MIYADAI.com Blog

MIYADAI.com Blog
12345678910111213141516171819202122232425262728293031

Written

モダンフェイズ・システムズのウェブサイトはこちら
MIYADAI.com Blog (Archive) > Category : 宮台の近況 > 宮台真司・神保哲生『アメリカン・ディストピア ~21世紀の戦争とジャーナリズム~』
無題 »

宮台真司・神保哲生『アメリカン・ディストピア ~21世紀の戦争とジャーナリズム~』

投稿者:charlie
投稿日時:2003-08-30 - 15:06:00
カテゴリー:宮台の近況 - トラックバック(0)
【予定外の緊急出版とタイトル】
■本書は、昨年(2002年)に上梓した『漂流するメディア政治』(春秋社)に続いて、イ
ンターネット配信のニュース解説番組「まる激トーク・オンデマンド』(http://
http://www.videonews.com/)を、一部抜き出して再編集の上、加筆して活字化したものだ。
■週一回配信するこの動画番組は、国際ジャーナリスト神保哲生氏と社会学者宮台真司の
二人が掛け合い形式で進めるのが基本で、時々ゲストが呼ばれる。まる三年120回ほど続
いている。前著ではそのうち初期の数ヶ月分を「メディア」と「政治」を軸に整理した。
■今回は、今年の四月にアメリカがイラク攻撃を始めたのを受け、この一件が孕む意味を
集中して論じた数回分の番組を抜き出し、緊急出版することにした。6月11日に本のため
の特別対談を行なって構成上の背骨とし、部分的には書下しに近い膨大な加筆を施した。
■タイトルを説明する。ユートピアは理想郷と訳されるが、ヘンリー8世に仕えたトマス・
モア(1478-1535)の手になるu(無)+topos(場所)を組み合せた造語。distopiaは破滅郷
と訳されるが、1950年代の米国SF界で流通したdis(逆)+utopiaからなる造語。
■アメリカ的な理想郷が大半の人々にとって破滅郷になるという意味で、最初Distopia as
American Utopia(アメリカの理想郷という形をとった破滅郷)というタイトルを思いつ
いた。和訳が長くなるので、思い切って『アメリカン・ディストピア』とした。


【前著と次著の主題をブリッジする】
■前著でも述べたが、番組は、比較的ショートスパンな「メディア」と「政治」という軸
と、空間的にも時間的にもロングスパンな「歴史」と「環境」という軸を、いわば直交さ
せるというコンセプトで製作されている。
■問題の扱いを「現状/背景/処方箋」に三分するなら、神保哲生氏が国際ジャーナリス
トとしての取材を元に「現状」についての情報を開示し、宮台真司が社会学者としての研
究を元に「背景」についての分析を遂行し、二人で「処方箋」を考えるという構成だ。
■前著で予告した通り、本来ならば「歴史」と「環境」をモチーフとした次著が出るはず
だった。それは今も準備中だが、次著が上梓される前に、春秋社の小林公二さんとの話し
合いで、どうしてもアメリカ論を出す必要があるという結論に達した。
■幾つか理由がある。第一に前著との絡み。アメリカのイラク攻撃を論じることは、「メ
ディア」と「政治」という軸から、アメリカと日本の双方を論じることに繋がる。その意
味で前著の応用編になる。
■第二に次著との絡み。アメリカのイラク攻撃を論じることは、「歴史」と「環境」とい
う軸から、アメリカと日本の双方を論じることに繋がる。それゆえ「メディア」と「政治」
を論じた前著と、「歴史」と「環境」を論じる次著とを、ブリッジするのに役立つ。

【洗練された「ネオコン」を批判できるか】
■「政治」について言うと、巷では、大量破壊兵器が見つからないことを機にアメリカ政
府の大嘘が問題にされ、「ネオコン」が批判されている。だが「ネオコン」がもっと巧妙
かつ周到にイラク攻撃に踏み込んだ場合、どう批判できるのか。
■拙劣な「ネオコン」ならぬ周到な「ネオコン」なら肯定できるのか。できないなら、な
ぜか。それを示すには、米国建国以来の「歴史」を、米英の中東政策の「歴史」を踏まえ、
かつまた「環境」的負荷の観点から、社会システムの代替案を構想する必要がある。
■つまり拙劣な「ネオコン」ではなく、周到な「ネオコン」を批判するには、内外の近代
化の歴史を知らなければならず、近代の枠内でどのようなオルタナティブが構想可能なの
かを探らなければならない。そこまで行き届いた議論を、寡聞にして知らない。

【メディアはメディアを中和できるか】
■「メディア」について言うと、巷ではやはり、大量破壊兵器をめぐる米英政府の大嘘キャ
ンペーンを翼賛したかどで、アメリカの、イギリスの、そして日本のマスコミが、倫理的
に批判されている。倫理的な批判自体は必要不可欠だ。
■だが、そうした欺瞞報道が横行した背景こそが重要なのだ。背景が分析できず、倫理的
批判だけで終始するならば、何度でも同じことが起こりうる。政治倫理だろうが、性愛倫
理だろうが、戦争倫理だろうが、マスコミ倫理だろうが、同じこと。
■とりわけ「メディア」は、メディア批判もまたメディアを流通するという自己言及性ゆ
えに問題を抱える。メディアの自己批判がカタルシスを供給するだけなら、大嘘キャンペー
ン翼賛の背景にもカタルシス供給があるのだから、同一行為を反復しているだけの話。
■前著でも述べたが、メディア報道と時間的・空間的にシンクロしないような枠組の中に、
メディア報道を絶えず置き直す所作が必要になる。そこでもやはり、メディア自身とメディ
ア対象の双方について、「歴史」的淵源と広義の「環境」的負荷の分析が不可欠になる。

【必要なのは離脱ではなく操縦】
■最後に、神保氏と宮台が共通して抱く「アイロニー」の感覚について一瞥する。私たち
は、アメリカの横暴に対して「反米」を、近代の暴走に対して「反近代」を訴えるという
立場を取らない。番組で繰り返し述べてきた通りだ。
■なぜなら、「反米」はアメリカによって計算され、「反近代」も近代によって計算され
うるからだ。確かに今回の「ネオコン」は計算が拙劣だった。でも私たちが問題にすべき
なのは先に述べたように、むしろ計算が徹底している場合だ。
■だからこそ、私たちはそうした素朴な態度を取るのではなく、計算されにくい仕方でア
メリカ政府を操縦し、近代の社会システムを操縦しなければならない。そしてそのために
こそ、日本政府をも操縦することが要求されている。
■何事においても同じだ。神保哲生氏は、信用できないメディアに対し、メディアを離脱
するのではなく、信用可能なように操縦しようとする。宮台は、用をなさない社会学に対
し、社会学を離脱するのでなく、用をなすように操縦しようとする。
■「アイロニー」と述べた理由は明らかだ。アメリカの不完全さに対処するには、アメリ
カ的なものを徹底して利用すべし。近代の不完全さに対処するには、近代を否定したり離
脱したりせず、近代を徹底して利用すべし。メディアだろうが社会学だろうが同じだ。
■離脱できもしないくせに、アメリカ的なものを、近代的なものを、離脱できるかのよう
に吹聴するのは簡単だ。「熱いシャワーを浴びた後に、クーラーの効いた部屋で、反近代
や反アメリカの書物を繙く」滑稽さに、私たちは思いを致す必要がある。