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ツイッター上の都合から大澤・宮台対談の極く一部を掲載します。

投稿者:miyadai
投稿日時:2010-10-17 - 11:28:59
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(0)
ツイッター上の都合から、文章を掲載させていただきます。
大澤真幸さんとの、朝日カルチャー新宿教室における、先日のトークの文字起こしから、宮台発言を5つ掲載します。
最後の発言を除くと、大澤さんが相づちをうたれているだけなので、ひとつながりです。
なお、全体は、大澤さんが編集しておられる『O』というムック(左右社)に掲載されます。

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宮台 僕は功利主義の立場には最終的には立ちません。説明します。最近の大学では政治哲学の講義が大人気で社会学は退潮気味です。サンデルに始まったのでなく、社会学の退潮は二〇年前から続くし、政治哲学が浮上してきたのも同時期です。
 つまり九三年のロールズ転向あたりからです。彼の立場が「普遍的真理としての正義」から「実践を方向づけるための正義」へとシフトします。ローティ的に言えばプラグマティズムに転向します。このパラダイムシフト以降、政治哲学が脚光を浴びる。
 六〇年代末のハーバーマスに対するルーマンの攻撃の再来にも見えますが、論者らが一斉に「普遍主義というローカリズム」を否定的に問題にし始めます。背景に一九九〇年に前後の冷戦体制崩壊と、直後からの湾岸戦争など地域紛争勃発があります。
 政治哲学が「普遍主義というローカリズム」を批判する動きが拡がるのを追いかけるかのように、〇一年九・一一に続くアフガン&イラク攻撃によるアメリカの政治的威信の失墜、〇八年にはリーマンショックによる経済的威信の失墜がありました。
 普遍主義的正義を旗印とした「ネオコン」的な冒険主義が、おおかた失敗に終わったのもあって、人々は、今や社会学者が羨むほど、政治哲学者への発言要求を高めています。昨今の僕自身、社会学よりも政治哲学の方がずっと面白いと感じるのです。
 残念なのはそうした欧米的思考の流れが日本で理解されないこと。アメリカが六五年から七五年にかけて「リベラルな時代」に体験した出来事の凄まじさ。それが一方でロールズを登場させ、他方でニューヨークトロツキストをネオコンに変形させた。
 六五年に北爆でベトナム戦争が拡大し、その後一〇年かけて終結する過程で、ケネディの暗殺(六三)やらキング牧師の暗殺(六八)やら、公民権運動から学園闘争まで、多様なリベラルな動きと社会的混乱がありました。ネオコン以外でも、混乱がトラウマとなって「原理主義的宗教保守」と「草の根右翼」が分裂しました。
 かくして出現する「宗教保守」と「草の根保守」と「利権保守」をうまく利用して理念的に有利な状況を作り出そうとする「ネオコン」がある。こうした背景を抜きに、リベラルに対抗するリバタリアンやコミュニタリアンを扱う輩は単に馬鹿です。


宮台 参院選で捩れが問題化しました。衆参の議席の捩れよりも重大なのは、民主党にお灸を据えたい人が、都市部ではネット動員を背景にみんなの党=市場主義政党に、農村部では農協の動員を背景に自民党=再配分主義政党に投票したことです。
 動員媒体がインターネットや農協ネットワークなのも象徴的ですが、ここに見出されるのは「小泉改革的な市場主義か、農協的な再配分主義か」つまり「市場か、再配分か」あるいは「個人(の自由)か、国家(の行政)か」という二項対立です。
 ところが現実の政治を動かすプラットフォームとして見ると、日本を除く先進国は、この二項対立は七〇年代に終ります。「市場か、再配分か」「個人か、国家か」という議論にかわって登場したのが「共同体の自立か、依存か」の二項図式です。
 具体的に申しますと、八〇年代に登場した市民運動です。イタリアのブラに発祥して欧州に拡がったスローフード運動。カナダのオンタリオ州に発祥して大英帝国圏などに拡がったメディアリテラシー運動。アメリカでのアンチ巨大マーケット運動。
 これらは同じ問題設定です。共同体が市場に依存しすぎても国家に依存しすぎてもダメだというのです。ここでいう共同体とは社会学でいう自律的(自己決定的)かつ自立的な中間集団です。家族親族集団でも地域集団でも宗教集団でも構いません。
 自立的な共同体と両立可能な限りで、市場(経済)と国家(政治)のパフォーマンスを期待する。それが近代成熟期の思考です。言い換えれば「共同体が空洞化しても市場や国家がカバーしてくれれば良い」ではないかという思考を、否定するのです。
 こうした否定の理由は理由は安全保障です。市場が制御困難になれば--ちなみにグローバル化が市場の制御可能性を減らすけど--市場への依存困難になります。同じく、財政が逼迫すれば--グローバル化が財政を脅かすけど--国家依存も難しくなります。
 ただし八〇年代に各国に拡がる共同体自立運動--スローフード・メディアリテラシー・アンチウォルマート−−は冷戦体制後に本格化するグローバル化の前の話で、グローバル化より、福祉国家政策による財政破綻&共同体空洞化を意識したものです。
 ところが同じ時期、日本では、アンチ巨大マーケット運動のあおりを食った流通業界など各業界のロビイを受けたアメリカ政府の要求で、農産物自由化・大規模店舗規制法改正・四〇〇兆円公共事業など、市場依存と国家依存に拍車がかかりました。
 先進各国で共同体(中間集団)の自立回復に向けた運動が上昇しつつあった際、日本だけが共同体の市場依存(農産物自由化・大店法緩和)や国家依存(四百兆円公共事業・米企業入札参加)の方向にアクセル全開となり、誰も疑わなかったわけです。
 それから二十年以上が経ちますが、相変わらず「市場主義か、再配分主義か」「個人の自己決定か、国家の行政的介入か」という二十年以上遅れた図式しかありません。グローバル化を経ても、現実政治の羅針盤が、日本だけ狂っているわけです。


宮台 最近、高齢者所在不明問題と児童虐待放置問題が騒がれました。行政は何やっているんだ、個人情報保護法のせいで縦割行政に拍車が掛かったんじゃないかというのがマスコミの論調で、仙石官房長官が個人情報保護法改正に言及しました。
 海外メディアによる扱いは違います。自分たちの共同体に、行方不明のまま放置される老人や虐待されたまま放置された児童がいるというのに、それを放置してきた責任を棚上げして、問題が起ったら行政を批判する、変ではないか、というもの。
 海外メディアを持ち出さずとも、四十年前の日本ならこうした放置問題はあり得でかった。分水嶺は僕の見るところ「隣人訴訟」が問題になった一九七九年あたり。以降、何かというと行政という呼出線を使って恥なくなる。法化社会の始まりです。
 僕が子供時代、用水路にはまって子供が溺れ死にました。工事現場の築山で秘密基地ごっこをして子供が生き埋めになって死にました。箱ブランコで大怪我をする子もいました。でも「行政は何やってんだ!」といきり立つ向きはむしろ少数だった。
 「隣人訴訟」は七九年に提起され、八三年が判決でした。判決では、溺れた子供の管理責任は専ら親にあり、隣人や行政には僅かな責任しか認めなかった。でも皮肉なことに、以降、世の中の動きは、判決よりも、原告の訴えに沿ったものになります。
 昨年12月にCOP15の取材でコペンハーゲンに行きました。日中でも零下で、至るところがアイスバーン。なのに市内に一箇所もガードレールがない。「危なくないのか」と尋ねると、「危ないから、気をつけてるよ」という答えが返ってきます。
 僕が子供の頃も実は同じでしたよ。弟が用水路に落ちたり、用水路周辺でマムシに噛まれたりしました。父は「行政は何やってんだ!」とはイキリ立つかわりに「あれだけ危ないって言ってただろう!」と弟を叱りました。どこもそうだったはずです。
 日本以外だったら、今でも父のような反応が普通です。違いがあるとすれば、“「行政は何やってんだ!」といった反応が、本来自立すべき共同体の、行政(や市場)への過剰依存をもたらし得ることへの、痛切な危惧があること”。つまり再帰性です。
 ここには、マンハイムがバーク流の保守主義を「再帰的(反省的)伝統主義」と呼ぶのと同じ意味で、「再帰的(反省的)共同体主義」があります。ちなみに社会学における中間集団主義とは、まさに「再帰的共同体主義」を意味するものでした。
 資本主義の発達した社会で共同体を放っておけば、どのみち市場や行政に過剰に依存して、共同体が空洞化します。でも市場や行政は、共同体から見通せない理由で、容易に故障します。だから市場と行政への「過剰な」依存は控えるべきなのです。
 これが社会学的伝統の中核にある「国家を否定しない中間集団主義」です。今日の欧州連合なら「補完性の原則」として、合衆国なら「共和主義の原則」として現実化しているものです。いずれも国家(と市場)を肯定しつつ、過剰依存を却けます。
 残念ながらこうした文脈を日本の民衆のみならず社会学者や政治学者さえ自覚しない。そんな貧しき民度や風土で、リベラリズム/リバタリアニズム/コミュニタリアニズムの関係を論じても意味がありません。日本で政治哲学が無力である理由です。


宮台 サンデル「白熱教室」が帰結主義批判から始まるのは象徴的です。「終わり良ければ…」的な帰結主義では説明できない営みが確実にあるのです。でも生物学者ハウザーによれば義務論(人を手段に用いるべからず)でも説明しきれません。
 神経生物学者や進化生物学者も倫理学者も、この件について一貫した説明図式を用意できません。だからサンデルも答えを言わない。我々が言えるのは、ハウザーが整理したように、かかる道徳判断は「理性的というより情動的だ」ということまで。
 正確には「理性(帰結主義的合理性)では越えられない情動の壁が在る」。「越えられない壁」はカント的義務観念(定言命令)では説明できない回答の偏差を含みます。ここには「規定不可能な意志」があるという他ない。その意味で右翼思想の根幹に通じます。
 「皆が幸せになれば個人は幸せになるか」という問い。語義通りなら「個人は皆に含まれる」ので幸せになるはず。でもそれは違う。どんなに良い社会になっても個人は幸せにならない。少なくとも幸せにならない個人が相当存在する。それが事実。
 そのことのスペシャルケースがトロッコ問題じゃないかと感じます。五人を救うために待避線へとポイントを切り替えて一人を殺すことを肯定できない人が一定割合必ず存在する。僕も含まれます。そうやって五人を救っても僕は幸せになれません。
 繰り返すと、この幸せは、義務を果たした安堵感や達成感では説明できません。そのことと、マイケル・サンデルもチャールズ・テーラーもコミュニタリアンを自称しないことが関係します。なぜか。「越えられない壁」が「規定不可能」だからです。
 大澤さんの「第3者の審級」論を念頭に置くと、ここには計算可能性にも宗教的超越性にも還元できない「個人にとっての『越えられない壁』を構成する他者性の契機」があります。卓越者であれば超えられる程度の壁だから、「弱い超越性」です。
 このことをコミニュリタリアンと同様に強く意識する僕は、政策評価の場面を中心として帰結主義的合理性すなわち功利主義の「最大多数の最大幸福」(僕の場合は正確には「最大多数の最小不幸」ですが)を使いますが、功利主義者じゃありません。
 皆のためになる社会を作ろうとする次元では功利主義者的です。皆のためになる社会を作った程度しゃ個々人は幸せにならないとする次元では--不条理や理不尽なものへの感染を肯定することを含め--実存主義的です。社会次元と実存次元を区別します。
 分かりやすい例。皆のためになる社会がいいとして、他でもない「なぜ君が」思うのか。皆のためになる社会を、他もない「なぜ君が」作ろうとするか。「皆の幸いのためなら自分は不幸になってもいい」と思うのはなぜか。広義の利他性の問題です。
 功利主義は、基数的ならずとも序数的効用ないし顕示選好を前提とします。弱順序的空間ですね。しかし自分の前に特定の他者たちが出現した場合、選好構造が変わってしまう。これを織り込んだ弱順序空間を考えてもいいが、功利主義の意味を失う。
 社会学の言葉でいえば自己包絡(セルフ・インボルブメント)の範囲が、特定の他者たちとの近接性(プロクシミティ)によって変わるのです。廣松渉的に言えば「私としての私」と、特定の他者たちに関する「我々としての私」が異なる選好を持つ。
 僕は、功利主義に親和的な顕示選好の枠組を用いるにせよ--現に用いますが--、今述べたように近接性が弱順序空間を変質させると(神経生物学的な意味で)仮定しますので、功利主義(帰結主義)の思考伝統にはまったく収まらないだろうと思います。
 平たく言うと、近代以降の社会では、リベラル「を含む帰結主義者」の立場を取るか、コミュニタリアン「を含む近接性依存的超越性を重視する者」的立場を取るのかという、選択肢があります。アナキストやリバタリアンは後者に属する立場ですね。
 もっと平たくいうと、特定の他者たちを前にして「皆のことを考えてしまう」と考えるのが後者です。でも政治哲学の最先端では、リベラルも、どのみち国民国家の如き境界設定を前提にせざるを得ないので、自称如何に依らず後者に属するとします。
 ですから政治哲学の最先端では、リベラル対コミュニタリアンという対立はもはや意味をまったく持ちません。前者は後者に吸収されました。ちなみに、似た「感触」を与える二項対立としては現在、コスモポリタン対コミュニタリアンがあります。
 似た感触とは普遍主義対非普遍主義の対立です。でも紀元前3世紀のストア派においては、都市国家が都市に頽落したからこそ--共同性に信頼が置けなくなったがゆえに--ポリテースからコスモポリテースへと「追い込まれた」。今日もそうではないでしょうか。


宮台 テイラーを切り口にしてお答えします。彼は「共同体の共生」という言い方はしません。そこが彼が多文化主義者とは異なる点です。彼は「地平の融合」という概念を唱えます。ややブラックボックス的な概念ですが、僕なりに理解できます。
 「共同体の共生」は規範的概念ですが「地平の融合」は記述的概念です。共同体ごとに異なる慣習があるにせよ、グロチウスの国際法構想を含めた自然法思想が参照するように、各法共同体の法は「殺すな・盗むな・犯すな」を含めて現に似ています。
 こうした自然法論的な論拠以外に今日的論拠もあります。どの共同体もグローバル化=資本移動自由化の進展で、何事につけ共通の「過剰流動性のリスク」を抱えるようになることです。過剰流動性とは摩擦抵抗が低くなって出入自由になることです。
 国家が、再配分(市場の補完)の財政上の必要のため消費税や相続税や法人税や所得税累進性を上げます。資本移動自由化により、これら国家政策は全て資本係数上昇(資本効率低下)としてカウントされ、資本は資本係数の低い国や地域に逃げます。
 同じ理由で、各国家は互いに資本係数低減競争をし、また資本移動自由化による新興国登場で平均利潤率均等化法則ゆえに企業は労働分配率を下げざるを得ず、ゆえに租税収入が下るので「小さな政府」ないし「小さな国家」以外あり得なくなります。
 かくして国家(行政官僚制)による市場の補完が困難になるので、ラウンド(多国間交渉)や議定書(国際条約)を含めてグローバル・ガバナンスが要求され始めます。でも世界政府の如き単一の主権がないので、見通しが利かなくなりがちです。
 「小さな国家」になる以上、弱い個人をグローバル化の嵐に剥き出しにしたくなければ「大きな社会」にするしかありません。「大きな社会」は「包摂&参加」が2本柱です。誰もが絆の恩恵に預かりながら、誰もが絆の維持にコストを払う社会です。
 「小さな国家」&「大きな社会」は国家規模のガバナンス能力低下を前提とするので、自律によって自立する共同体(中間集団)を不可欠とします。だから国家は「自立的共同体の共和」を意味するものになります(補完性の原則/共和主義の原則)。
 自立とは、安全保障的観点ゆえに市場と国家(行政官僚制)に過剰依存しないという意味です。それぞれの自立的共同体の視座から見た場合、国家と国家連合は「自分たちだけではできないこと」を補完してくれる装置という意味で機能的に等価です。
 それゆえ従来の国連コンセンサス方式--主要国首脳が形成した合意を非主要国ならびに国内集団や国民に降ろす--は立ち行かなくなりがちで、かわりに僕の言葉でいうと「風の谷のナウシカ」方式×「この指とまれ」方式が国際合意形成の基本になります。
 自己決定的に自立した共同体たちの、自己決定的な共和によって、より広域の政治的・行政的・司法的ユニットを構成する。短くいえば「自立的共同体の共和」だけが、グローバル化=資本移動自由化のもとで、あり得る政治社会体制になりました。
 グローバル化の中で個人として生き残るためにも「自立的共同体の共和」つまり「風の谷×この指とまれ」方式しかあり得なくなりました。これは、どの共同体にとっても同じ。その意味でグローバル化は共同体を「融合した地平」に向き合わせます。
 こうした流れを前提にして考えると、沖縄のやっていること、つまり基地受け容れをバーター口実とした本土依存の営みは、奇妙です。沖縄がやるべきことは明らかです。第一に、日米政府による頭越し合意はいかなるものも受け入れないと宣言せよ。
 内容が沖縄に有利に見えても頭越し合意である限り全て拒絶する。ご存知の通り、過去一五年間、アメリカは地元が挙って反対するところに基地を置かない方針です。『日本の難点』に詳述したように、独裁国家が民主化される流れが大きな背景です。
 第二に、2010年6月現在34を数える在沖米軍基地について、それぞれ異なる返還期限を設定した上で、近隣市町村が基地の跡地利用計画を、具体的に策定せよ。大田元知事の基地返還プログラムの延長線上にありますが、それを超えたものです。
 少女暴行事件の直後に沖縄県が提案した基地返還アクションプログラムは、当時37あった基地を三期に分けて返せと要求するものでした。それだけに留めず、それぞれの基地の詳細な跡地利用計画を、まさに共同体的自己決定によって策定するのです。
 霞が関とりわけ外務省や国交省は、沖縄がどのみち本土に依存せずして立ち行かないと舐めてかかっていますし、アメリカも同じです。それに抗って、内外に沖縄はこうした自己決定で自立に向かうオリエンテーションを持っていることを示すのです。
 第一と第二を合わせれば、日本政府は「沖縄がこうした緻密な将来構想を持つので、日本政府はそれを尊重する。沖縄がもつ将来構想と矛盾しないように基地政策を見直してほしい」と正当性を動員しつつ交渉できます。このやり方以外ありません。
 アメリカ村返還で北谷が開発され、天久米軍施設の返還で新都心が開発されましたが、ショッピングモールと呼ぶに値するキーテナントもゾーニングもなく、単に元の基地地主が最も金を積んだ企業に土地を売却しただけの、出鱈目なモザイクです。
 こうした基地の跡地利用は末代に語り継がれるべき恥です。内地が経済的に沈みゆく中、あてになるのはカネだけだという気持ちは分かりますが、それでは「短期的には良いが長期的には悪い」ことに飛びつく、浅ましい連中という話になってしまう。
 そうでなく、各基地の跡地利用計画を通じ、歴史的要因や地政学的要因を踏まえて、沖縄人が沖縄の将来を如何に構想するのか、県内外に示す必要があります。そうした構想過程を通じて、単なる本土並み化に抗う方途を沖縄人自身模索すべきです。
 第三に、周辺自治体の町村レベルの人々の跡地利用計画の策定と平行して、県レベルでは、フリートレードゾーンを一部として含む、小規模な特区を超えた、税金だけでなく土地利用や物流やギャンプルや性産業にまたがる「一国二制度」を要求せよ。
 このときに注意してほしいのは、第一に、17世紀以降の二重冊封体制の歴史や、敗戦後十年間は余裕で続いていた三角貿易の歴史など、地政学的要因を背景とした日本と中国の両方を睨んだ独特の政治的・経済的な構えに言及していただくことです。
 第二に、かかる地政学的要因や歴史的要因ゆえに「一国二制度」は沖縄だけでなく日本自体に大きな利益になるのだと主張すること。大澤さんの言う通り。県外移設ということで琉球王国の範域に属する徳之島への移設に異論を唱えないのは浅ましい。
 実際に「一国二制度」が日本に利益をもたらします。琉球王朝の高官には有名な謝名利山をはじめ中国ルーツの人たちが多かったことや、中国大陸と台湾の政財界を貫通する客家ネットワークに沖縄もまた連なっていることが大きな追い風になります。
 我が小室直樹恩師は、冷戦終焉から程なく、やがて中国が沖縄は中国のものだと言い出すと予測。十五年経って実際、中国のアカデミズムの中にそうした主張が声高に語られるようになりました。沖縄はこれを敢えて追い風として利用するべきです。
 日中両国の友好関係や信頼関係がそれなりに構築維持されることが前提ですが、日本政府が言えば角が立つところを、第三項である沖縄が、大陸・台湾・沖縄にまたがる客家ネートワークを利用して裏で中国政府に影響力を行使する、みたいな形です。
 中国は「人で動く」ネットワーク社会。沖縄は元々のアドバンテージを利用し、大陸や台湾との人の交流、具体的には小沢一郎的な「絆づくり」を独自にどんどん積極的に進めるべきです。かくして日本にも中国にも顔がきく有力者を育てるべきです。
 けれど沖縄の三〇歳代や四〇歳代の人々にそうした話をぶつけても、多くはキョトンとします。日米合意が上から降ってきてルーティーンのように反対運動をやる。日本政府も沖縄財界もそれを利用する。この構図が長く続き、習い性になっています。
 沖縄がノーと言えば辺野古移転は進まない。沖縄が要求すれば海兵隊グアム&テニアン移転があり得る。要求が本気だと感じさせる跡地利用計画が今まで事実上なされなかったのは問題です。「日米合意×反対運動×補助金」のリンクを断ち切るべし。
 リンクが断ち切れていません。その証拠に泡瀬干潟の開発がイオングループ中心のシッピングモールという話になってしまった。元々のリゾート開発でも問題ですが、土地の利用効率(資本係数の低さ)という短期利益に惑わされた愚昧な決定です。
 北谷も天久も、そして泡瀬も、持続可能な観光資源としての価値を追求するなら、全く別の開発計画にならなければならないはずです。離島を含めてこんな開発計画が今後も続けば、沖縄は内地(本土)からもアメリカからも確実に舐められ続けます。
 沖縄が自己決定的な自立に向かうべきなのは、普遍的真理という面よりも、グローバル化を背景に内地に再配分の原資が枯渇するという時代的真理(を背景とした指針)という面が大きい。テーラーの言う「地平の融合」を背景とした方向なのです。