文字起こしⅠ【時事キャッチ7】(後半のみ)「芸能という闇」と「日本の劣化」 20.06.27
【時事キャッチ vol.7】(休憩を挟んだ後半)文字起こしⅠ
「芸能という闇」と「日本の劣化」 |阿佐ヶ谷ロフトA 生配信|2020.06.27(日)
石丸元章 :GONZO作家
めりぴょん :ライター/阿佐ヶ谷ロフトAイメージガール
宮台真司 :社会学者/東京都立大学教授
(文字起こし:立石絢佳 Twitter @ayaka_tateeshi)
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石丸元章(以下、石丸): ということで後半、よろしくお願いします。
めりぴょん: さっきの話の続きなんですけど、宮台さんがおっしゃっていた「アイドル」と「ハレとケ」について思ったことがあって。
アイドルに対するオタクの欲求ですが、ジャニーズに聖域でいることを要求する人って、結局はアイドルに「ハレ」の存在であることを願っているから、プライベートやSNSという「ケ」の部分はあまり見たくないという勢力だと思うんです。「次清(すげきよ)」ってあるじゃないですか。皇室に仕える内掌典と呼ばれる人たちがいるんですけど、彼女たちって常にスピリチュアル的にというか、皇室のルール的に清潔であることを要求されるんですね。たとえば「穢れ」とされるようなものに触ったときは、すぐに手を洗わなければいけないとか、神に仕える存在だから清らかでいなければいけないとかいった要求が、常になされている世界。皇室至上主義というか、保守の人たちってそれを肯定しているわけじゃないですか。そうであってほしいと願っている人たちがいるわけです。そことすごく通底する部分があって、結局そういうところから逃れられないという。
宮台真司(以下、宮台):■もっと一般的に言いますね。「聖」と「俗」の時空分割って、僕たちが定住してからずっとあるわけです。実際、定住する以前はなかったんですよ。それは、僕たちが変性意識状態にあったからですね。
■みなさん『セデック・バレ』っていう台湾の首狩族を描いた映画を観ていただくといい。台湾の先住民は、高砂族を中心として日本軍に協力しました。数人だけで100人以上の部隊を倒せる力があった人たちです。それが定住以前の人間の力です(実際には小さな沖積平野が点在する山間地を半定住半遊動の焼き畑民のように移動する狩猟民)。日本軍の精鋭が1時間で移動する森の中を年端もいかない少年が10分で移動することが記録されています。
■男は常時トランス的な戦闘状態にあり、敵の首もスパッと斬るし、仲間の首もケガで苦しんでいたらスパッと斬っちゃう。しかし味方も敵も死後は、尽きない狩場を備えた「天の家」で仲良く暮らせると、どの部族も信じている。実際そういうふうにして生き残ってきたという意味で、合理的な集団生存戦略です。女・子どもは首狩り的な戦闘をもちろんしないけれど、『セデック・バレ』を観ていただくと分かるように、家族が首を狩られる状態を常態としているという点て、やはり聖なる時間を常時生きています。
■定住民の生活はこれとは違う。定住を支えるのは農耕収穫物のストックだし、農耕は計画しなきゃいけないし集団で作業しなきゃいけない。だから、所有と計画と集団規律を守るために「法」が支配します。つまり普段は法の秩序にがんじがらめの状態で、それが「俗profane」と呼ばれる時空になった。それに対して、昔の遊動段階において「力に満ち満ちていた状態」のことを「聖sacred」と言うようになったんです。
■法に縛られた生活は、遺伝子的基盤に逆らっているという意味で不自然です。だから、定住社会には必ずお祭りがあります。お祭りで「聖」の時空と身体性を呼び戻すためです。その証拠に、お祭りのときには被差別民が呼ばれます。被差別民とは、定住や定住のための法を認めないがゆえにはじき出された人々です。だから、平時は差別されますが、「定住以前の心身を持つ」ということで、祝祭時には「聖なる存在」として召還されるわけです。
■これを単純にパラフレーズすると、定住することで僕たちは力を失うということなんですね。法に縛られたルーティンの中に「閉ざされる」と、なんのために生きているか分からない感じになっていく。自分たちがどっちに向いて歩いているのかも分からなくなっていく。なので、定期的に祭りをして法の外に「開かれる」わけです。具体的には日本でいう「無礼講」をする。「無礼講」という言葉通り、「僕たちが昔持っていた聖なる力を取り戻すために法を破る」という営みです。タブーとノンタブーを反転して乱交したり、強者・弱者の役割を反転したり、男と女の役割を反転したり。そもそも被差別民が「穢」から「聖」に反転するわけです。
■僕がずいぶん前から心配して書いてきているのは、インターネット化によって「聖」と「俗」という区画が消えていくことです。「聖」と「俗」で大事なのは、自分だけがそう思っているというだけじゃ成り立たないということです。「誰にとっても、これは聖なるものだ」つまり「誰にとっても、ルーティンの中への埋没から脱して力を回復できるんだ」というふうに、誰もが思えるはずだということが、自分の「聖」と「俗」の認識を支えてくれる構造があるんです。だから、インターネットのように分断されちゃうだけでも、「聖なる時空」が成立しなくなります。後は「聖なるもの」がどうなるのかなあ?という意味で、アイドル問題は僕のいろんな問題意識の中でも重要なポイントなんですね。
■さて「聖なるもの」は、タブー視される「穢(え)なるもの」と実は表裏一体です。これは網野善彦[歴史学者]が明らかにしたことです。「聖なる存在」は、先ほど言った理由で平時は目障りなので、聖なる存在を貶めて「こいつはダメなヤツだ」っていう扱いをします。そのとき、「聖」から「俗」に落とすんじゃなく、「聖」から「穢」に落とすんです。被差別民の中でも、江戸時代に「穢多・非人」と言われた人たちのうちの「穢多」の一部は、その昔「聖なる存在」でした。でも、社会がミカドという「聖なる存在」を頂点とする階層的な構成になったときに、各部族(日本では氏族という)でシャーマン的な役割を演じていた「聖なる存在」が、「俗なる存在」を超えて「穢なる存在」へと叩き落とされます。穢多の一部はそういう人たちの末裔だと分かっています。その観点から見ると、何もかもがフラットに忘却されつつある現在、「聖なる時空」がない分「穢れの時空」つまり、奥まったアンダーグラウンドに向かうメンタリティも、わかる気がするんです。
■ところで、さっき楽屋で話していたことだけど、めりぴょんの持続的な興味の源泉ってなんなの(笑)?
めりぴょん: ふふふ(笑)。「やらかし」という固有名詞で呼ばれる、ジャニーズのストーカーにすごく興味があって。ストーカーのべ10人くらいに取材して、2000年代から最近に至るまでのジャニーズの「やらかし(ストーカー)」の歴史を紐解くっていうお仕事をやったんですけど。「その興味はずっと続くの?」と先ほど聞かれました。ジャニーズのストーカーの歴史的な背景にも由来しているんですけど、結局あれって「任侠」と一緒なんですよ。
石丸: ジャニーズが?
めりぴょん: ジャニーズのストーカーというか、「ジャニオタ」がです。ジャニーズのファンの組織っていうのは、反社なんですよ。ただ、ジャニーズはその存在を公に認めていないんですね。これがすごく不思議なんですけど。
まずジャニーズの関連会社に「ジャニーズファミリークラブ」という組織があって、これはジャニーズのファンクラブの運営をしているんですけども、裏の役割として、「オリキ」と呼ばれる、公認の「出待ち」を統括する役割を負っている社員も抱えている。その社員はどうやって社員になるか。
出待ちにもカーストがあるんですね。まずは平の出待ち=「オリキ」から、ちょっと偉くなると「お手伝い」を略して「おてつ」──これは仕切る人を手伝う役割です──。そしてもうちょっと偉くなると、その場を「仕切り」、その「仕切り」がさらに偉くなると、とうとう社員として登用されるようになるわけです。そういう縦社会があるんですけど、その文化として「SNSにそういうことを書いてはいけない」と。書く人はいますけど、書くと、その場には行けない。だから私はジャニーズの出待ちはできないんですよ。すっごい記事で書いてるんで(笑)。好きなジャニーズの子いるんですけど、いったら多分ボコボコにされます。「お前なにネットに書いてんだ」って。だから「任侠」と一緒なんですよ、ジャニーズの出待ちって。
宮台:■面白いね。「任侠」のことを若い人は知らないと思うけれど、「法の外にある掟」の世界を生きる人たち、あるいは掟それ自体のことを、「任侠」と言う。
めりぴょん: まさにその通りで、ジャニオタの仕組みって法の外にある掟ですね。
宮台:■なるほどなあ~。
めりぴょん: それがすごく面白くて、ずっと追いかけてしまうんですね(笑)。
宮台:■そうか。めりぴょんは、生まれてくるのがちょっと遅かったね。昔の芸能の界隈は、掟に満ちていたんですよ。ご存知かもしれないけど、芸能の界隈には、在日や被差別部落の人たちがもともと多かった。古くからの「河原者」、祭祀に呼ばれる「聖なる被差別民」の伝統があったからですね。興行の界隈はもともとヤクザが仕切るのが当たり前だったでしょ? 場所取りなどの利権の調整をしなきゃいけないからです。1つの例ですが、このロフトも昔は厚生年金会館新宿の横にあったでしょ。厚生年金会館って厚労省の社保庁が管轄する公の施設で、そこで働く人は謂わば準役人。会館で爆竹とか火とかを使うときには許可が必要なんだけれど、申請して許可をもらうのに、普通は申請してから2年かかるところが、それを1~2ヶ月に短縮するために、彼らにいろんなものを供与してきたんですね。
■電通の「食わせる・抱かせる・握らせる」じゃないけれど、昔は「抱かせる」っていうのよく使った。今はほとんど風化しているけど、昔は「裏の掟」が支配していたからです。もう少し詳しく言うと、「裏の掟」の界隈の内側に自分が生きていることを示す必要があったので、面白いことに、供与を断れないんですよ。芸能関係者とかその周りにいる(準)役人とかも含めて、「抱かせる」攻撃は謂わば踏み絵です。テレビに出るようなまだ駆け出しの子たちがその役をした。いろんないかがわしいパーティーにも、そういう子たちが誘われる。そういうパーティの会場を昔は僕も幾つか知っていました。たとえば僕が芸能関係の仕事をしていて、しかじかの子を抱いてやってくれって言われた場合、断れない。「別にセックスしなくてもいい。でも一晩だけ指定したホテルで過ごしてくれ。部屋にいれば訪ねてくるので」っていう仕組みだった。面白いでしょ? それが任侠ですね(笑)。
■つまり、こういうこと。芸能の界隈は、昔からの伝統と繋がった「聖なる世界=被差別の世界=法外の掟の世界」をずっと保ってきたということ。この伝統は、バブルの80年代はもとより、90年代半ばの「街に微熱感があった頃」までは明確に残っていた。僕の知り合いの芸能プロダクション系の人たちも、今は有名になった女優やアイドルの名前あげて相手をしたと告白してくれたけど、「宮台さん、羨ましそうな顔してるけど、断れないんだって!」(笑)。
石丸: 「踏み絵」というか、そこで試されるわけですね。
宮台:■ただし持続的に踏まされる「踏み絵」ね。
めりぴょん: ジャニーズって、言ってしまえば宮台さんが言うような80年代的なものの最後の砦の側面を、2020年代になってもまだ持っていて。五輪とか万博とかワールドカップとかそういう、まさに公権力そのもの系の仕事を享受している。手越くんがなぜ事務所に怒られたかっていうのは、ジャニーズ事務所の性質にそのまま結びついていて、ジャニーズ事務所が政府からの仕事を受注しているから。自粛破りっていうのは本来無い概念ですよね。自粛っていうのは自ら粛することですから。「自粛破り」で本来怒られる道義は無いんですけど、それでもタレントをあんなに厳しく怒らなきゃいけないっていうのは、政府の言うことには基本的に、無理を通しても従わなきゃいけないわけですよね。
石丸: お得意さんだから。
めりぴょん: それで、手越くんを怒ると。それと同時に「オリキ」みたいな縦社会の任侠みたいな追っかけを飼っている。そこが面白いなって。それでずっと興味があるんだと思います。
宮台:■つまりさ、めりぴょんは表の世界とは違う、裏の掟の世界に惹かれる人なんだよね。
めりぴょん: それは間違いないと思いますよ。
宮台:■だから、もうちょっと前に生まれていたら、もっとディープな「裏界隈」を知ることができたよね。ただし、書けたかといえば、それはどうかな。昔は梨本勝・前田忠明・福岡翼・東海林のり子とか、芸能記者がいっぱいいたでしょ。みんな「裏の掟」を知っているし、裏で何が起こっているかを幾らでも詳らかにできるんだけど、それをすると、場合によっては殺されたりする可能性もあって(笑)できないんですね。そんな感じで、芸能ニュースって言っても、知っていることの上澄み1割くらいだけを喋るだけ。それが芸能レポーターです。芸能レポーターも任侠の界隈にいて、水面下の氷山の部分を共有していたというわけです。だから、その時代に(めりぴょんが)生きていたら、興味の尽きない話がいっぱい知ることがでぎても、表では芸能レポーターのように普通のことを言うしかないでしょうね。「本当はこんなのは違うんだけどな~」とか思いながらね(笑)。僕も80年代に芸能の子とつきあったことがあって、いろんな「裏の掟」を聴いたけれど、いまだにバラしていないでしょ。今日お話ししている程度のことだって、今だから話せます。
石丸: でもめりぴょんは、本来は書いたり喋ったりしてはいけないことを、書いたり喋ったりしてしまっている。掟破りが芸風ということになるの?
めりぴょん: 書いたり喋ったりしてはいけないというか……たとえば私がジャニーズの出待ちに行くとなにが起きるかというと、最初に「仕切り」と言われる、オタクの中でも偉い人から説明が読み上げられるんですね。「手紙を今から回収します~」と言って、手紙をみんなで回して集めたり、「SNSに列のことを書くのは禁止です、やめましょう」みたいなことを言われるわけですね。そのルール説明の文章も、実は全部持ってるんですよ、私。でもそのルールは、そこにいる裏の掟の世界にいる人だけに向けられているものなので、私がいくら書こうが問題はないんですけど、それを勘違いして「書くな」と言ってくるヤツがいるという認識ではあります。
石丸: いろんなことにおける裏の掟みたいなものっていうのは、どんどん消滅しつつあるのかなと思いますね。たとえば大相撲の八百長問題もしかり。先ほど、政府の仕事をしているから、なかなか厳しいことがあるんだって話。それ「吉本興業」なんかのお笑いもそうですよね。政府って大きなクライアントさんだから、政府に従わなきゃいけない、反社との付き合いは特に気をつけなきゃいけない。
なかなかそうすると、裏の部分っていうのがどんどん希薄になっていって、無くなっちゃうんですかね? そしてそれは我々にとって必要なものなんですかね?
宮台:■「私は裏界隈の人間じゃないから、書いても問題ない」っていうのが、まさに希薄化だよね。さかのぼれば、「聖」と「俗」と「穢」っていうコスモロジー──つまり世界観あるいは世界設定──は、僕たちが歩いているときに、どちらの方向に向かっているのかを知るために、ずっと必要だったものです。長い歴史に鑑みて、それが完全に消えることはないだろうけれど、いわゆる「芸能界の掟」「お笑い界の掟」みたいなものは、なくなっていくしかないと思う。めりぴょんの活動もそうかもしれないけれど、インターネットでバラされて、バラされたらスキャンダルになってイメージダウンするからです。そんなふうにサイバー空間が芸能情報のメインフィールドになったとき、コスモロジーの具現化が、何によって置き換えられるのかということに、僕は興味があるんですね。
■たとえば、サイバー空間にも裏サイバー空間ってのがもちろんあります。みなさんご存知のように「ダークウェブ」って言われているけれど、個人情報が本当に安い値段でバンバンやりとりされています。そのダークウェブ界隈というのも、オフラインでダークな時空が維持できなくなってきたので、サイバー空間にダークな界隈を作ろうって人たちが出てきた結果だと思うんですね。そこは、「知る人ぞ知る」人しか入れないようになっていて、漏らすことは許されないというふうになっているけれど、それでさえどんどん漏れちゃっているというのが、サイバー空間ならでは、だよね。まぁ、どうしようもないわけ。
めりぴょん: その点でいうとですね、若手俳優のオタクのジャンルの中には、最近すごく大きな動きがあって。私の知る限り、6年くらい「オタクの悪口を言う専用の掲示版」っていうのがあったんですよ。スレッドのタイトルが、全部「○○のファン」みたいなタイトル。パスワードはついてるんですけど、口コミでみんなに拡まり、結果的にみんな知ってるっていう掲示板があったんです。それが木村花さんの件を受けて、インターネットの誹謗中傷に対しての法的措置について取り沙汰されていた時期に、すごく不思議な現象が起きたんです。今までは、喜んでみんなで悪口を言う、いわば閉鎖的な楽しい空間だったその掲示板に、「この掲示板を消してください」っていう請願運動が起きたんですね。なぜ請願運動が起きたかっていうのは、その掲示板に今まで悪口を書き込んでいた人たちが、突然一変して裁かれる側になる潮流になってきたということに、恐れをなしたと思うんです。
宮台:■面白いなあ。
めりぴょん: 「この掲示板を消しましょう」「悪口はよくありません」って流れになって、とうとうなくなったんですね。今までは、その掲示板というのは本当になんでもありで、オタクの働いている風俗を晒し上げるとか、顔写真を晒し上げるとか、AVを晒し上げるとかっていうのは日常茶飯事で、盗撮画像なんかも載ってましたし、ダークウェブみたいなもんなんです。それが世の中の流れにころっと流されて無くなってしまった。
宮台:■実に面白い。それは、組つまりヤクザの動きと関係があるよね。若い人は知らないと思うけれど、80年代に組事務所立ち退き運動が各自治体や各地域で起こるようになって、それが92年から施行される暴力団対策法(暴対法)として実った。それについて僕は暴対法に反対する運動をしていました。理由はこれからお話しするような感じです。
■共同体には必ず表があって裏がある。表共同体に属せないヤツが裏共同体に属する。そのことで無秩序にならないで済む。それをお巡りもよく知っていたんだ。当時まで組員には、電話番や運転手をやるような「三下」がいっぱいいた。それは表の共同体では排除されちゃって生きられないヤツらなのね。犯罪歴があったり怒りっぽくてすぐ人をぶん殴ったりとか。そんなヤツらの受け皿が裏共同体としての組。でも92年の暴対法施行でビジネスヤクザ化せざるを得なくなって三下が吐き出された。その三下が多くは鉄砲を持って逃げちゃった。以降「鉄砲持ってるから組のヤツだ」って言えなくなった。「こいつヤバいヤツなんだけど、誰なんですか?」って組幹部に尋ねると、「あーこいつ10年前に辞めたんだけど、紐ついてないんでヤバいよ」って答えるような状況(これは実話)。
■その辺を予備知識として言うと、芸能界隈で掟としての任侠が守られていたのは、さっきの「ぶっ殺される問題」ね。つまり組があったからなんだよ。色街とか売春を取材していてすごく変わったのが90年代後半なのね。本に何度も書いたように、同じ頃に売春界隈でも「微熱感のある街」が消えたのだけど、その頃まではお巡り界隈でも裏の事情は知られていた。お巡り界隈が「泳がせて情報を得る」手法を基本していたからだね。売春って昔は合法だったけど、1958年から非合法になった。すると非合法の界隈だから、トラブルがあってもお巡りを呼べない。そういうときにヤクザが入って締めてきたわけ。そうやって非合法の色街界隈で掟を守らせる役割をしてきた。非合法界隈ではあれ秩序維持には大切な働きをしていたのね。お巡りもそのことを弁えていたし、その役割をしてくれているヤクザから情報を取らないと、お巡りには界隈の実態を知りようがないの。だから「見逃す代わりに情報を要求し、ときには袖の下も要求した」わけね(笑)。
■それが長く続いていたのが、大阪府警なんかの「汚職問題」として90年代後半に取り沙汰されるようになった。共同体の表と裏の二重性を知らない人たちが増えちゃったという「新住民問題」が背景です。僕は当時、大阪府警の刑事さんに「この動き、ヤバくないですか?」って尋ねた。「宮台さん、おっしゃる通りやけど、もう昔のやり方はできまへんで」とね。80年代には郊外で、そして90年代には街で、昔からのあり方を知らない「新住民」が増えてきた。かつてはどんな場所にも「法の界隈」と「掟の界隈」の二重性があったのに、それを知らない「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーン」イコール「クズ」が、増えた。つまり「言外・法外・損得外」のシンクロを知らないヤツらが増えたの。
■つまり、80年代の組事務所撤去運動から、90年代の警察汚職告発運動まで含めて、お巡りの従来型手法を一切許さない「新住民」が増えて、その意を受けた何も知らない新住民系議員がワーワー言うようになった。それが「もう昔のやり方はできまへんで」って言われたことの意味だったのね。これは、「微熱に満ちた街」の消滅や、援交女子高生の「トンガリキッズから自傷系へのシフト」を含めて、いろんな事態と連動していた。だから、当時の僕はかなり重大な動きだと思っていたわけ。けれど、たぶんそうした巨大な流れに影響されて僕は鬱になっちゃってね(笑)。鬱明けしてからは「それはもうどうでもいいや」ってなっちゃったんだよね。
■そんな個人的な遍歴があるので、さっきのめりぴょんの話を聞いて、めりぴょんの興味はすごく理解できる。でも、可哀想だなって気がするのは、やっぱり「裏界隈」の濃密さが足りないからだね。昔から続いて97年までに消えた「光の世界」ならぬ「闇の世界」や、「法の界隈」ならぬ「掟の界隈」に比べて、いまやドラマがないというか、影絵のようなロボットが動き回っているだけみたいなイメージが、話を聞いているとすごくするんだよね。
めりぴょん: それは本当にそうだと思いますよ。私も惹かれるのは90年代のアイドルオタクのカルチャーのほうなんですよ。私のすごく好きな本に、『アイドルバビロン―外道の王国』っていう本があって。私がやっていたイベントが『外道ナイト』って言うんですけど。
宮台:■外道ナイト? マジか(笑)。
めりぴょん: ははは(笑)。その本に「昔は、いわゆるアレなアイドルオタクのことを『外道』と呼んでいた。『外道』というのはアイドルをストーカーしたり、アイドルの嫌がるようなことをしてアイドルの興味を引く連中だ」と。どうやら、アイドルの制服向上委員会の現場で、普通のファンがアレなオタクに「そんなことをするヤツは人間じゃない、外道だ!」と言い放ったことから、「外道」と呼ばれるようになったそうで、私はそういうことに興味があるんですけど、そういうエッセンスを探すとなると、最近だとなかなか難しいですね。消えつつありますし。
宮台:■つまり、つまらなくなりつつあるんだよ。クラブも全く変質したし、街も全く変質したし、性愛界隈も全く変質したし。昔知っているヤツから見ると、「これはただの幻だといいなあ」と思うくらいだよね。
石丸: 警察の取り調べとかでは、最近はカツ丼とかってありえないみたいですね。
めりぴょん: 石丸さんはカツ丼出されたことあるんですか?
石丸: 私は覚醒剤なんでね、カツ丼じゃないんだけど、一応コーラとかカップ麺とか。「今日はこれで終わりだから、カップ麺でも食べて、どうなんだ? これからはやるなよ?」っていうのはあるわけ。
宮台:■カツ丼と同じだよね、それは(笑)。
石丸: そう。カツ丼関係をやる時間があったわけよ。96年には刑事とカツ丼の関係やりましたよ。でも今は本当にないんだって。最近捕まった人たちに聞くと、コーラ1本の接待もないんだって。
宮台:■だからさあ、そういうのも今、すごく予算の監査が厳しくて、お巡りが自由に使えるお金ないよね。
石丸: そういうお金って、いわゆる捜査の裏金から作っていくわけよ。
宮台:■もちろんね。カツ丼ってね、コーラもそうだけど、2つの意味で、大脳生理学的にすごく大事なんです(笑)。第一に、人間は食っているときには無防備になるのね。女性が食べるときに口を隠したりする日本的な作法も、無防備さを隠そうっていう意識の表れだと考えられる。人間だけじゃなくて、どんな動物も、獲物を他に盗られないために、他から見えない場所に持っていって食べるのよ。だから食べるときは無防備になるわけ。第二に、血糖値。人間は血糖値がすごく低い状態からひゅっと上がると、ゴキゲンになって、いろいろ喋りたくなるんだよね。
石丸: じゃあ生理学的に、それはもうなるようにできてるんだ。
宮台:■そう。だから、お巡りさんは、大脳生理学は知らないだろうけれど、経験的にそういうことがあるっていうのを知っているからやっていたわけだけれど、それも法の厳格な適用の中で出来なくなったということだね。
石丸: 取り調べの可視化で、ビデオを回すとか、クリーンになっていくことで大分変わっていっているんだろうなあ。めりぴょんが本来、興味を持っていた部分っていうのがどんどん少なくなっていっているんだと思います。
めりぴょん: 石丸さんがさっき言っていた、いわゆる「カツ丼関係」ってDVと一緒じゃないですか。基本的には酷いことを1日中されるんだけど、最後にカップ麺とかもらうと、嬉しいような、なにか一緒に成し遂げちゃって、なんとなくいい感じで終わってしまうって、DVと一緒ですよね。
宮台:■短期的な共依存だね。AがBに依存し、BはAが依存してくれることに依存するっていう。
石丸: あと、警察官の好きなストーリーなんですよ。最後に「もうやるなよ」っていう話をして、相手が頷いたときにカタルシスを感じるっていう。
宮台:■それいいじゃん。すごくいい話じゃん。
石丸: そういう彼らが望むストーリーってあると思うんですよね。
めりぴょん: それ自分に酔ってますよね、完全に。
宮台:■それもあるんだけれど、昔は全体としてちゃんとした構造があるじゃない? 無防備さと血糖値上昇もあって本当に自白しちゃうしね。今ならマジガチで自分に酔ってるだけかも。でも昔は作法によって支えられた構造があったんだ。作法をちゃんとすることって、自己満足でもあるけれど、それだけじゃなく、それで全体がうまく行くような構造が確かにあったの。お巡りの作法にもそれがあったし、組の作法にもそれがあったし、芸能の作法にもそれがあったよ。つまり、裏界隈の掟である「任侠」って、表社会の法律のような法ではないけれど、むしろ法以上に界隈の秩序を支える機能があった。その分、法律を破るよりも、掟を破るほうが、よほど恐ろしい報いを受けたわけだ。作法が全体の秩序を支える機能を持ったからからこそ、作法に従うことで人が方向感覚を得られたんだよね。
めりぴょん: まさにその通りですね。ジャニオタなんかストーカーすると、平気で殴られますからね、他のファンに。殴られる蹴られるボコられるとか。警察もそれに介入しないので、「追っかけはほどほどにね」っていう姿勢で済ませる。
石丸: 今回、政治でも裏の掟、これは掟として考えたほうがいいのか、あるいはどうなんだろうっていうのが、河合夫妻のお金を配っていた件。広島のいろんな人がそれをもらって最初は黙っていた。なぜならいろんな人に迷惑がかかるかもしれないから。だけどここにきて、逮捕されたってことになってから「実はもらってました」って人もではじめた。本来なら出なかったような話が出ている。これもそういう流れだったとして考えたほうがよろしいんですか。
宮台:■考えたほうがいいね。英語で教える大学院のレポート採点を今日までやってたけれど、アフリカや東南アジアの貧しい国から来ている院生たちが言うには、選挙におけるvote buying(買収)って当たり前なの。違法は違法なんだけど、レポートに書かれた彼らの理解では「明らかに共同体の掟を守るために必要なことだと考えられてきた」わけ。日本は裏がどんどん消えてきた。かつては、法があって任侠があって、表共同体があって裏共同体があって、両方が貼り合わさって社会が回ってきた。戦間期に「銀座よりも浅草が良い」とした川端康成や江戸川乱歩なら「光と闇の織り成す綾」って言うだろうね。
■前近代の社会が近代化するとき、強くなりゆく光と消えゆく闇が重なる期間が必ずあります。それがかつての浅草的なものや、vote buyingの途上国。でも、いずれ時間が経てば、強くなった光が闇を覆う。日本でも90年代半ばに闇の時空が消えました。でも途上国に行くとまだ残っている。でもいずれは光が闇を覆う。そこに問題のヒントがあります。日本は既に25年も前に、目に見えるフェイズが変わった。だから、以前と同じことをやる頓馬か、違うことをやるクレバーなのか、という違いが出てきます。まぁ安倍以下のいろんな人間たちの動きは、頓馬のケツ舐め連鎖っていうことで終了だと思いますが。
めりぴょん: 最近だと、東京医大が男女傾斜を付けていたのが掟ですよね。男子を多く入れなきゃいけないと。その掟が暴露によって公の目に晒されたっていうのは、頓馬の発露というか。
宮台:■全くそう。さっき申し上げたことだけど、第一に、これだけ新住民的な存在が増えた中で、第二に、これだけネットがはびこっているところで、昔ながらの「裏界隈」の「掟」を維持できると思っているヤツは、情弱です。任侠=「裏界隈の掟」を、支えるものは倫理です。倫理を欠いたクズ=「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーン」=新住民的存在がこれだけ覆い尽くした中では、倫理はあり得ない。だから任侠もあり得ない。
石丸: 「あらいぐま」(河合克行)と「アンジー」(河合案里)っていうあのユニットは、その辺の感覚が情弱であると同時にうまく掴めないまんま昔通りにやって、案の定問題になったという構図ですか。
宮台:■「案の定、問題になった」というより、いくつかの偶然が重なって、本当だったら出ないはずのものが出ちまったんでしょうね。
石丸: そうですよね。だって法務大臣だったんですから。直前まで。出ないと思ってるから法務大臣なんだ。
めりぴょん: 私は旦那さんのほうが「法務大臣になったからとりあえず大丈夫だ」みたいに言っていたっていう話を見てですね、涙が禁じ得ないくらいの、「あらかわいそうに」くらいの不運が重なってしまったのかなと。
石丸: あの夫婦は、並んで二人で写真で出てると、本当に夫婦感がないんですよね。自分の見立てなんだけど、性的な関係じゃないんじゃないかって気がする。
宮台:■もちろん、安倍夫妻を含めてね(笑)。
石丸: そう(笑)。アンジーはしかも、見るからにメンヘラじゃないですか。
めりぴょん: すごいですよね。ODして運ばれたのが全国ニュースになるっていう。
石丸: どう見てもメンヘラな顔でいきなりデビューして、そしたら「私、自殺未遂したじゃない? いろんな薬をいろんなお酒で飲んで、たくさん飲んでも死ななくって、運ばれちゃった」みたいなことを平気で文春に答える感じとか。メンヘラの夫婦感のないパートナー的な「あらいぐま」と「アンジー」というユニットが国会議員で、こういうふうになるって、すごくナウい感じがするんですよ。
めりぴょん: 石丸さん、河合案里出てきたら呼んだらいいんじゃないですか。「病ダレアイドル」に呼んでくださいよ。
石丸: もう大ファンですよ、「アンジー」の(笑)。
めりぴょん: 石丸さんがやってらっしゃる「病ダレアイドル」って企画があって、メンヘラのアイドルとかを集めて話を聞くってイベントがあるんです。河合さんピッタリじゃないですか。
石丸: ピッタリ。でね、アイドルって基本的に全員自分はメンヘラだと思っているわけ。まあ基本、メンヘラですよ。
宮台:■AV女優ほどじゃないけどね。AV女優は何度か付き合ったことがあるんで。
石丸: メンヘラですか?
宮台:■たいがい、メンヘラ。
石丸: 政治家って、顔見て「うわ~この人メンヘラだな」ってあまり感じたことなかったんだけど──ちょっと前に自殺した元小沢ガールの人とかは、メンヘラかなって思ってた──。「アンジー」は自殺報道が起きる前に出てきたときの顔がいきなりメンヘラ顔。
宮台:■そうだったね。形相が変わっていたね。
石丸: 国会議員にもメンヘラのウェーブがきているのかなって。
宮台:■それは「裏界隈が消えたのに、裏ごっこをやってる頓馬」の流れだから面白いよね。安倍って、ただの犯罪者じゃんね? 違法な営みの天こ盛り。ところがそこに関わっている人間は任侠(任侠は「裏の掟」という意味に加えて「裏の掟を生きる人」の意味もある)ではない。所属集団でポジションを保つだけの損得マシーンのクズじゃん。任侠ってそうじゃないんだよ。任侠の言葉って『仁義なき戦い』の「仁義」って言葉と重なることから分かるけど「裏界隈の正義」なのね。掟だから必然的にそういう意味を含んでいるってことだ。ところが、安倍界隈のクズどもって、表社会の法を守らないと罰せられて一生を棒に振るから必死に隠蔽して、安倍のように法さえ変えようとするような輩だらけ。界隈への倫理的コミットメントなんてなく、損得勘定オンリーのクズだらけ。それが表と裏の区分が消えてからの非合法領域の実相だよね。そのあたりを元暴力団組長の視座から記述したのが中野太郎『悲憤』(2018)だよ。安倍的な非合法性って「裏の掟」界隈とは全く違って、自分は森羅万象だと勘違いした頓馬が、表界隈での損得ゲームが昂じて法を踏み外しただけ。だから、損だなと思った途端、裏切り者が次々と出るわ出るわ(笑)。河合夫妻に買収された連中が蜂の巣をつついたように「安倍の巣」から逃げ出してるじゃん(笑)
めりぴょん: それこそ「安倍とともに去りぬ」って、前に言ってらっしゃった(笑)。
宮台:■その通り。すごく大事なポイントは、お二人がおっしゃった「メンヘラ化」。つまり、酒鬼薔薇事件の時に僕が使った言葉で言えば「闇の個人化」だよ。その酒鬼薔薇事件が1997年だってことが象徴的だよね。善悪判断は横に置いて、社会が変化する方向を話しているだけなんで、聞いている人は誤解してほしくないけれど。「表と裏」「光と闇」の二重構造が消えて、「表の中」「光の中」での表層的な戯れだけになったわけ。そこから先は「捕まらないで、いかに切り抜けるか」という戯れだけになった。それを「あらいぐま&アンジー」は勘違いしたんだね。安倍と同じで馬鹿だからだね。この馬鹿さは、しかし安倍と河合夫妻だけじゃなく、自民党議員も超えて、多くの人間たちに共有されている。今日の僕の話はちょっと難し目だけれど、反芻して考えてほしい。
■僕自身が反芻しようか。安倍や河合夫妻みたいな頓馬は「投票買収みたいな脱法は昔ながらだ」と思っている。しかし昔は、表と裏の二重性があった。「裏界隈」があって「裏の掟=任侠」の世界があった。途上国の人たちがレポートに書いてくれたように「自分たちの国ではvote buyingは、単なる脱法じゃなく、共同体の保全行為、つまり共同体へのコミットメントそのものだ」。それを読んで僕は「日本もそうだったんだよな、30年前までは。でも今はもう違うんだよね」って思った。日本の掟の界隈は90年代半ばに消えた。どの界隈からも一斉に消えた。なのに20年以上も経ってもまだ「これは昔の作法だ」と思っている頓馬が大量に残っている。どうして頓馬が大量発生しているのかというと、本人が悪いんじゃなくて、歴史を含めた世の中の全体が見えていないからだよね。
■だから、今日も歴史の話になったでしょ? ある社会で何かが起こったときに、それがどういう意味を持つのかは、少なくとも50年の歴史を見なければ絶対に分からない。売春1つ取ったって、クスリ1つ取ったって、何にしたってそう。善い悪いは別として「今こうなっているのは何の意味を持つのか?」は歴史を遡らないと分からない。歴史を遡ると全体が分かるからそれが分かる。それは社会学ではトータリティ(英語)とかトタリテート(ドイツ語)って言うけど、全体性が昔のいわゆる大物には分かっていた。もちろん社会学者はトータリティなんか全然分からない頓馬だらけ。僕が援交の存在を朝日新聞で暴露した93年、「宮台君、キミとは縁を切る」に言ってよこした社会学者が多数いた(笑)。だけど、昔の「表の大物」って必ず「掟の界隈」と繋がっていて、全体が見えていた。全体の流れも知っていた。語り伝えられていたからだね。だから勘違いがない。でも今は勘違いだらけ。「あらいぐま&アンジー」夫妻だけじゃなく、至るところに、歴史知らず&全体性知らずの頓馬がはびこっている。頓馬どもは「見掛けの類似」だけで「昔と同じことをやっても、別にいいんじゃね?」と思っちゃうんだね。それが至るところに見てとれるわけだ。
石丸: 本当に「あらいぐま&アンジー」のユニットが興味深くって。顔見た瞬間にファンになっちゃったわけ。「あらいぐま」の髪型って変じゃない、なんか? なんか特殊なカットを……どこで切ってんのかなって。広島じゃないと思うんだよ。
宮台:■微妙に好感度があがるヘアスタイルだよね。
石丸: そう、悪くないんですよ! メガネとかも奇抜すぎないでナウいし。オシャレに見えるんですよ。
めりぴょん: ナウいって言葉がナウくないですけど(笑)。
石丸: わざと使ってんのよ。「ナウい」って言葉が好きなのよ(笑)。
宮台:■僕も好き。「イカしてる」とかね(笑)。
石丸: 「ナウい」って言葉自体はダサいわけよ。でも髪の毛をあのぐらいの年齢で一生懸命に気を使うのって、ダサいじゃん。だからナウいって言葉とマッチングするのよ。
めりぴょん: それはそうですね。ナウいって言葉の文脈がね。
石丸: もうファンなんですよ~。
めりぴょん: 石丸さんが河合夫妻のファンだってことは、もう充分伝わりました(笑)。
宮台:■めりぴょんさ、引退した芸能レポーターとかに話を聞きにいくといいんじゃないかなあ。そうすると芸能における「掟の界隈」の歴史がわかると思うんだよね。
めりぴょん: それこそジャニーズの「ヤラカシ」みたいな分野って、研究している人がほぼほぼいない。先人がいないっていうのは、私は令和になってはじめてるけど、令和の時代だと誰も止める人がいないわけですよね。ところが今までの研究してきた人たちは、ジャニーズの表について分析することは出来ても、裏について研究しようとすると怒られが発生するので、それが文章になってないっていうのがある。それは令和になってインターネットが拡がって、どんどん掟の社会が無くなってきている利点として、それをまとめておくっていうのはやっといたほうがいいのかなって思っていますね、私も。
宮台:■社会学会でもジャニオタ研究って定番なんだけど、そこに踏み込んだ研究はほぼ皆無。単にファンクラブの偉い人から聴き取ってるだけ。それだとオモテしか見えない。「裏の界隈」に踏み込んでそれをやると、語り伝え・述べ伝えとしてすごく意味がある。それだけじゃなくて、めりぴょんにとってめちゃ面白いと思うよ。めりぴょんの性格にあった仕事は他にないってくらいね。
(文字起こしⅡに続く)
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