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外務副大臣福山哲郎氏との共著『民主主義が一度もなかった国・日本』が好調です

投稿者:miyadai
投稿日時:2009-12-13 - 08:33:00
カテゴリー:宮台の近況 - トラックバック(0)
おかげさまで好調です。
ありがとうございます。

本日13日現在のデータです。

渋谷ブックファースト新書2位
新宿ブックファースト新書4位
ジュンク堂新宿店 新書3位
梅田ブックファースト新書9位
アマゾン       新書9位




民主主義が一度もなかった国・日本 (新書)
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まえがき(宮台が執筆)の、そのまた前半部分だけを以下に抜粋します。
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まえがき:バスに乗って走るということ
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【バスの喩え】
■政治の話をするとき、僕は乗り物のバスに喩える。運転者は乗客たちとの契約に従って運転している。乗客たちが国民にあたり、契約が憲法にあたり、運転者が統治権力にあたる。近代国家というバスの本義は、乗客たちが運転手に、その都度の目的地を告げ、徹底監視し、文句を言うことだ。
■ところが、敗戦後の日本は一応「近代国家」という建前なのだが、こうしたバスの在り方から程遠かった。乗客たちは運転手に何もかも「お任せ」してきた。目的が自明(経済的豊かさ)だから、一々目的地を告げないし、ルートも運転の仕方も運転手の選択に委ねてきた。それでうまくいった。
■ところがうまく行かなくなった。バスが今まで走ったことがない場所を走るようになったからだ。経済的に豊かであり続けようとしてもルートは自明ではない。幸せが経済的豊かさとイコールだった時代も終わった。自明さを前提にして運転手に「お任せ」しているわけにはいかなくなってきた。
■乗客である我々は、運転手にその都度の目的地を告げねばならなくなった。目的地に向かって適切なルートをとっているのか、道路状況にふさわしい運転をしているのか、徹底監視せねばならなくなった。監視した上であれこれ文句を言い、場合によっては運転手を取り替える必要もでてきた。
■そう。我々は運転手を取り替えた。愚かなくせに「とにかく任せろ」という運転手を「乗客の指示に従う」という運転手に。だがそれからが大変だ。運転手も運転経験が乏しいなら、乗客たちも命令して監視する経験が乏しい。運転手のミスや乗客たちの頓珍漢でバスはあちこちにゴッツンコ。
■そんなプロセスが始まった。新政権の百日間ハネムーンという言い方があるがミスリーディング。運転手は百日間でかなり上手になる。だが、今まで「お任せ」状態の乗客たちが、自分たちの大目的を定めた上、その都度の目的やルートを適切に指示できるようになるには、ずっと長くかかる。
■下手をすると、いつまで経っても大目的を定められず、その都度の目的やルートを適切に指示できない「自分自身」に、嫌気がさした乗客たちが、全てを運転手のせいにして、頬被りをしかねない。それどころか「考えないで、俺に任せろ」という馬鹿な運転手に、再び「丸投げ」しかねない。
■こうした大きな危険を、乗客たちはあらかじめ弁えておく必要がある。それには、具体的な勘違いの例を知った上で、「今は崖やガードレールにゴツゴツぶつかる程度だが、やがてガードレールを突き破って崖下に転落するだろうこと」を生々しく実感する以外にない--そう僕は思っている。
■そう思っていた矢先、千載一遇の機会が訪れた。天からの恵み、といいたいところだが、実は違う。僕と同じような懸念を抱いていた一人の政治家が、真の危険の所在について国民に告げ知らせるための書籍を一緒に出さないかと僕を誘ってきた。集中的な共同作業の末、本書が出来上がった。

【極度の集中】
■九月一六日に民主党鳩山由紀夫内閣が発足して二週間経った一〇月上旬のある日、これから十年間のキーパーソンになる方ばかりが集まったパーティで、外務副大臣になりたての福山哲郎さんが隣にいらっしゃっておっしゃった。「ご相談なんですが、宮台さん、共著で本を出せませんかね」。
■福山さんが続けた。「というのは、この二週間ほど官僚の方々と遣り取りを続けてきて、民主党が政権を取らなければ分からなかったいろんなことが分かったんですよ。例えば、こんなこととか、あんなこととか……」。とてつもなく面白い話だったので、僕はすぐに懷から携帯電話を取り出した。
■電話をかけた先は、半年前に上梓した『日本の難点』(幻冬舎新書)の編集を担当していただいた穂原俊二さん。「…というようなわけで、幻冬舎新書から出していただけないでしょうか」「分かりました。企画はすぐに通しますので、直ちにとりかかりましょう」という具合に話が始まった。
■問題は日程だった。予定された本の重要テーマの一つが「環境問題」なので、一二月半ばにコペンハーゲンで開催される気候変動枠組条約第一五回締約国会議(COP15)の前に、できれば出したいと福山さんがおっしゃる。とすると実質二ヶ月だ。互いに多忙なのにそんなことが可能なのか。
■穂原さんは翌日「企画が通りました」と電話を下さった。逆算すると十月二十日までに執筆作業を全て終える必要があるという。一〇月一〇日の午前十時から夕方まで福山さんと宮台の予定が合致した。その日に七時間の対談をし、一週間後に上がったテープ起しに三日間かけて手を入れた。
■企画の立ち上がりから出版まで二ヶ月もない文字通りの緊急出版だった。僕としては一九八五年の地下鉄サリン事件の直後に出した『終わりなき日常を生きろ』に続いて二度目になる。久しぶりに徹夜を経験し--福山さんも同じだったというが--、ぎりぎりの作業を経て、本書の上梓となった。
■だが、ご覧いただければ直ちに分かるように、本書は、巷の中味の薄い対談本とは、全く異なる。半年前に上梓した拙著『日本の難点』より、更に濃密だ。理由は、福山さんと僕が長年かけてずっとずっと話し合ってきたことが、それゆえに徹底的に洗練された形で詰め込まれているからなのだ。
■だから、本書は読み飛ばすことが難しい。そして、そのようには読んで欲しくない。あまりにも大きな危険について、そうした読み方では理解できようはずもないからである。ゆっくりと反芻しながら読んで、民主党政権の誕生が我々にとって持つ「真の意味」を徹底的に弁えていただきたい。

【仮の姿】
■福山さんとの出会いは……

[まえがき後半部分は省略しました]