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■ 近代社会の未来を揺るがす深刻なトラウマ

■大阪池田の小学生殺傷事件のあと、登下校への父母付き添いから、監視カメラの設置に至るまで、セキュリティ管理の厳重化への声が上がり、全国的な対策が採られた。しかし、この種の問題がそれで解決すると思うのは、残念ながら間違っている。なぜか。

■私たちの近代社会は複雑だ。複雑な社会は、「昨日あったように今日もあるだろう」といった「慣れ親しみ」ではなく、「よく考えるとありそうもないこと」を当てにするという「信頼」で支えらていれる。この根拠なき「信頼」なくして、複雑な社会はありえない。

■見ず知らずの人と満員電車に乗り合わせられるのも、見ず知らずの人が作った食品を口に出来るのも、根拠なき「信頼」のお陰だ。よく考えたら、「今日は人を殺そうか」と思っている人間が同乗するかも知れないし、食品を製造するかも知れないではないか。

■面識圏(顔見知り)の共同性を意味したギリシア的な公共圏と違い、近代社会の公共圏は、面識圏を越えた人々を根拠なく「信頼」するところに成り立つ。見ず知らずの人々が集い、身を預ける学校や病院や交通は、そうした「信頼」があって初めて存在できる。

■そうした「信頼」は、現にそれを破る振舞いが(論理的にはいつでも生じうるのに)なぜか生じないことによって辛うじて維持されてきた。そしてそれが生じないのは、人々が「社会」の中を生きるという自明性を現に手放さなかったからだ。だがこれからはどうか。

■「社会」の中を生きる自明性を手放す人間が多数出現すれば「信頼」を破る振舞いが頻発し、公共圏は成立不能になり、複雑な社会は崩れ去る。因みに人格障害の範疇は、精神障害でもないのにそうした自明性を手放す人が現に多数出現したことに対応して生まれた。

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■さて拙著『終わりなき日常を生きろ』で述べたように、人格障害ならずとも正常な人間がかかる自明性を手放すことがある。宗教だ。宗教は元来「社会」を越えるロジックを持つ。にもかかわらず多くの宗教が現に「社会」と両立するのは、歴史的淘汰を経たからだ。

■かつての特攻隊や児玉邸セスナ突撃事件に見るように、航空機を使った自爆テロのアイディア自体は珍しくない。だが多勢の乗客を道連れに大量の燃料を積んだ大型機で「特攻」するアイディアを想像する者は、なぜかいなかった。だが今回のテロで完全に底が抜けた。

■今回のテロは、地下鉄サリン事件同様、少なくとも実行者レベルに「社会」の自明性を突き抜けた宗教者が関与している可能性が高い。歴史を知る者には自明だが、そうした振舞いは有史以来繰り返されてきた。それを踏まえた上で、今回の新しい側面に注目したい。

■第一に、事件が起こった場所や国を超えて、複雑な社会を根本で支える「信頼」が揺るがされた結果、近代社会の将来に強烈な暗雲が立ちこめた。ビルを直撃する旅客機のテレビ映像は、今後末長く私たちのトラウマとなり、私たちの社会イメージを規定するだろう。

■ビル直撃映像の悪夢を見た世界中の子供逹の多くは「この社会は何でもありうるのだな」と思った筈だ。そうした彼らが今後「社会」に対してどんな態度を採るのか見通しがたい。摸倣犯の可能性も含め、彼らの態度分布が「社会」と両立可能なのかどうかも分からない。

■第二に、近代のハイテク社会自体が事件を準備した側面がある。ハイテクの恩恵は「社会」を否定する者にも及ぶ。ハイテクが、以前ならあり得ない暴力的原理主義者の国際的連携を可能にし、またハイテク自体(今回は大型旅客機)を武器にした犯罪を可能にした。

■とすれば、歴史的に見て暴力的原理主義の消滅がありえない以上、今日のハイテク社会自体がそもそもサステナブル(存続可能)なのかどうかが疑問になる。ハイテク社会が一定割合の「人格障害」を不可避的に生み出す可能性と同様、問題の深刻さは想像を絶する。


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