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第7回:動機付けについて

■前回、「学級崩壊」は、成熟社会化に適応した子らが、変わろうとしない学級王国に対して示す健全な反応だと述べた。また「大学生の学力低下」は、成熟社会化に伴う不透明化によって知識の血肉化を支える動機づけを奪われた「良い子」の末路だとも述べた。

■今回は、大学生の学力低下の問題についてもう少し掘り下げ、ちまたで叫ばれている処方箋が基本的に無効であることを傍証するとともに、問題の本質を詳しく明らかにしたい。

■大学生の学力低下を問題視する識者の大半は、文部省の「ゆとりの教育」と「教科選択制拡大」が、学力のベースを破壊したのだという。処方箋は、削られたカリキュラムを復活し、選択制をやめて一斉カリキュラムを重視し、大学入試科目を増やすことだとされる。

■確かに分数計算ができない大学生は増えた。大学院入試でも、私の所属する研究科では、年々英単語力と英文法力が年々低下する。ちなみに東大の学部入試に必要な英単語数は、私が入学した二十三年前に比べて三分の一程度に減少した。確かに知識量は減っただろう。

■しかし、そうした知識量の減少は問題か。第一に、コンピュータやインターネットなど、かつての学生が知らなかったことで、今の学生が知っていることが沢山ある。第二に、知識量が問題なら大学で教育すればいい。他の先進国では高校までは緩く、大学で詰め込む。

■そもそも大学入学者の手持ち知識が少ない程度で成り立たなくなるような講義は、世界常識から見て、教授法に致命的な誤りがある。問題は知識量の減少ではない。私は全く違った考えをもつ。昨今の大学生の最大の問題は、知識量ではなく、動機づけの希薄化である。

■具体例を挙げよう。私は大学教員になって12年目だが、ゼミは一貫して自由発表方式を貫いてきた。課題書を輪読したり学生にテーマを与える代わりに、学生自らがテーマを設定し、自ら読書計画を立てた上で、研究成果を報告させるという、珍しいやり方である。

■年々この方式が困難になりつつあることを実感してきたが、今年は完全に不可能になった。年度始めのゼミで動機づけを尋ねるのだが、「興味のあるテーマは?」「ありません」。「今まで感動した本は?」「ありません」。こう答える学生が半数を越えたからだ。

■こうした趨勢を裏付ける統計データは幾つもある。FM東京の調査によれば、将来やりたいことがあると答える大学生は、96年夏には男女共4割台半ばだったが、98年夏には男が3割を切り、女は3割台の半ばに落ちた。中学・高校で全く同様な趨勢である。

■私のゼミでは十年ほど前から、困難さに対応して、こちらから与える課題を徐々に増やしてきた。だが、同じ課題本を読ませて討論すると、発言の頻度も、議論の水準も、年々低下しつつあることを実感する。問題意識がないので、本を読んでも議論にならないのだ。

■どこに問題があるのか。推定に役立つ材料を幾つか挙げる。(1)ゼミが男女同数だと、発言権の7割は女が取る。(2)入試偏差値は低いのに夜間部のほうが議論にアクティブである。(3)カルチャーセンターでの教授経験だと、60歳以上の老人が議論にアクティブである。

■(1)〜(3)には似た背景がある。(1)女は男のように「勉強さえできれば幸せになれる」と思えないので、中高時代の遊びや性愛やバイトでの試行錯誤経験が豊かだ。(2)夜間部は年長の「出戻り組」が多く、試行錯誤経験が豊かだ。(3)老人は戦中体験も含めて経験が豊かだ。

■要は、社会経験が豊かなほど動機づけが強く、知識を自分なりに血肉化して議論に加われるのだと推定される。逆に言えば、社会経験のチャンスを機会費用で失った高偏差値の優等生男子ほど、動機づけを欠くので、知識は砂粒のように相互に無関連で議論できない。

■もちろん試行錯誤経験が動機づけを与えるということは、昔も今も同じだろう。だが昔は、さしたる試行錯誤経験がなくても「いい学校・いい会社・いい人生」なる物語を信奉できたし、未来のため今を、社会のために自分を、犠牲にするという動機づけがあり得た。

■だが物の豊かさが達成され、何が幸いなのかが人それぞれになると──つまり成熟社会になると──、試行錯誤の欠落を埋め合わせるこうした動機づけは、相対的に希薄になる。加えて、「イデオロギーの死」によって、知識をマッピングする軸も、消えてしまう。

■万人に共有された物語による動機づけに代わって、昨今の日本では「就職に役立つ」という実利的動機づけが登場している。これを一般には「実学志向」と呼び、これに対応した大学の実学化──実践語学やコンピュータ実習の重視──が、一般には歓迎されている。

■だが手放しで歓迎できない。実学化が話題になっている大学の学生を見ると、就職に役立つのはいいとして、どこになぜ就職したいのか定かでない者が大半だ。むしろ目標の不在を、「とりあえず役に立つ」という言い訳で埋め、アノミーの先延ばししているだけだ。

■結論。万人共有の物語も実利的ごまかしも頼らずに済む動機形成こそが、知識伝達に代わって成熟社会の初等・中等教育に求められる。それには個人的試行錯誤の支援しかない。(了)

1999年10月3日(日)朝刊一面・論壇


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