後半|宮台真司×福山哲郎|緊急配信 検察庁法改正案を考える|2020.05.16ライブ
後半【宮台真司×福山哲郎|緊急配信 検察庁法改正案を考える】
You Tube|2020.05.16(土)ライブ配信
福山哲郎さん : 参議院議員/立憲民主党幹事長
宮台真司 : 社会学者/東京都立大学教授
(文字起こし : 立石絢佳 Twitter: @ayaka_tateeshi)
後半(※長いので前半と後半に分けています)
▶検察の暴走を止める必要はあるが「検察庁法改正案」では内閣が暴走する
宮台 ここに付け加えておきたいのは、検察は正義ではなく、しばしば暴走すること。福山さんに近いところでは、政権を執った元民主党の代表になるはずの小沢一郎さんが「国策捜査」で追い落とされるっていうことがありました。田代政弘特捜検事(元)による捏造調書で知られる陸山会事案は冤罪です。他にも、検察は1980~90年代から数々のインチキな「国策捜査」をしてきました。ホリエモン事案といい、やまりん[鈴木宗男]事案といい、佐藤優事案といい、厚生省村木次官事案といい、検察は「国策捜査」で数多くの冤罪を積極的に作り出してきました。先ほどの田代政弘に対する不起訴処分や、森友学園問題で文書捏造を指揮した佐川宣寿財務省理財局長(元)に対する不起訴処分のような、物的証拠もあるのに起訴をしないという「不作為」であれば、枚挙に暇がありません。
インターネット番組「マル激」でもやったけど、ホリエモンを摘発した特捜も、全くデタラメな「国策捜査」をした。そのホリエモンが、「みんなの気持ちは分かるけど、検察が正義だというのは間違いだ。検察の暴走を止めるに、政治権力が検察をコントロールするのは当たり前だ。だから、検察庁法改正は良いんだ」って言っている。
でも、気持ちは分かるけど、無知に起因する愚かなロジックです。さっき紹介した緒方事件に見るように、「政権から意を直接伝えられて従うケツ舐め検察幹部ら」の実例があるからです。検察の暴走がいけないように、それ以上に内閣の暴走もいけない。だから、内閣の暴走を止める役割が検察が期待されるのと同じように、検察の暴走を止める役割を何かが果たさないといけない。実はそれが、刑事訴訟法改正問題における可視化だったんですね。警察・検察の全ての……
福山: 取り調べの可視化ですね。
宮台: つまり、全事件・全過程の録音録画です。冤罪のパターンは決まっています。長期間拘置所に留め置いて、裏司法取引をするんです。実質は脅迫。「叩きゃホコリが出るだろ。こんなホコリ、あんなホコリ、もう全部掴んでるぞ。表に出されたくなかったら、我々が言うように言え!」。あるいは「共犯者はもう自白してるぞ。お前だけが自白しないでいると、お前の量刑だけが重くなるんだぞ。それがイヤなら、我々が言うように言え!」。これが検察による冤罪作出の常套手段。今でも使われます。そういう常套手段を使えなくするのが、全事件・全過程の録音録画です。
ところが、例の黒川弘務が、取り調べ全面可視化を食い止めた。それだけじゃなく、「火事場泥棒」的に検察による冤罪作出をやり易くした。つまり刑事訴訟法改正の功労者なんです。村木さん冤罪事件の後に「検察のあり方検討会議」の事務局責任者として人選に関わったのが大きい。結果的に、取り調べ可視化を裁判員裁判案件に限定する一方、通信傍受の範囲を大幅拡大し、自己負罪型[自白することで刑を軽くする]ではなく訴追協力型[他者をチクることで刑を軽くする]の司法取引を導入する、などをした。検察を監視・制約するための司法制度改革が、冤罪作出を支援する方向に「焼け太り」した。これは黒川弘務の功績です。ちまたでは軽く見られているけど、黒川の出世は検察内部の論功行賞でもあるんです。
さて、もう一度整理します。①内閣の暴走はまずい。だから、内閣を監視する検察の機能を解除するのはまずい。②だが、検察も暴走する。だから、検察を監視しなければならない。③だからといって、内閣に検察トップの人事を委ねるのはまずい。内閣を監視しなくなるどころか、冤罪作出や不起訴を連発することで内閣の暴走を助けるから。以上。
福山: ホリエモンさんが言われるように、検察は全て正義でやっているとは限らないっていうことですね。
宮台: そうです。とくに「国策捜査」と言われるものは、「それが国体のためになる」という類の、検察の思い込みによる妄想的正義です。鈴木宗男さんと佐藤優さん絡みの冤罪は、自民党の従来的外交が否定されてはならないという妄想的正義。小沢一郎さん絡みの冤罪は、自民党が与党であるべきだとする妄想的正義。ホリエモンの冤罪は、5系列16社によるマスコミ独占体制が維持されるべきだとする妄想的正義。どれも簡単に論破できる、くだらない思い込みです。
福山: 先ほど、先生が言われたのもちょっと早かったので、みなさんアレだと思うんですけれど、ホリエモンさんは逆に言うと、「今回検察の権力を抑えるために検察庁法改正は必要だ」という議論が、非常にYou Tube上では盛り上がっているわけですけれども……。
宮台: いや、盛り上がってないですよ。一部の頭の悪い人が賛同しているだけです。まともな人は、僕の言うように「検察の暴走を止める必要があるが、内閣が検察トップ人事に介入すれば今度は内閣が暴走してしまう」と反応しています。検察の暴走よりも、内閣の暴走のほうがもっと怖いよ。だって、内閣の指令で、検察トップを操って、冤罪を自由自在に作り出せるんですから。それがいいわけないじゃん。
福山: ということですよね。そこの議論は、検察のあり方とか、さっき先生が言われた可視化の問題とかは制度としてちゃんと整えていって、やっぱり検察の信頼性を高めていくのは、どうしてもこれからやらなければいけない課題だと。この話を、今回の検察庁法の改正が良いか悪いかという議論にしていっちゃいけないということですよね。
宮台: そうなんです。黒川弘務は両義的存在なんです。今回の検察OB有志が言うようにね、黒川弘務が検事総長になったら、検察の威信も機能も台無しになることは確かです。実際に、黒川弘務のもみ消しで、売国的な安倍内閣の犯罪が隠蔽されてきた。これだけでも検察にとっては屈辱です。でも、さっき申し上げたように、検察の妄想的正義による暴走を止めるための改革を、骨抜きにして焼け太りさせる役割を果たしてくれたので、今後も「国策捜査」は安泰になった。だからここまで出世できたんで、内閣の力だけじゃありませんよ。
▶全ての人の痛みに寄り添うことができる人間しか政治家になってはいけない
福山: まぁ僕から見ると、逆に黒川さんなんかは、先生がおっしゃる話で言えば、行政官僚としては非常に有能なんですよね。
宮台: 実に有能ですよ。愛嬌もあるし。
福山: はい。別にお人柄が悪いわけでもないし、我々も政権のときに、いまみたいな偉い立場ではなかったですけど、逆に言うと行政官僚の行為として、先ほど先生がずっとおっしゃっておられた、言葉は悪いですけど、ある種の保身的なものとかですね。ある種のポストとかっていうのは、それは行政官僚としては、先生も悪いことではないとおっしゃったけど、当然のことだと僕は思うんですよね。
宮台: さっきお話ししたように、当然ですね。
福山: だからこそ逆に言うと、三権分立も含めて、それぞれが牽制しあわないと、人間っていうのはそもそも愚かな存在だから、そのなかで間違うことで暴走するから、それぞれが牽制しあうという話を、いま検察庁法改正では、まさにそこを崩そうとしているということですよね。
宮台: そうです。さっきの言い方で、いま一度パラフレーズすると、行政官僚は、予算と人事の最適化を求めて動く動物です。でも、そのことで行政官僚の振る舞いが全て予測可能になります。その予測可能性=計算可能性は、政治にとって不可欠なものです。だから、行政官僚の振る舞いは「損得マシーン」のままでいいのです。ただし、人事と予算の最適化のためであれば何でもするので、放っておけば暴走します。だから、操縦桿を付けなければいけない。操縦桿を握る役割をするのが、政治家です。
さて、どこに向けて操縦桿を操作するか。日本国民の利益に向けてです。ところが、今の、安倍……イヤ安倍さんや、取り巻きどもは、モリカケ、サクラ、クロカワ……どれを見ても日本国民の利益を考えてない。日本人のためを考えていない。自分の利益と保身ばかり考えているクズです。つまり、行政官僚と同じような種類の人間が政治家をやっている。これは、マックス・ウェーバーが最も恐れていた「ダメな国体」で、その「ダメな国体」に日本が成り下がっているということです。そのことを、愛国者であれば誰でも憂えざるを得ません。
福山: 先生が先ほど言われた、保守主義の話もですね、保守主義について日本はずいぶん誤解をされていて、先生と若い頃、よく議論しましたけど。保守主義というのは、先ほど先生が言われたように急な改革を求めるのではなくて、時間とともに少しずつ少しずつ改革をしていくんだと。人間はそもそも完全な存在ではないからこそ、ゆっくりゆっくりやっていくんだというのが保守主義の立場なのが、正直申し上げて、日本の戦後、ずーっと先人が作ってきた、例の集団的自衛権の問題にしても今回の検察庁法の改正にしても、そういったものについて、安倍政権は非常に乱暴なやり方で……数の力で押し切る、数は正義だと言ってしまう。私は数は正義だとは思わないんですけれども。
宮台: 思わないのは当然のことです。「数の力を頼る多数決は民主政とは何の関係もない」というのが、ジャン・ジャック・ルソー[フランスの哲学者]がフランス革命の少し前に言ったことですね。
福山: ですからそこのところで、逆に並行して、官僚組織の劣化も起こってるというのが、いまの先生の御議論ですよね?
宮台: そうです。ルソーの名前を出したので、せっかくだからルソーの話をしましょう。彼はとても面白いことを言います。いわく、民主政は国民の「ピティエ pitié」を不可欠とします。「憐れみ」って訳されているけれど不正確です。正確には2つの要素を含みます。第1に、ある決定がなされたら、他の成員がどんな目にあうかについて各成員が「想像できる」こと。第2に、他の成員がどんな目にあうかについて各成員が「気にかかる」こと。この2つの要素がなければ、多数派工作のためのリソースを持つ「既に勝っている者たち」がずっと「勝ち続ける」トトートロジーになります。実際に日本はそうなっていますよね。
福山: まさにそうなんですよね。
宮台: ウェーバーの名前を出したので、ウェーバーについてもう一つ申し上げましょう。彼のキーワードは「倫理」です。市民倫理は、法を守って生活するべしということだけれど、政治倫理は全く違う。政治家とは、国民のためにイザとなれば法を踏み越える覚悟をし、なおかつ、そのことで血祭りに挙げられることを覚悟するような存在でなければならない。要は「国民のためなら死ねる存在であるべし」ということ。これは倫理的命題です。だからウェーバーは「政治倫理」と言います。
そういう政治家が行政権力のトップにいるべき理由は、何か。複雑で大規模な国では、国民はさっきの「ルソーの2条件」を大体において満たさないからですね。分かりやすく言えば、自分さえ良ければっていうフリーライダーだらけなんです。短く言えば「損得マシン」だらけ。なぜなら、市場で生きていかなければならないからです。市場は、損得勘定だけを動機づけにするメカニズムだから、そうなるんです。
福山: でも先生それは、人それぞれ生活があるから、決してそれは批判的なものではないですよね? 生活するために当たり前のことですよね?
宮台: そうです。だから、ヘーゲル以来、市場と国家を別の原理だとされてきました。市場は損得勘定の認知が支配する領域で、国家は国民のためという規範[倫理]が支配する領域です。こういうふうに二つに分けて考えるべきなのは、なぜか。社会が大きいからです。小さな社会では、市場のプレイヤーが、アダム・スミスがいう同胞感情に基づく同感能力を持ち得ます。そういう時代であれば、国家は最小限の夜警国家でいい。ちなみに、スミスはルソーの同時代人です。ルソーが政治領域でピティエを持ち出したように、スミスは市場領域で同感能力を持ち出した。同感能力っていうのは、他人の苦しみや悲しみを、自らの苦しみや悲しみとして体験する能力のことです。
でも、社会が大きくなると、同胞感情や同感能力が全体を覆えなくなります。だから、市場を外から統制する政治と行政が必要になります。むろん、政治と行政は「国民のために」市場を統制しなきゃいけません。さもないと、たとえ市場の負の副作用があっても、政治と行政が存在しないほうがマシという話になりかねない。でも、政治と行政が「国民のために」統制を行なうなんて、あり得るのか。単純な人は、だから民主政が必要なのねって言う。
でも、民主政がちゃんと回わるには条件が必要なんです。それがルソーのピティエ。とすると、ちょっとおかしくなるなと思いませんか。国民が市場ゆえに損得マシーンだらけになる一方で、それを統制する政治と行政が損得マシーンを越えるなんてあり得るのか。そこにウェーバーが登場して言う。市民どころか行政官僚でさえ損得マシーンで構わない。ただし政治家さえ損得マシーンを越える倫理を持てるならば。彼の発想では、処罰されるのがイヤだから法に従うのは損得勘定です。だから、政治家はイザとなれば国民のために法を踏み越えろというのは、国民のために損得勘定を越えろ=血祭りを覚悟しろという意味です。つまり、大きな社会の要石は、政治倫理を持つ政治家がいるかどうかになる。
福山: そうですね、それはよくわかります。ただそういう方ばかりが政治家に……自分も含めて反省して言えば、そういう人間ばかりが政治に出て、そういう人間をちゃんと選択できるシステムがあるかっていうと、民主主義ってそこまで機能が整っているわけではないですよね?
宮台: そうです。そこをウェーバーが問題にしたんです。普段は損得生活を送りながら、政治家を選ぶ時に、損得を越える政治家を選ぶなんて、あり得るのか。そこで、あり得ないことをあり得るようにするために、ウェーバーは教育による国民化が必要だと考えました。でも、後継者にあたるカール・シュミットは、ウェーバーと全く同じ論理を使いながら、戦間期のドイツ国民の民度の低さに絶望し、民主政を否定して倫理的な独裁者による政治を推奨しました。で、ヒトラーが倫理的な独裁者だと思ったら、とんだ勘違いだった…という顛末です。
この歴史を踏まえて10年間僕が申し上げていることは、民主政が終わりつつあるってことです。福山さんも近いところまでおっしゃった。「国民の全体のことが分かり、かつ、気にかかって仕方ないような」倫理的で高潔な政治家を、国民が選べないんです。単に、自分が属する集団にとって得だからとか、ウヨ豚のクズが典型的だけれど「韓国人が悪いんだぁ!」「中国人が悪いんだー!」って言ってくれてスッキリさせてくれるから、という浅ましくさもしい理由だけで、政治家に投票する。すると、たとえ制度が民主政でも、「ルソーの条件あらためウェーバーの条件」を満たさないクズだけが政治家になります。今そうじゃないですか。安倍政権が長く続くっていうのはそういうなんですよ。
だから、僕は安倍政権の誕生を喜んだし、安倍政権ができるだけ長く続けばいいと言ってきました。いずれ、必ずボロを出すどころか、国民に対する犯罪的なことをやるに違いないと確信していたからです。それで、国民が懲りて、自業自得で「悲劇を共有」すれば、少なくとも悲劇を忘れない間は、民主政を延命できるかもしれないからですね。だから、今回のようなことになって、「あぁ僕の予想通りだった、やっぱり安倍を支持していて良かった」と思いました。
福山: 先生の話を聞いていると、逆にいま野党にいる我々の責任も非常に感じるわけですよね。それは安倍政権がやはりこれだけの支持を、そうはいっても受け続けていると。そういう状況を作っている片方には、野党側の政治家の、ある種のだらしなさとか、先生の言われる、ルソーやウェーバーが言っているような状況を我々自身も体現できてないところがあるわけで。我々も正直言って、政治家としては……なんていうのかな……うーん。
宮台: 福山さん。僕は、それは「生き方の問題だ」というふうに言ってきました。新型コロナ問題についてドイツのメルケル首相のスピーチがあれほど感動的なのに、安倍さんのスピーチが1ミリも感動を呼ばないのはなぜか。「お笑いプロンプター問題」でしょうか。プロンプターって本来は資料の数字を間違えないためのものですが、フリガナだけじゃなく「ここで間を置く」とか「水を飲む」とまで書いてあるのを、それらしく振り付けされて必死で読んでいる空っぽさは、世界に知られた事実。僕は彼のスピーチを眺めるたびに爆笑します。
でも、安倍さんのスピーチのダメさは、プロンプターが理由じゃない。簡単に言うと「国民のためを思っていない」のが佇まいから明らかだからです。メルケル首相やニューヨーク州クオモ知事のスピーチから漂ってくる「国民のためを思っている」「国民のために自分は犠牲になってもいい」というオーラ。安倍さんにはこれが皆無なんです。ただし、ドイツでもアメリカでも感情的劣化は進んでいて、オーラに反応できない人が増えたがゆえに、オーラに満ちたスピーチによって国民がクズとそれ以外に分断される皮肉な事実があります。いずれにせよ、倫理的な政治家に選べないと、国や州は終わるのですね。
その意味では、野党も倫理的な政治家だらけだとは思えないところに問題があります。立憲民主党だって国民民主党だって労働組合政党。自民党が経済団体を動員し、公明党が宗教団体を動員しているように、組合団体を動員する。だから、経済団体のゴキゲンを損ねちゃいけない、創価学会のゴキゲンを損ねちゃいけない、労働組合のゴキゲンを損ねちゃいけない、と損得勘定が支配する。むろん選挙は勝負事。勝負に勝つには戦略が必要。戦略とは損得計算。だから、ある程度は仕方ない。けれど、戦略は敢えてする役割演技でなければならず、戦略を越えた圧倒的な倫理を持つことを人々に納得させられなければ、野党は沈滞します。野党も与党もどうせ同じなら、権力に慣れた与党に投票するでしょう。
▶安倍晋三は日本人の象徴である
福山: 先生。でも、現実問題としてこの1000万のツイートが起きた。検察庁法については、私がすごいなと思うのは、インターネット上で国会の内閣委員会をですね、何万人の方が見ているんですね、生で。それでそれに対して反応していると。これはたしかに、この10年、我々の責任もあるんですけれど、劣化をしている日本の社会、経済的にも厳しくなっている。少子高齢化が圧倒的に進んで、それに対する道筋も見えなくなっている。そういう状況の中でも、こんだけ国民のみなさんが、いまの内閣委員会・国会に注目をしていただいている。ということは少し次の時代の、光にならないんでしょうか。
宮台: まさに光になるように、この機会を「奇貨」として利用するべきだと思います。おっしゃったように、国会の内閣委員会がこれだけウォッチされているのもね、これも新型コロナ禍のおかげです。リモート勤務や失職で在宅している人が多いから、見ることができるんです。ドイツやフランスなどヨーロッパが年間1500時間労働なのに、日本は残業などを含めると2000時間労働。忙しすぎて社会参加できない。社会参加とは、家族と地域と政治への参加。社会参加できないから、家族も地域も政治も空洞化しているわけ。ワークライフバランスって家族と地域と政治に参加するという意味なのに、趣味の時間が増えるという意味に誤解する頓馬がワンサカいる状態でした。ところがコロナ禍で初めて国会中継を見られて「何なんだ、この惨憺たる有様は!」って急速にバレた。いいチャンスなんです。
新型コロナは、災厄をもたらしているはけれど、物事には必ず良い面と悪い面があるので、コロナ禍で良いこともいっぱい出てきているんです。簡単に言うと、変わらなかったものが変わらざるを得なくなった。あるいは、10年かかって変わるはずのものが10倍速の1年で変わっていくことがあります。
福山: すごい早いと思いますね、これから。
宮台: 産業構造改革もどんどん進むでしょうね。ただ、そのときにやっぱり物事を細かく見る最低限のオツムが必要です。コロナ禍は経済禍だから、フローだけで生きている人も会社も、どんどん淘汰されてしまいます。逆に、ストックさえあれば淘汰されずに生き残る。だから大企業は淘汰されないし、ストックのあるような中小企業も淘汰されないわけです。
これはマズイ展開です。ストックかフローかという問題と、イノベイティブで生産性が高いかどうかという問題は、別物です。頭の悪い自民党議員が、「これで潰れるところは潰れてくれたほうがいいんだ」とかホザくけれど、フロー・ストック問題と、生産性問題は違う、という小学生でさえ分かることが、分かっていないという惨状です(笑)。
福山: 本当に先生がおっしゃるように、難しいんですけど、いろんなところに芽が出てきていて、僕思うんですけど、日本の企業人って忙しすぎるし、本当に普通に働いている人は政治を見るような暇がないんですよね。だからNHKの国会中継なんて視聴率1%しかないし、テレビのコメンテーターで国会の審議見たことない人でコメントしている人って結構いると思うんですよ。こないだもある方が「私こないだはじめて国会審議見たんですけど、びっくりしました」っておっしゃってて。「この人、国会審議見ないでコメントしてたんだ」と思ってびっくりしたんですけれども。やっぱりそういう状況では政治は変わらないんだけど、いますごくチャンスで、政治家もですね、こういう状況だと国会審議でなに言うかって、すごく慎重にならざるを得ないんですよね。加えて、そこの次に参加をしてもらわなければいけないし、経済の状況についてもさっき先生が言われたように、完全に日本っていつの間にか、いわゆるサービス産業の社会に変わっていたんですよね。だからこそ、先生が言われた、フローのところが全部いまやられているわけですよ。
宮台: そうです。高い生産性をあげて、欧米であれば立派に生きていける中小企業であってすら、物価が安すぎてストックをなかなか蓄積できない。それが、産業構造改革をさぼってきたがゆえに、全体の生産性が極めて低くて、物価が上がりようもないという、今の日本です。デフレの最大要因は、1人当たりGDPが欧米の三分の二という生産性の低さにあるんですね。だから、どんなに金融緩和をしたって、デフレが終わるわけがないんです。
あと福山さんね、大事なことはね、安倍や首相官邸やその周りにいる……。
福山: 「安倍さん」ですね(笑)。
宮台: 「安倍さん」の(笑)ダメが、日本の至ることにはびこっていることも、もう1回強調しておきたい。たとえばNHK見てください。安倍のケツを糞がついていても舐める、Iっていう女性記者を見てくださいよ。私人だから、名前は挙げないでおくけれど(笑)。
福山: いやまぁ私はなんとも言いようがないすけど(笑)。
宮台: どうせ、この女も「安倍とともに去りぬ」なので、「ざまぁ」という感じですが、一応、国会で予算を決めている「準公共放送」なんですよ。にもかかわらず、政権ベッタリ。NHKのWEBサイトを見ると、いろんな社員たちがいて抵抗しようとしていることがよくわかるけれど、多くの人たちが見るようなテレビニュースでは、政権にとって都合の悪いことは一切報じないっていう、昔の「大本営発表」なんです。こんなインチキ放送に受信料を払う必要はない。
その意味で言えばね、今後、安倍政権ではなくなったとき、自民党政権であろうが野党政権であろうが、NHKの放送の公共性を保たなければいけません。しかし、それはともかく、予算権を握られているだけで、ここまで政権のケツを舐めるNHKの経営幹部のあり方って、みなさん、情けなくありませんか? なんで内部告発するヤツがでてこないの?「私は違う」っていう人間がでてこないの? 実際は、他の企業もNHKと同じなんですよ、基本的にはね。
ということで、日本はどこをとっても金太郎飴的に同じです。だから安倍さんは日本人の象徴です。そういう意味で、「安倍さんさえ変えれば日本は良くなる」はありません。安倍さんを変えても、また同じような人が出てきます。特にに検察庁法さえ変えてしまえば、何によってもチェックされずに、頭が悪くて倫理の全くないような政治家が行政権力中枢に居座り続けることになります。
しかも国民の多くがそれをチェックする倫理観を持ち合わせない。嘘・隠蔽・改竄が常習の犯罪者が政治家なのに、「他よりマシ」というのは損得勘定です。むろん損得も大事です。人間は生活するからね。でも、損得だけで生きるのは人としては貧しいし、ルソーも言うようにそういう人が大半だと国が滅ぶし、ウェーバーが言うようにそういう輩が政治家だと国体がめちゃめちゃになっちゃう。そういうことをみなさん考えてほしいなと思いますね。
▶マスメディアが報じる「感染者数」は全く無意味
福山: まあでも今回は、非常にコロナで本当にいま大変な思いをしている方がたくさんいらっしゃるし、患者の感染者の方もいらっしゃるんですけど、やっぱりそれぞれが考えるきっかけの1つになったというふうに思いますし……。
宮台: そうです。たとえば、報道の頓馬ぶりが明らかになりました。「感染者数」って報じ方やめてくださいよ。ただの「感染判明者数」じゃないですか。
福山: まあそうですね。
宮台: 「何を分母にしてこれだけの感染者数が出た」ってことを言わなければ、全く意味がない。分母に当たるのは「どんな検査で、どれだけの検査数をこなしたか」です。それが分からない在外の日本人学者の中には、ただの「感染判明者数」に過ぎないものを「感染者数」だとみなした上で、「それが感染者数である限りにおいて優れたモデル」を作った人もいる。その意味では頭がいい人もいるなって思ったけれど、残念ながら、出発点において、あれは「感染者数」じゃなく、ただの「感染判明者数」なんでね。
福山: 検査をした人ですからね。
宮台: そう。尾身さんにしろ、あるいは西浦さんにしろ、たぶん意図的だろうけれど、「感染判明者数」を「感染者数」って呼んでいたでしょ? 尾身さんなんか、福山さんの質問で答えちゃったじゃないですか。「20倍はいる」って(笑)。
福山: 「10倍か12倍か20倍かいるか、わからない」とおっしゃったんですけれどね。[正確には「10倍か15倍か20倍」]
宮台: ありがとうございます。だったら、それをクラスター対策班あるいは専門家会議で言えばいいじゃないですか。何をいまごろ言ってんの? そこに「倫理の欠如」「倫理よりもポジション」「倫理よりもケツ舐め」っていうあり方を……。
福山: せ、先生ッ、「ケツ舐め」はまずいと思いますね(笑)。
宮台: はい(笑)。なので、みなさん。まるで天気予報みたいに、マスコミが「今日の感染者数はナントカです」って言っていますが、意味ありません。面白いでしょ? 検査数の多い日は感染者が多いんですよ。だから「週末がになるといつもナンタラカンタラ」ってなっちゃう。分かりやすいですよね。「感染者数」の大本営発表とは違って、感染死者数には「少し」意味があります。でも、肺炎死者や脳梗塞死者に対する事後検査をしていないから「完全には」信用できない。超過病死者数、つまり「毎月なら毎月の病死者数の過去平均から、インフルエンザ死者数を割り引いたものが、どれだけ超過しているか」ならば、「かなり」目安になります。実は、僕はこれを参照しています。
でも、なぜか日本ではPCR検査数が先進各国の十分の一以下のオーダー。安倍政権に統治能力か存在しない証拠です。ただ、6月からは抗体検査が解禁されるから、抗体検査が十倍のオーダーで拡がると思う。ただ、アメリカや多くの国では、抗体検査キットを薬局で買えます。でも、日本では医師会権益もあって、医者を通じてだけ調べられようにするでしょうね。とにかく、抗原であれ抗体であれ検査数を増やさなければ実態はつかめません。実態がつかめない以上、「感染者数」という名の「感染判明者数」には意味がない。まぁ、専門家でもないクセにってほざくウヨ豚は、これからも「感染者数」を信仰してください(笑)。
福山: 全員のPCR検査は無理でも、圧倒的に無症状者や軽症者も含めた全体像で、各国は感染者数を出しているという事実はありますよね。
宮台: 各国はそうです。それを「疫学リサーチ」と言います。ベストな方法は、ある程度大規模な無作為抽出ですが、それだけの検査インフラさえないなら、「東京都市部・近郊/大阪都市部・近郊/地方都市部・近郊……」とゾーニングして、「割り当てた上での無作為抽出」をすれば、最小限の検査数で、感染実態や感染履歴実態が推定できます。いずれにしろ「今日の東京の感染者数は何人です」っていうのは意味がないので、テレビが「今日の感染者数は……」って言うたびに、「あー、このテレビ局もバカだな」と爆笑して下さい。
▶本当の保守主義は「社会保守」だけ
福山: まああのー、コロナの問題も先は長いと思いますし、経済的に言うとまだ厳しい状況が続いて、世界的にも経済が落ちていくと。それから、たとえば外に出た工場とか生産拠点が国内回帰するとか、これだけグローバリゼーションの中で、ものがぐるぐる回るはずだったのに、いきなりアメリカが「医療機器については出さない」と言い出したりですね。やっぱりこの25年くらいのグローバリゼーションの流れが、若干ここでこう、少し状況が変わると思うんですけれど、そこは先生、どう思われますか。
宮台: まず古典的な経済学理論を押さえましょう。リカード[イギリスの経済学者]の「比較優位説」です。グローバル化の基本理論ですね。それぞれの国は得意なものを作り、あとは国際貿易でなんとかやればいいっていう。この考え方だと、農業自給率はゼロでもいい。ただし、グローバル化は国際貿易以上のもので、資本移動つまり「ヒト・モノ・カネの事由な移動」を伴うから、本社や工場をどんどん海外の固定費(地代と労賃)が安いところに移動していく流れを含みます。でも、リカード説に依存しているのは全く同じことです。
さて、リカード説の欠点は、安全保障を考えていないこと。たとえば、特定品目の輸出入禁止措置や、経済封鎖がなされれば、直ちに成り立たなくなります。今回のコロナ禍のようなパンデミックがあれば、軍事的理由じゃなくても経済封鎖がなされがちです。
福山: なされましたね。なされようとしましたね。
宮台: だったら「農業自給率ゼロでも、国際貿易があるから大丈夫」はあり得ない。当たり前だけれど、「自由な国際貿易を前提としたグローバル化が今後も続くだろう」という呑気な想定で振る舞う国は、どんどんダメになります。さて日本はどうでしょう。水道法とか、種子法とか、種苗法とか、枚挙にいとまがないけれど、「経済財政諮問会議」的なネオリベ勢力によってどんどん無防備にグローバル化に棹さす方向にガイドされてきています。
実は、ひたすらそっち方向にスロットルを全回したのが、安倍政権なんです。「安倍政権こそが、日本の国家安全保障に最大限に反する振る舞いをしてきた」っていう決定的事実があるわけです。コロナ禍によって「パンデミック経済封鎖」が起こったことで、やっと多くの日本人が問題を認識できました。これも革命的なことですよ。僕に限っても二十年間同じことを言ってるんだからね。
水道法・種子法・種苗法の改悪[種子法は廃止]を進めてきたクズたちは、日本国民がそれによってどれほどの安全保障上の欠陥を抱えようが、関心がないんですね。同じ意味で、安倍政権にも関心がないんですよ。だから、ひたすら「安全保障を考えない場合にだけ妥当であるような学説」に乗っかって、政策を推進をしてきた事実を忘れてはいけないんです。
福山: 種子法も水道法も、我々は徹底的に反対したわけですね。私は本会議場でヤジった経験がって、「どっちが保守なんだ!」って言ったんですけれども。「こんな法律を通して、この国をどうするつもりだ」って本当に思いがあって、でもこのコロナの状況で、確実に国内回帰とか、国内の中のあらゆる食料安全保障やエネルギー安全保障、そういった安全保障も含めてどういうふうに……まあ、国際社会と付き合わない、鎖国をしろなんてバカなこと言うつもりはないですけれど、どういうふうに最低限、この国を守るための構えを作るかって議論を、具体的にはじめなければいけないですよね。
宮台: そうですね。だからそ、安全保障という言葉で軍事だけのことしか考えない安倍さんみたいな頭の悪い政治家は、日本を滅ぼしてしまいます。しかも、種子法や水道法の改悪は、基本的にアメリカの要求に呼応しています。その意味で安倍さんは「売国政治家」です。今回のパンデミックがあって初めて、安倍さんが本当に安全保障を考えていたかどうかが、分かったでしょ? 先進国でCDC[アメリカの感染症専門の政府機関]がないのは日本くらいです。
ここで、政治学に詳しくない方々に、概念的なヒントをあげましょう。先ほど申し上げたように、人間にはもともと、すごく複雑な社会を理解できるだけのオツムはない、誰にもね。だから「思い込みで社会を変えると、とんでもないことが起こるよ」って言ったのが、エドマンド・バーク。それが保守主義の真髄です。こういう立場を僕は「社会保守」と呼びます。
それに対して、「経済的に自由でありさえすればいいんだ。政治はそれに介入するな!」っていう、昨今で言えばネオリベ的な立場を僕は「経済保守」って呼びます。実は、社会保守の後に出てきたのが経済保守で、歴史的には19世紀末からのものです。20世紀になって戦間期にソビエト連邦共和国ができて、第2次大戦後に東西冷戦になると、「反共こそが保守だ!」っていうイデオロギー保守が出て来ます。僕は「政治保守」って呼びます。
福山: そうですね。日本はずっとそれできましたね、戦後は。
宮台: アメリカ政府の命令でしたからね。ただ、自民党には、ドブ板政治をするそれなりの地域政党でもありました。他の西側では、強者と弱者の対立が「資本家と労働者」っていう都市的対立=階級対立だったけれど、日本の場合、強者と弱者の対立が「都市と農村」っていう対立だったのですね。戦後復興に移民労働力を使った他の西側と違って、日本は農村の過剰労働人口を都市移転して使ったことが、歴史的な背景です。
そんな歴史に即して、地方から人口を吸い上げるかわりに、お金をつけるってことをやった「再配分政党」が自民党。それがコンクリート一辺倒の公共事業政策の背景です。地方の弱者にとっては、都市部しか考えていない社会党や共産党を頼るのは自殺行為でした。田中角栄にこそ地方再配分の典型的な功績がありました。それは認めなければいけないと思う。
さて、それとは別に、1970年代以降のアメリカでは、1960年代の「リベラルな風」への反発として、思考停止の宗教的原理主義者が大量生産されます。僕は「宗教保守」って呼びます。実は社会保守と経済保守と政治保守と宗教保守の間には何の共通性もありません。それを「保守」という言葉で一括してきた人たちは、歴史に対する無知をさらしています。
で、安倍は……イヤ安倍さんは(笑)どうか。安倍政権は、経済保守と政治保守の相乗りで、社会保守が1人もいない。日本会議的な宗教保守もいるように思うかもしれないけど、所詮は、選挙の時の実務的な動員装置として都合よく利用してきただけで、生粋の宗教保守はいません。いずれにしても、ポイントは、今の自民党には、石破茂さんとその周辺を除けば社会保守はいないと断言できます。
福山: ない。それは違いますね。
宮台: そうです。保守主義の真髄は、歴史的に蓄積された共通感覚(コモンセンス)を大切にすること。だから、保守主義の名に値するのは「社会保守」だけ。ゆえに、安倍自民党は保守政党ではない。証明終わり。このスカスカな連中は所詮「自称保守」でしかない。安倍さんの「私は保守ですから」っていうセリフほど笑えるものはありません。みなさん、「経済保守」や「政治保守」や「宗教保守」に過ぎない、思考停止の「言葉の自動機械」を、ゆめゆめ保守だと勘違いなさらぬように。そうした輩は、むしろ、保守主義の反対物です。
福山: つまりそこがですね、立憲の枝野代表が言われる、「自分は保守だ」と枝野代表が言われて「なんでだ!」って言われるんですけど、実は我々が言っているのは「社会保守」の部分なんですよね。だからそこの整理をちゃんとしないとですね、日本の政治はなかなか説明つかないって、僕はもうずーっと、命題のように15年くらい考えてきたんですけれども。
宮台: だから、福山さんね、日本に限っては、何なに党所属っていうのは、当人の政治的構えには関係なくて、そこにこだわると「言葉の自動機械」になっちゃうわけです。そのことを分かってほしくて、僕は早い時期から、沖縄の、もう亡くなった翁長元知事を、すごい方だと言ってきたし、沖縄知事選にも及ばずながら協力しました。自民党に属していようがなんだろうが、実に立派な社会保守であられたんですね。翁長さんはずっとそういう発想を人々に訴えてこられたから、自民党県連の会長だったけれど、素晴らしい政治家でした。そいう政治家が、今の自民党の中には極く少数ですが、いらっしゃいます。
福山: いらっしゃるでしょうね。
宮台: 当時、僕が沖縄の人たちに繰り返し語ったのは、真の保守とは「社会保守」であり、「社会保守」とは、「経済は社会に貢献する道具」「政治も社会に貢献するための道具」っていう発想を捨てないことだってこと。反対に、安倍自民党は「経済守って、社会守らず」「社会の穴を、経済で埋める」、特に最近では「社会を削って、経済に盛る」だけ。
同じことを、憲法改正問題でもやりたがる。頓馬な政治的イデオロギーのために社会をズタズタにしようとするわけ。集団的自衛権問題での解釈改憲が典型でしたね。内閣法制局長官を伝統を破って挿げ替えた手法も、憲法解釈も、デタラメだらけ。保守の反対物です。ちなみに、福山さんも御存知のように、僕は過去三十年間一貫して「重武装・対米自立」を主張してきているので、「護憲平和」の「9条信仰者」じゃない。枝野さんも同じですね。
繰り返すと、人を所属で見てはいけない。それだとカテゴリーに脊髄反射する「言葉の自動機械」です。実際、今回の検察庁法改正について異を唱えた人、出てきましたよね。今現在だと、泉田さんであり、船田さんであり、石破さんです。その意味では「自民党だからダメ」って脊髄反射する「言葉の自動機械」のクズには、ならないでほしいです。
▶安倍晋三は統治可能性が全くないオッサン
福山: あの先生、いっぱいコメントがきているんですけど。「自民党の世襲制議員村の政治は自らの権力の強化、その継続しか目的がない」とかですね……それから、まあ先生がちょっと過激に言われたので、あとで僕も整理しようと思っているんですけれど、安倍さんのことを「犯罪者」というような雰囲気で言って……。
宮台: 僕は犯罪者だと確信しています。
福山: まあそこも含めて、そういう話とか……。そうですね……うーんとそうですねぇ……。
宮台: 犯罪者のくせに、のうのうと法を改正して、自分だけ生き延びようとしている。そのために、たかが行政権トップに過ぎない分際で、立法府を差し置いて、違法な法解釈で黒川弘務の定年延長を図る。私は森羅万象である、ですか、くっくっく。日本人にもこんな卑怯者がいるのかと思いました。子供の道徳教育の格好の教材として、教員のみなさんにご利用いただきたいです。
福山: あと、「安倍さんが保守主義でないのは明らか」というコメント。それはもうその通りですよね。
宮台: でも「経済保守」「政治保守」ではあります。
福山: あと、「延長してください」「もっと喋ってください」というコメントが多数きています。ありがとうございます(笑)。
宮台: あ、よかった(笑)。
福山: あのー、安倍政権ももう、7~8年経ちましてですね、この状況になってきていると。まあ、どれだけ続くかわかりませんし、一方で選挙が来年の10月まで延期ということは、1年ちょっとの間には必ず衆議院選挙があります。ただの権力闘争という意味の、野党だ自民党だということではなく、先生がさっきおっしゃられたような、時代の変わり目とか、劣化している日本の社会、経済もそうですし、それらをどうして立て直していくかということも含めて、この1~2年、結構大切だと思うんですね。その最中に、これだけの政治に対する注視・監視の目が拡がっていると。我々政治家も大事なんですけれども、有権者も先生がさっき言っていただいたように、やっぱりいろいろ考えて、投票行動を起こしていただくと。
宮台: そう。だから、これも福島の原発爆発から十年言ってきているけれど、「右か左かじゃなく、まともかクズか」です。コロナ禍の御蔭で、安倍…イヤ安倍さんを含めたクズどもが、いよいよあぶり出されてきました。ところが、周りを見ると、「右だ左だ」とほざく「言葉の自動機械」のクズが、うようよ湧いています。その意味では、ウヨ豚も糞リベもクズです。まともかどうかというところで政治家を判断していってほしいです。
福山: なるほど、なるほど。最後に、もう時間がそろそろなので……あーでも2つコメントがきてますね。「維新の会がなんとなく支持があがっているのはなぜですか?」というのがきているんですが。
宮台: 「ポピュリズム政党としては」最近うまくやっているからです。別にポピュリズムが悪いっていう意味じゃない。1960年代からアメリカで政治に使われるようになった言葉で、もともとは良い意味でした。たとえば「出口戦略が曖昧じゃないか」と大阪府の吉村知事が出口戦略を示したでしょ? 同じように東京でも出口戦略が示されようとしている。都民ファーストって維新に近い政党だからね。この「出口戦略問題」がポピュリズムの良い点と悪い点を両方示してくれています。
安倍政治に何が欠けているのかが誰にとっても自明なので、逆にそれがフツーの政治家にとっての大きなヒントとなります。たとえば、吉村知事が出口戦略を数値として明確に示す。それは良いことです。人々の不安に応答しているからです。ただし、感染者数が何日間これ以下だったら……と、安倍政治と変わらず「感染判明者数」を「感染者数」だと勘違いさせている。さっき申し上げたように、疫学調査は地域ごとにローコストで可能なのにね。
福山: それともう1つはやっぱり、東京都知事にしても大阪の知事にしても、現場の自治体の権限行使ができるっていうのが非常にメッセージとしては強いですよね。
宮台: まさに。そこだけが今の希望です。「安倍とともに去りぬ」じゃ都道府県民が困るなぁってことで、各自治体が政府の言うことを差し置いて、自分は首長としてこうやるってことを明言するようになりました。たとえば和歌山県知事なんかは……。
福山: 非常に初動が良かったですよね、和歌山県知事は。
宮台: ね。ところが、他方に、「安倍さんの言うことを信じればいいんだ」みたいな「安心厨」が目立つでしょ? 「安倍さんに楯突くのか! 不安を煽るのか!」っていうクズがうようよ湧いている。「安心厨」は「自粛警察」の原因にもなっているけれど、二つの要因があります。まず、江戸の善政の副作用でオカミ依存的な文化が醸成されたのもあって、政府が言うことを信じれば安心だとい信じる「依存厨」ないし「ヒラメ厨」が湧いています[ヒラメとは上目遣いで伺いを立てる様を差す昭和語]。次に、絶えず周囲に同調しているがゆえに、同調しない人間がいるだけで、自分を否定されたと感じて嫉妬しちゃう「同調厨」ないし「キョロメ厨」がいます。これは不倫炎上の背景でもあります。「ヒラメ厨」と「キョロメ厨」の合体が「安心厨」です。
「安心厨」って「不安を煽るのかぁ!」ってほざくでしょ? でも、不完全情報下の非常時には安心したら、安全は消えるんです。安心せずに、各人が置かれた状況で、各人なりに事象の重み付けをしながら、数少ないデータから生起確率を主観的に予想して、ベターな安全を選択をするしかない。統計学でいう「ベイズ統計的な決定戦略」です。ところが、安心と安全を取り違える自動機械が湧いているんですね。
それとは別の話だけれど、日本政府も一部自治体も卑怯なことをやっているでしょ? 自粛を強制はしない。強制的な都市封鎖や、強制的な外出禁止はしないと。
福山: ロックダウンはしないと言っていますね。
宮台: ロックダウンは外出禁止のほうですね。当たり前だけれど、日本はロックダウンを強制する法律がない。でも、それを逆手にとった卑怯な政権運営ができる。強制ロックダウンをすれば、結果について政治が責任を負うしかない。だから、たとえばヨーロッパ各国標準では8割の休業補償や所得補償をします。むろん、国民のためを考える倫理的な政治家が、日本と違ってそれなりにいるというのもあります
ところが日本では「私たちがやっているのはあくまで自粛要請で、どうするのかはみなさんの自己責任です」って言える。加藤厚労大臣のクズな物言いみたいにね。強制ではなくて自粛だってことが、政治家の責任逃れに使えるわけです。だから、現に休業補償や所得補償をするところは少数でしょ? ヨーロッパでは財政が厳しくてもやるのに、それをしないでいるためには、強制よりも自粛が好都合です。「最終的には自己責任で」って言えるんで。
僕の推測では、実はそこに、日本人に蔓延する「安心厨」が自粛警察として振る舞うことで、事実上の強制力になるだろう、っていう見込みがあると思う。とすれば、卑怯に卑怯の輪をかけています。さらに、卑怯に輪をかけるのが、政治家にうようよ湧いてきた火事場泥棒です。自粛が不充分なので、政治に強制力を与える憲法改正をして、緊急事態法制を敷こうっていうのが典型です。安倍政権の無能さって、強制力には全く関係ないんですよ。
福山: 全く関係ないですね。
宮台: 安全保障の観点からインフラを整えていなかったこと。「感染者数」ならぬ「感染判明者数」しか分からない状態も、安倍政権だけが変えられない。安倍さんが「一生懸命努力しているんだけど検査数が増えません」って神保哲生さんの質問に答えて言っちゃったじゃないですか。
福山: 言っちゃいました。
宮台: ガバナビリティー[統治能力]が全くないオッサンなんだなってことが、内外に知らしめられた瞬間でした。
▶経済成長率は安倍政権より民主党政権のときのほうがずっと上
福山: コメントの中では、「コロナの前に経済で死にそうです。本当に政治をなんとかしてほしい」という声があります。
宮台: 本当に大事です。失業者数と自殺者数って、少なくとも日本ではものすごく相関しているんですね。だから経済がダウンして、失業者がどんどん増えれば増えるほど、自殺者もそれに比例して増えるというふうに予想されます。コロナで死ぬのも怖いし嫌なことだけれど、経済が落ちて自殺することも、やっぱり怖いし嫌なことでしょ? なので、ここから先は、政治家の方々も、国民のみなさんも、コロナ死者数と、経済死者数≒自殺者数との、両方を合わせた数がどれだけ少なくなるか、っていうバランスで政策を立てる必要があります。
福山: 本当にそうですね。我々は今回、僕なんかは自由主義経済の中で我々はみんなそれぞれ頑張って生きておられる、国民はですね。しかしながら国が、営業の自由を制限してくれ、表現の自由も制限してアーティストには公演も音楽活動もやめてくれと。そしてさらには、移動の自由すら制限をしているわけですから。
宮台: しかも、数値データに基づく科学性もなく(笑)。
福山: そう。だからそれはもう悪いですけど、そこの部分について国が保障するというのは当たり前の話だと僕は思っているわけですよね。
宮台: ヨーロッパでは8割保障です。
福山: そうですよね。つまりその原理原則がない中で、国がどれだけ面倒みてくれるかわからない中で、何ヶ月自粛しなきゃいけないのに、あとは自己責任で借金しろっていうメッセージは、僕は当初あまりにも酷いと思いましたね。
宮台: それだけ酷い政権なんです。
福山: だからやっといまね、良い悪い別にして、野党が強くいろんなことを言ってですよ、保障という言葉は使わないけど、だいぶカバーしてきたんですけど、それでも全然まだ、先生がさっき言われたように、経済による、本当に厳しい状況に陥っている人がたくさんいる声も聞いていますし。そこのところをどうカバーしていくのかが、我々、本当にやらなきゃいけない、野党ですけど。
宮台: ただ確認しておくべきなのは、これもコロナ禍によって10倍速で現実化しただけってこと。日本の経済はコロナ禍の遙か前から徹底的にダメでした。特に安倍政権になってから、日銀とGPIFで盛れる株価データと、非正規雇用で盛れる失業率データ以外は、ズダズタです。第2次安倍政権で正規雇用者が少し増えたけれど、就業率が非正規雇用によって盛られている事実に変わりはない。たとえば、経済成長率は民主党政権のときが安倍政権のときよりもずっと上です[宮台ツイッターまとめhttps://togetter.com/li/1434201]。
その意味で、「民主党政権という悪夢」って安倍さんが繰り返してきたけれど、まさに「安倍自民党政権という悪夢中の悪夢」を国民が体験した今、その安倍から……イヤ安倍さんから、「民主党政権という悪夢」っていう言葉がまたいつ聞けるか楽しみでしようがありません(笑)。
▶ポストコロナ社会はどうなるのか
[すみません、後編がオーバーフローしました。後編の続編へとつづきます]
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