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2月23日、宮台による朝カル見田関連レクチャーの前半部分についての、ツイート再現

投稿者:miyadai
投稿日時:2013-03-05 - 12:28:50
カテゴリー:宮台の近況 - トラックバック(0)


2月23日土曜日の朝日カルチャーセンター新宿で行なった、宮台真司による見田宗介全集刊行記念の講義について、何人かの方々のご要望に答える形で、以下にその前半部分のみをテープ起こしをベースに再現します。後半は「宮沢賢治に見る右翼の真髄とは何か」をめぐる込み入った議論に。別の機会に。


見田宗介先生は当初、公刊された修論『価値意識の理論』の如く日本人の価値意識を実証&理論的に探る仕事をした。社会意識論(社会構造が社会意識を規定するというマルクス的上部構造論に依拠した枠組)に相当。南博ばりに「社会心理学者」を名乗ることも。上部下部構造論は今も捨てられていない。

「社会心理学者・見田宗介」という構えは60年代末2年間のメキシコ留学を経てが変更された。象徴的なのが、コミューンに言及する真木悠介の筆名と、七三分け&瓶底眼鏡から眼鏡を外したイケメン風への外見チェンジ。宮台が大学に入った70年代半ばには見田ゼミは絶大人気。多くの信者がいた。

そう。当時の宮台は「見田ゼミ信者」という言葉を揶揄的に使っていた。見田ゼミに出入りする女子はふわっとした花柄スカートに白ブラウスといった具合。見た目が大いにダサかった。ゼミでは見田宗介への否定的コメントはほぼ絶無。そうした暗黙規範に従わない宮台は当初から完全に「浮いて」いた。

ところが程なく、かかるゼミの佇いが見田宗介の「立場変更」と密接に関連することを発見した。コミューンを主題化するからコミューン憧憬者が集まるのもある。だがより本質的事情が見通せる。その事情とは、メキシコ留学後の「立場変更」が個人的なものというより時代的なものだったことに関係する。

宮台定番用語を使う。60年代後半の〈政治の季節〉。人々は「ここではないどこか」を現実に探した。70年前後の挫折を経て〈アングラの季節〉へ。人々は「ここではないどこか」を現実でなく、虚構に探した。巷間の誤解と違い寺山や唐やATGのピークは70年代前半。見田=真木はこの時代にシンクロした。

当時の宮台の見立てはこう。〈政治の季節〉の世直しは敗北した。今は革命を企図しても詮ない。ゆえに雌伏の時期。即ち我々にとっての現実ならざる社会を構想する想像力を育む段⋯。まさに「ここではないどこか」を現実ならざる虚構に探す〈アングラの季節〉に同期する認識。そこが見田人気の背景だと。

だからこそ宮台はシニカルになった。見田ゼミでは現実ならざる虚構の構想が重視されるが、〈癒し宗教〉の背理ではないか?〈癒し宗教〉は〈世直し宗教〉をこう批判する。革命家が天下取り後に残酷な独裁者になるのはよくある話。そうなれば世直しに加担した宗教は倫理問題を問われて存続不能になる。

ラツィンガー(ベネディクト16世)が、救済の神学を擁護する穏健派教授から、バチカン入りして保守派の異端審問官に変じたのは、ハーバマスによればかかる〈世直し宗教〉の背理に想到したから。だが、〈癒し宗教〉も、〈世直し宗教〉の側から「現体制を擁護する阿片に過ぎぬ」と批判されてきた。

つまり社会心理学の帰属理論的問題。宗教が〈癒し〉に成功すれば、本来〈世直し〉されるべき問題が放置され、悪辣な現世権力が補完される。マルクスが「宗教は阿片」の物言いで止目するのもそこ。そう。革命をしばし断念して「ここではないどこか」を夢想する見田ゼミ系もソレだ、と宮台は思った。

酷薄な現実に打ちひしがれた上、革命構想も断念せざるを得ず、悶々とする、そんな人たちに、見田ゼミは「週末のシャワー」を提供する。現実の中で汚れきった身を、週末のシャワーで洗い流し、「回復」した後、再び現実の中に帰る。これが現実の補完物でなくて何なのか。見田ゼミ生は単なる馬鹿だ…。

この疑問を見田宗介にぶつけたことがある。だが彼は百も承知だった。実際かかる認識を69年の廣松涉先生との対談でも吐露していた(見田宗介にそれを読めと言われた)。実際に見田宗介はそれ以降宮台に真木用語で語ることは一切なかった。彼が僕に語る時は専らシステム理論の用語系の枠内だった。

さて70年代後半当時の宮台は見田ゼミを体制補完の「週末シャワー」と見做した。だが15年余り経て宮台は認識を変えた。確かに「週末シャワー」の機能があった。見田宗介はそれを百も承知だった。だが95年刊行『現代社会の理論』を読んで仰天した。見田宗介は資本主義の廃絶を希求してなかったのだ。

見田=真木の初期業績を振り返ろう。『気流の鳴る音』や「旅のノートから」に代表される著作群。そこに頻繁に登場するのが〈狂気としての近代社会〉という言葉。そう。当初から見田宗介は、社会構造よりも感覚フレームを--宮台用語で言えば〈世界体験〉の枠組を--専ら問題にしていた。感覚の変革へ!

有名な「まなざしの地獄」NN論。都市的存在たること=表層性(外見や属性)による規定を生きること。これはシステム的帰結で、個人は如何ともし難い(一人一人は「他人を構う余裕はない」)。かかる都市的疎外が連続発砲へ…。若松&足立の風景論(どこかに行けそうで、どこへも行けない)と対立する解釈だ。

都市論的疎外⇔風景論的疎外。風景論:近代=「ここではないどこか」の憧憬と二重の挫折。(1)60年代の挫折=「こんなはずじゃなかった感」。それ故の「ここではないどこか(キューバや中共)」追求。(2)かかる〈政治の季節〉再挫折=「こんなはずじゃなかった」。⇒どこかに行けそうでどこにも行けない!

実はこれが二十年後への伏線だった。都市論的疎外からの回復構想は容易(⇒実際に情報化消費化構想へ)/風景論的疎外からの回復構想は困難(⇒ハイデガー的困難[退屈しのぎの背理]と宮沢賢治的困難[世直しの背理])。宮台の先取的疑問:真の問題は都市論的疎外でなく、風景論的疎外ではないか?

もとい。見田的構想は、社会意識を規定してくる社会構造を問題にするのとは違っていた。革命で体制を変えても、〈世界体験〉の枠組が変わぬのなら、所詮スターリニズムの如きに堕して終わるとの認識。そこが慧眼。つまり〈近代の狂気〉を徹底問題視しない左翼革命を否定した。その妥当性を歴史が証明した。

逆に言えば、ここには「体制を変革せずに、感覚革命をなし得る可能性」への認識が、懷胎されている。むろん体制(社会構造)は感覚フレーム(社会意識)を規定する。だが規定の仕方は「常に既に」必然ではない。パラメータ(外生変数)が変われば、同じ社会構造の上でも社会意識は別様となり得る。

「体制を変革せずに、感覚革命をなし得る可能性」を直接追求したのが95年『現代社会の理論』。資本主義を廃絶せず、現行の情報化消費化社会の流れの果てに、市場の限界・資源の限界・環境の限界に対処し、持続可能な資本主義社会を達成する構想。共同態⇒相克態(旧資本制)⇒相乗態(新資本制)。

復習する。市場の限界とはマルクスの枠組:生産性上昇⇒市場の飽和⇒価格低下⇒生産設備稼働率低下⇒融資返済停滞⇒金融恐慌という回路。フォードモデルからGMモデルへの転換:些細なモデルチェンジで、まだ使える商品を廃棄させ、新たな商品を購入させる。資本主義が「市場の限界」に対処可能に。

資源&環境の限界は70年代ローマクラブ的枠組。95年朝日新聞で論壇時評担当の宮台は流行の「たまごっち」に触れて説明した。《大食らいのペットは資源負荷と環境負荷が大きいが、たまごっちは同等な享受可能性を保ちつつ資源負荷と環境負荷が小さい。所詮我々の〈世界体験〉は差異の享受=情報的》。

そこで宮台の疑問。小疑問:情報化消費化段階の前の重化学工業化段階をスキップするための構想は?始点と終点を繋ぐ過程論が不十分だ。大疑問:〈狂気としての近代社会〉の体験枠組の自明性--相克的感受性--は、ゲームが物的世界から情報的世界にシフトした程度では変わらないのではないのか?

大疑問を前提にすると、持続可能性の乏しい物的世界から、資源・環境の限界の克服ゆえに持続可能性に満ちた情報的世界へのシフトは、むしろ〈狂気としての近代社会〉の永続、即ち地獄を意味する。実はここに、先の述べた[都市論的疎外/風景論的疎外]の差異が孕む問題がコピーされていると分かる。

小括。見田=真木は、一貫して体制革命ならざる感覚革命を追求してきた。当初は、近代社会で失われた〈世界〉の接触(という〈世界体験〉)が希求されたが、二十年後になると、感覚革命の射程が「物ゲームから情報ゲームへ」と切り縮められた結果、むしろ「終わりなき日常」の永続が構想された。

補足。『現代社会の理論』以降の見田は、雑誌・新聞取材で、物の消費から情報の消費へのシフトを、審美的ないし耽美的なアートの享受に代表させる。だが、情報の消費がアート的なものになる保証は、見田の議論にない。仮想空間での戦争や出世競争や性愛争奪が消費対象(相克!)にならない保証がない。

以上は講義の前半。後半を予告する。95年『現代社会の理論』では〈世界体験〉の質の議論が脱落した。見田宗介は気づいていないか。否。直前の『宮沢賢治論』(存在の祭りの中へ!)や『自我の起源』(多様なるものの流れの結節!)で、『気流』『旅の』的な感受性に更に明確な輪郭を与えている。

戦略の分化だ:(1)社会持続=『現代社会の理論』。(2)感覚革命=『自我』『宮沢』。OK?No!「感覚革命の成功」が「社会持続の不能」を招く可能性が未検討。「感覚革命の成功」と「社会持続の成功」の結合は非必然的。國柱會的日蓮主義信者宮沢賢治はこの非必然性を主題化。だが見田は意図的にスルー。


宮台による朝カル見田関連レクチャーの、時間的な前半部分についての、ツイート再現は以上です。レクチャーを聴かれた方で、ここが落ちてる、というのがあれば、教えてください。よろしくお願いいたします。

一部は見田先生やゼミっ子だった方々に失礼な言い回しがありますが、そこは大学生時代の20歳頃の僕がそう思ったという過去の話の紹介ですから、ご寛恕いただければ幸いです。むしろ昔の大学生にはそういうことを考えるヤツもいたんだなという具合に、一つの資料としてお読みいただきたいと思います。