80年代後半以降のラブホの変化。ファッションホテル化したじゃないですか。綺麗になって。ミラールームとか回転ベッドとかウォーターベッドってかって、きれいさっぱりなくなっちゃったじゃんね。
熊坂:なくなった、なくなった。
宮台:70年代って、僕がハイティーンだった頃は当たり前だったの。"回転ベッド"、"ミラーボール"、"スケベ椅子"ってね(笑)。
日比谷:回転ベッドって見たことない。
熊坂:僕あります。新宿に、もうなくなっちゃったけど、すごく有名なラブホテルをスタジオにしているところがあって。すっごい高いんですけど。そこはもう廃墟みたいになっていて...そこにはあったんですよ回転ベッドが。
宮台:回転ベッドってすごいのよ。回転ベッドの周囲が全部ミラーになっているでしょ。天井もミラーになってるの。回転ベッドって必ずミラールームとセットになっているわけ。多くの場合、部屋の明かりを落としてスイッチを入れるとミラーボールが回るようにもなってて、もうホントに非日常なの。そういう非日常空間だから"スケベ椅子"があっても違和感かないわけ。
日比谷:僕は、ドラマとかで出てくる回転ベッドとか。たとえば、松田優作の「探偵物語」に出てくるような、あんなのしか見たことない。
宮台:あんなもんです。いま言ったように組み合わせのフォーマット決まってるからね。どう撮ったって同じなの。
熊坂:宮台さん、ちょっと映画と全然関係ない話なんですけれども。ラブホテルを僕も結構勉強したんですよ。今回の映画をやるために。回転ベッドとか、ミラーボールとかっていうのは、もともとラブホテルを利用していたのは素人というか一般の人じゃなくて、プロが男を連れてくるから、プロの女性のために、ケレン味溢れるじゃないけど。
日比谷:ステージみたいな?
熊坂:そう、そうしたったって説を聞いたことがあって。
宮台:それはありえます。ここは渋谷だけどさ、円山町のラブホだったら、あがりの7割は風俗系。つまり違法なホテトルと、合法のデリヘルと、素人売春。盛り場は最低7割と言われていて、新宿などはもっと率か高い。基本的にプロが仕事をする場所がラブホなの。だから昔は「非日常の空間だ」ってことで当然だった。色町の代わりなんだよ。
<具体例は省略>
80年代になって変化したのは、若いヤツらがセックスするようになったからだよね。若いヤツがナンパ・コンパついでに入りやすいように敷居を下げる必要があったわけ。だから80年代後半になって途端に綺麗になった。中からピザやスパゲッティを注文できるようにもなったでしょ。
日比谷:あ、そういうのなかったんですか。
宮台:なかった。僕が高校や大学にいた70年代にはね。
熊坂:なかったんですか。前からあるのかと思った。
日比谷:食い物持ち込む感じだったんですか。
宮台:そう。小僧寿司とかマックとかね。テレビはあったけど、なぜかベータマックスのエロビデオセットがあるところが多くて。もう完全にエロエロなの。
<具体例は省略>
日比谷:でも、まあ、そういうラブホではなく、旅館っぽい和室のああゆう感じのがよかったんだよね?今回は?
熊坂:歴史的に言うと、それよりも前なんですよ、ああいうパンパン宿ってのは。パンパン宿の後にああなったんですよね。
宮台:そうだね。円山町にも新宿の(現在の)高島屋近辺にも、80年代まではパンパン宿を改造した「連れ込み旅館」があったよね。僕もよく使ったけど。
熊坂:プロ向けっていうか、プロ仕様になったの。歴史的に考えても、修三(注:『PAL』登場人物)のこととか考えると、必然的に、自ずと、新宿に闇市があった頃から。
宮台:新宿の場合、9割がた商売女が使ってたんで、パンパン宿から実際に連続しているの。
熊坂:今回撮影に使わせていただいた場所っていうのは、あれは、ある意味すごかったですよ。部屋の中に川が流れていたりね(笑)。「石」をモチーフにしている宿なんですよ。
日比谷:あれ見ただけでわかった人、いっぱいいたみたいですね。
熊坂:いっぱいいたみたいですよ。面白いですよ。あそこは。
宮台:ラブホは昔は非日常だったという話につながるけどね。地方に行くとそういうのが多かったよね。天守閣をモチーフにしてたり、ゴルフコースをモチーフにしてたり。
あのね、さっきの話の続き、いいですか。屋上がストーリーの中に組み込まれるというよりも、ストーリーの流れから言えばむしろ「時間が止まる場所」みたいにしてたよね。
これをストーリーの中に織り込んじゃうというアイデアは、始めからなかったんですか。若松孝二の『ゆけゆけ二度目の処女』(69年)みたいに。
熊坂:えーっとね。あるにはあったんですけど。収集がつかなくなっちゃうと思いました。
宮台:なるほど。
熊坂:どう思いました? そういう指摘は、初めて受けたんですけれど。
宮台:僕はもともと屋上が大好きなの。だからヤクザ映画でもピンク映画でも屋上が出てくるたびに興奮した。さっき言った若松孝二の『ゆけゆけ二度目の処女』もほとんど全編屋上の映画。ヤクザ映画でもピンク映画でも、屋上って非常階段と同じ意味で「中途半端」で変ちくりんな場所。だから、普段起こらないことが起こる、っていうモチーフ。
熊坂:「中途半端」ってのは?
宮台:僕が昔に書いた文章があるんだけど、僕はずっと団地や学校の屋上にいたの。なぜ自分が屋上にいたのか。皆は、居場所のないヤツが屋上にたむろしたんですよ。不良も含めてね。
熊坂:あ、そうなんですか?
宮台:うん。僕は孤独な少年だったから。屋上で煙草吸ったり、アマチュア無線やったり、天体望遠鏡で星空…っつうか、女の子の家をのぞいたりしてた。で、なぜ屋上なのか。僕の考えでは、第一の理由は「機能的な空白」だから。たとえば学校で言えば、校庭は運動する場所だし、教室は学ぶ場所だし、廊下は歩く場所でしょ。
熊坂:あ、わかった。そういう意味で。
宮台:屋上って、とりわけ昔はそういう機能がなかった。だから「何もない場所」なの。
熊坂:「曖昧な場所」ってことですか?
宮台:「曖昧な場所」。だから「通行人」にもならなくて済むし、「勉強する人」にもならなくて済むし、「スポーツする人」にならなくても済む。「誰でもない人でいられる」ってのがあるわけ。
熊坂:はいはいはい。
宮台:あと、第二の理由は、屋上って、周囲に開かれていて、どこでも見渡せるし、街頭音も聞こえるでしょ。その意味で「開かれた場所」。なのに、屋上って「柵を越えたら死」じゃないですか。「どこかに行けそうで、どこにも行けない」場所なのね。
だから場所自体がメタファーになるの。『ゆけゆけ二度目の処女』は、そこを凄く巧く使ってた。屋上って「開放的密室」なのね。開放されているのに密室で、密室なんだけど開放されてる。
若松孝二で言えば、69年っていう年のメタファーなわけ。69年は「革命の時代」でもあったし「学園闘争の時代」でもあった。若い奴らが結構ハジけて、当初はどこにでも行けそうな感じがあった。けれど結局どこにも行けなかった。
69年は「自由が輝いた時代」なんじゃなく、「どこかに行けそうで、どこにも行けないじだい。」。期待外れが巨大な抑鬱感を生んだ。抑鬱感がますます「ここではないどこか」を希求させて、希求がますます抑鬱感を増幅した。
そういう意味で、屋上って「曖昧な場所」だし「両義的な場所」。それが第三の理由につなが。つまり、曖昧さや両義性が、民俗学的時空――辻や橋やトンネルみたいな――を与えるわけ。民俗学的時空は祝祭の場所でもあって、性別や権力関係が逆転させられる。
たとえば、若松孝二の映画や当時のヤクザ映画でいうと、強いヤツと弱いヤツの立場が逆転する場所になるわけ。『ゆけゆけ二度目の処女』でも、レイプされた少女と、少女に恋をする管理人の少年が、彼らを陵辱したフーテン連中を惨殺するでしょ。
その意味では別に屋上じゃなくてもいい。ラロ・シフリンの『冒険者たち』だと、城塞に覆われた無人島でドンパチするのを覚えていらっしゃると思うけど。非常階段や屋上や無人島や廃墟が舞台であれば、ふつうならば描けない凄惨な殺戮が生々しく描けるわけ。
日比谷:僕は、いじめられっ子だったんですけど。屋上と公園でよくいじめられました。
宮台:僕も、そう。
日比谷:やっぱり、そこだといじめやすいのかなって思ったんですけど。
宮台:いじめやすいんだよ。でも「一発逆転の妄想」も屋上を舞台にしやすいよね。
熊坂:僕は実家が内装屋じゃないですか。屋上があったんですよ。小っちゃいときから屋上が好きで、よく行ってたんです…しょっちゅう行ってて。屋上に対する思い入れは僕もあって。色んな屋上に行きました。それこそ。
屋上は、割と僕的には日常的には一人になる場所で。でも花火大会とかなんかそういうことがあると皆集まってくるんですよ。僕の家が、結構高かったから。見に来るの。近所の人たちが。皆でバーべキューしながら花火したりとか。
あとはまあ、僕が友達つれてきて、僕もいじめられた経験あるんですけど。友達が来るんですよ、屋上があると。屋上で遊びたいから。
屋上には、たくさん、色んな思い出があるってことなんですけど。
日比谷:社宅の上が屋上だったんですよ。その意味で同じですね。やっぱ友達が遊びには来るんだけど、それはあくまで屋上に来たいんであって、僕と遊びたいわけじゃないんですよ(笑)。
熊坂:わかる。その感じはわかるなあ。わかるわかる。
宮台:結局、屋上って「ヤバイ場所」なんだよ。だから、ヘタにストーリーに取り込むと収集つかなくなっちゃうっていうのは、よくわかる。ただ、屋上っていうと「何かが起こる場所」っていうふうにわくわくしちゃうんです。
でも『パーク アンド ラブホテル』では、むしろ何も起こらない場所、時間が止まる場所でしょ。いつ行っても「同じ風景」があり、いつ行っても「同じ匂い」がするっていう。でも、それもまた屋上の特性なんだよね。流動性よりも非流動性っていう。
いつも「同じヤツ」がいるというわけじゃない。「同じヤツ」じゃなくて「同じようなヤツ」がいるの。都市社会学者の磯村栄一のいう、公でも私でもない「第三空間」。僕のいう、学校でも家でも地域でもない「第四空間」。だから映画をみて、なるほどと思った。
日比谷:出さんの"屋上観"として、ああいう割と落ち着ける場所に…
熊坂:そんなことはないけど…
日比谷:…にしたかったというわけではない?
熊坂:いや、今の話がまさにそれを示していて。多分、それぞれがそれぞれの思いとか経験を持って、色んな解釈を持てるんですよ。屋上って。曖昧であるがゆえに。だから、これからも、多分、屋上ってのは出てくるんだろうな、と思います。いろんな機能を持って。
日比谷:別にあれで全部、最初から最後まで、言いたいことを言ったわけではないってことですね。屋上について。
熊坂:屋上の一つの機能を持ってきた…ってだけじゃないですかね。
宮台:なので、ストーリーの中に屋上を活かさないということで、「屋上マニア」としての僕が思ったのは、なんかもっと凄いことがいろいろ起こってもいいのに、物足りないかなって(笑)。
熊坂:それは、わかりますけどね。
日比谷:美香(注:『PAL』登場人物)が髪を染められるシーンとかさ、マリカ(注:『PAL』登場人物)が自分の診断書を捨てちゃうシーンとか、あのシーンをやっていながら、皆、日常にいる、っていう、ああいう図式の中で使うっていう、ああいうポイントでは使われているわけじゃないですか。
熊坂:まあ、そうですね。美香とかねえ。
日比谷:そういう感じってところに留めたかったんですかね?ノート焼いちゃうのもそうじゃないですか。結構、ポイントになるとこは屋上には持ってきてるな、とは思ったんです。
熊坂:ええ、まあ、そうですね。ポイントは屋上に持ってきました。それは物凄く意図的に屋上に持ってきていました。
日比谷:そうだよね。ずーっとあのどどめ色に溜まっちゃった水がこぼれるのもそうだし。
熊坂:全部屋上ですよ。ポイントは。
宮台:NHKディレクターの高橋陽一郎が作った『日曜日は終わらない』っていう凄くいいハイビジョンドラマがあるの。権利関係が片付かなくてビデオやDVDになってないどころか、映画館でもかけられない。上映運動をやって1回上映したこともあるんだけどね。
物凄い傑作なんだ。で、この『パーク アンド ラブホテル』と、屋上の使い方が似てるんですよ。屋上での散髪シーンとか、夕暮れの屋上の使い方とか。でも、似ているぶん、かえって違いが際立つところがある。
高橋陽一郎って僕と年が違わないせいもあって「中途半端な場所」というコンセプトをつきつめるの。たとえば「現実だったのか夢だったのかわからなくなる」とか「それがいつだったのかわからなくなる」みたいに時間が変性しちゃう場所として描かれているのね。
けっして大袈裟な描かれ方じゃない。でも、主人公たちがそこを通過するたびにリセットされちゃう。「あれは何だったのか」「どういう意味を持つのか」わからなくなっちゃう場所として描かれるわけ。それに比べて、やっぱり日常なんだよね、屋上の描かれ方が。
だからこそ、さっき言ったような効果もある。今、町の中で、いつ行っても同じ空気感があって、人がたまっている場所があるか。磯村英一は、花柳界や色街なんかを例にして「馴染みの場所」っていったけど。そんな場所は今はないでしょ。
だから、『パーク アンド ラブホテル』の屋上は、アジールはアジールなんだけど、磯村英一的なアジールだよね。誰もが立ち寄れって自分に戻れるっていう感じの。
日比谷:これは、ちょっと、これは僕の凄い印象…主観なんですけど。"ラストシーンで皆を追い返すための屋上"っていう感じに、僕は感じたんですけど。あのラストシーンのために、屋上というのがあるだけでも、僕の中ではそれを納得してしまって。宮台さんのご指摘も色々と感じるところはあるんですけど、あそこで「人間だったら帰りましょう」って追い返して、一人になって、また日常が繰り返される感じの象徴として、あの引きで、ロールが流れて、一人になっちゃうシーンが凄く好きなんです。物悲しいんだけど。僕には、リアルだった。ただ、宮台さんが言われたような、「もっと」という感じは、確かに屋上に突っ込んで考えれば、あることはある。
宮台:僕が「屋上映画」だと思って見るから問題があるんであって。今おっしゃったことは僕も感じます。りりィ(注:『PAL』艶子役)はあのパラダイスの主催者なんだよね。でも彼女は自分の人生を主催できたって思えない。だからある種の代償行為として屋上を主催する。悲しい代償行為って感じがするの。でもそれは「いけない」って意味じゃないんだ。多かれ少なかれ、人はそういう代償行為を生きているわけ。そんな中では、一番いいものを代償行為にしているなって思う。
日比谷:色々あって結局は役所に電話した後、屋上に上がって来たときに、何とも言えない笑顔で(屋上の風景を)見るじゃないですか?
熊坂:はい。
日比谷:あそこにある"屋上の風景"に結末というのがあって、「"ちょっとだけ"皆、成長した感じ」がある。それが僕にはすごくリアルで。でも、そんなにすぐ物事は解決しない感じが。
宮台:そうですね。
日比谷:全然解決してないんだけど、ちょっと変化したっていうところが、僕はすごく好きなんです。
宮台:でも僕に言わせるとね、解決しているの。なぜかって言うと、彼女の日々の課題は、さっき監督に言ったんだけど、「火が消えちゃった女たちの心に火を点けること」なのね。
日比谷:ああ。はいはい。
宮台:皆、火を点けられちゃう。あの主婦(注:『PAL』登場人物)もそうだけど、火が点いたから「バイバイ」なのね。彼女は、屋上を主催するだけじゃなく、ちょっと枠を広げて「花咲かじいさん」みたいな役割を果たすってところに自分の存在意義を広げてる。
だから、ラストの彼女の顔も、その意味で言えば――僕の母が死んだばかりだからそう思うのかもしれないけれど――「もう自分は死んでもいいな」みたいな感じがあるのかなって感じました。火を点けるだけ点けて。明瞭な区切り感がありましたね。
熊坂:区切りはあるんですよ。決心はしたからね。ただ、まあ揺れるだろうな、とは思いますけれどね。色々あるだろうし。これからもね。
日比谷:出さんは、ほら、「とにかく、4人が素敵に見えればいい」ってことをおっしゃってたじゃないですか。それは、わかるし。
熊坂:ま、"素敵"っていうのはね、ちょっと語弊があるかもしれないけれど。別にその辺ほっつき歩いそうな人でもいいけど「その人が、たった一人存在している感じ」って言えばいいですかね。
日比谷::皆一歩、次に行ったかもしれないけれど、どうせまた自分の欺瞞の中に戻ってきて、同じような轍は踏むんだろうな。っていうところも踏まえて、それがまたちょっといいな、って思ったんだけど(笑)。
熊坂:そうそう、そうなんですよね。
日比谷:絶対、すべて解決したわけじゃないから。
熊坂:解決しないですよね。物事って。
日比谷:この、つかの間のちょっと前向きな感じが、いつまで続くのかな、と思いながら見終えた感じ。
(2008年5月29日、東京、渋谷にて収録)
【プロフィール】
■熊坂出(くまさか・いずる)
1975年、埼玉県生まれ。TV番組制作会社でドラマのタイトルバックや教育ビデオなどを手掛ける。在職中に自主製作した『珈琲とミルク』がPFFアワード2005で審査員特別賞、企画賞、クリエイティブ賞の3賞を獲得。
第58回ベルリン国際映画祭で『パーク アンド ラブホテル』が最優秀新人作品賞(Best First Feature Award)を受賞。
■日比谷カタン(ひびや・かたん)
東京都生まれ。WEB、グラフィックデザイナー/イラストレーターとして活躍するかたわら、2001年よりアコースティックギターの弾き語りによる音楽活動を開始。情報過多でサブカルティックな歌詞、多重人格な歌声、テクニカルなギターを駆使し、多種多様なジャンルが融合したユーモラスかつ独創的な世界観を構築。都内を中心にライブ活動を展開中。チェコ、ドイツ、フランス、リトアニア、ノルウェイなどでの海外公演も高く評価されている。2008年第58回ベルリン国際映画祭・最優秀新人作品賞を受賞した熊坂出監督作品[パーク アンド ラブホテル]では音楽を担当。(公式サイト:http://qulwa.web.fc2.com/)
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