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ある勉強会で「ドイツ哲学的人間学と最先端の社会科学」と題する報告をしました

ある教会で「ドイツ哲学的人間学と最先端の社会科学」と題する90分間のレクチャーをしました。冒頭20分の文字起こしだけですが、〈感情の劣化〉という問題に関する一つの側面を理解するするのに役立つので、アップします。「本論部分の文字起こしの予定はありません」と以前に申しましたが、今回を含めて3回に分けて全体を紹介いたします。


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「ドイツ哲学的人間学と最先端の社会科学」90分のうち冒頭20分
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【どちらも間違っている】
 昨今、従軍慰安婦の問題が取り沙汰されています。いわゆる右側の考えも、いわゆる左側の考えも、私はどちらも間違っていると思います。政府を批判しようとしている人たちは、いかに政府が関わっていたかを証明しようとしています。反対に、政府を擁護しようとしている人たちは、従軍慰安婦問題に関わっていた、つまり、強制拉致、甘言、人身売買に関わっていたのは業者であって、国はあずかり知らないというように、弁護しているのです。
 これは普通に考えると国際標準ではおかしいことなのです。アメリカの考え方は例外ですが(あとで触れます)、国が関わっているからいけないのではなくて、国がもっと真剣に関わらなかったからいけないのです。戦時の従軍慰安所は十九世紀初めのナポレオン戦争についての反省からきています。性を現地調達しようとすると、現地の女性たちがレイプに見舞われ、暴力と性感染症で場合によっては人命が失われることにもなります。それを回避するための、食料や水と同じように、性(セックス)も兵站(ロジスティックス)の一つとして提供しようとする考え方が出てくるようになりました。
 こうした考え方を実証的に正当化し、理論的に体系化したのが、マグヌス・ヒルシュフェルトというドイツ人で、彼の書物を読むと、今日のヨーロッパの標準的な考え方が分かります。平時の売買春においても、国が積極的に売春を管理して、女性の自由意志が損なわれていないかどうかを確証しなければいけないという枠組みです。この枠組みはヒルシュフェルトの影響を受けています。
 戦時下において国が積極的に関与するべきなのは、現地で反発されないようにして占領政策を行いやすくするという観点からでもあり、また、現地の女性たちへの被害を最小化できるようにという人道的な観点からでもあります。加えて、長期間塹壕にこもって戦うことで性が抑圧されると、隊内でも暴力が蔓延するとの観点もあります。これらの観点から、兵站として性の供給が提唱されたのです。ヒルシュフェルトは、道徳的な反発を承知の上で、「それが道徳的にいやだと思うなら、戦争をするな。戦争を肯定するならば、我慢しろ」という有名な言葉を残しています。私は基本的には妥当な発想だと考えます。

【アメリカを真似る日本では】
 ところが、日本には自分の頭で思考する人が少ないので、「国が関与したからおかしい」という議論を真に受ける人がたくさんいるのです。私のような国際標準を参照した議論を展開する人は論壇では私以外に見当たりません。しかし、日本では理解されていないけれども、これらのことは、かつて私が「援助交際」のリサーチに関わっていた時にも話したけど、二十世紀のヨーロッパでは標準的な考えです。
 敗戦後の日本はアメリカを思考停止的にまねしているのですが、アメリカは特殊な方法をとっています。アメリカにはピューリタニズムがあるので、国が売春宿や慰安所を公設して、それに税金を使うことがゆるされません。ですから業者に管理売春をさせて、そこに公的に介入するのです。ですからアメリカでは「公設」という言葉を使わず、かわりに「公認」慰安所と言います。国が運営するのではなく、兵士は「公認」のところに行くように奨励されます。敗戦後の本土や沖縄でも、この図式が採用されました。
 沖縄民政府ならびに琉球政府時代の沖縄では、暴力や性感染症の予防のために、保健婦たちが管理業者を回って啓蒙活動を行ったりコンドームを配ったりしました。アメリカの行政は予算も人力もまったく負担をしていないのです。そのため、保健婦たちの尽力にもかかわらず、多数の女性が殺され、性病を患いました。
 次のような言い訳が通用するでしょうか。「アメリカは性奴隷化には関わっていない。なぜならば慰安所を公設していないから」。おかしなことです。沖縄は金銭的にも社会的にもアメリカが払うべき負担を肩代わりしているのです。アメリカは、活動に必要なコストを負担せず利益だけを受けるフリーライダーなのです。ベトナム戦争の時も、朝鮮戦争の時もそうでした。
 「国が関わっていないから、自分たちは性奴隷には関知していない」いう言い訳は倫理的に許されません。実際は、民間業者を周りに集め、絶えず将校と業者と地元行政が内通しながら、「こういう女を集めろ、兵士の好みはこんな女だ」と絶えずコミュニケーションし、「公認」の売春宿に通うことを奨励してきた歴史があるのです。アメリカは十九世紀の終わりのフィリピン占領から、一貫して同じやり方を続けてきました。

【善悪の判断とその基準】
 さて、今お話ししたことは、インターネットで三時間も調べれば、すべて分かることです。英語が読める人なら、もっと早く調べられます。日本のマスコミは、一体何をしているのでしょう。自分の頭で考えようとしていない。人が言っているからそうだと思う。これを私は「思考停止」と呼んできました。
 たとえば私は、マンガやアニメを規制する青少年条例の改正にずっと反対してきました。学説史的には悪影響が証明されないからです。ところが日本では「悪そうな奴は悪い」となりがちです。でも、ほんとうに悪いかどうかを証明しなければならないし、どのような理由で「悪い」のかを言わなければなりません。マンガやアニメてあれ、売春であれ、同じです。
 このことは、日本になぜ冤罪が多いのかにも関係します。「ほんとうはどうだか分からないが、悪そうな奴だから捕まえてしまえ」といった「岡っ引き根性」を、諫めるどころか支援するのが、日本では当たり前であり続けてきました。今も変わりません。「悪そうだからアニメやマンガを規制しよう」「悪そうだから売春を規制しよう」と。「悪そう」と「悪い」を混同するこの土俗的なメンタリティーは、エリート検察官にも、ヘイトスピーカーにも、同じように存在しています。
 人間の善悪の判断は、必ず間違いを含みます。善悪判断の必謬性は、原罪という概念の中核です。このことが分かっていない人は、自称クリスチャンにも大勢います。空間軸で言えば、人と鯨を知的生物として平等に扱えという要求は、知的生物と非知的生物を差別しろという要求を含み、時間軸で言えば、医者が瀕死の子を救うことで、その子が後に人類を滅ぼす悪魔へと成長するかもしれない。このことは、これから述べることに関係しています。

【トロッコが暴走している】
 昨今の人文科学や社会科学が人間や社会をどのように理解しているか、ここ二十年間の最先端の考え方を今日はお話ししたいと思います。これらは伝統的な潮流の上に組み立てられていて、これからも長く変わらないパラダイムですので、弁えておくと、独善を防遏するのに役に立ちます。
 3・11以降マイケル・サンデルの「白熱教室」が話題になりました。書籍版初版のオビは私が書きました。サンデルは共同体主義者だと理解されています。「共同体が大切だということは、人が一人では生きていけない弱い存在だということだろう」と、多くの日本人が理解しがちです。そうした理解は完全に間違っています。共同体が重要なのは孤独云々といった実存の問題ではありません。説明するために有名なトロッコ問題の話をします。これはサンデルが一連の講義の初めのほうで使う有名な例です。このトロッコ問題の設定は、進化生物学者のマーク・ハウザーが一九六〇年代に考えたものを引いています。
 「暴走するトロッコがあります。行く手には五人の人がいます。このままではこの五人は轢かれて死んでしまいます。ところがよく見ると、手前に引き込み線の切り替えポイントがあって、今ボタンを押すと、トロッコは引き込み線に入ります。しかし引き込み線の先には一人、人がいるのです。五人は助かるが一人は死んでしまいます。さてあなたはボタンを押しますか。つまり、ポイントを切り替えますか」。これに対して皆さまはどう答えますか。この問いを、どこの国でどんな年齢の人に尋ねても七割の人が、ボタンを押すと答えます。日本だろうがインドだろうが、アメリカだろうが中国だろうが、変わらないのです。
 トロッコ問題の第二の例があります。「暴走するトロッコがあります。その行く手には五人の人がいます。このままではこの五人は轢かれて死んでしまいます。それをあなたは、線路の上にかかった橋梁(ブリッジ)から見ています。ふと見ると、おあつらえ向きに、あり得ないほど太った大きな人がいます。この人を橋梁の上から突き落とせば、トロッコは止まり五人は助かりますが、この太った人は死んでしまいます。さてあなたは、この太った人を突き落としますか。」これに対しては、先ほどと比率が逆転して、どこでも七割が「突き落とせない」と答えます。

【功利主義や義務論でとらえることの限界】
 この比率の逆転は哲学的な難問です。私たち人間の道徳が何によって支えられているのかについて従来の哲学主流の考え方が二つあります。その二つがどちらも間違っていることを比率の逆転が指し示しているからです。
 一つは「功利主義」。人間の快と不快を集計して「最大多数の最大幸福」に結びつくものを私たちは「善」だと考えるとする立場です。例えば「五人死ぬより、一人死ぬほうがましだ」という考え方がそうです。トロッコ問題の最初の事例での回答比率は、功利主義者にとって好都合です。ところが二番目の事例は、構造はまったく同じなのに、「一人を殺して五人を助けることができない」との結論が多数意見を占めるのです。もし功利主義が人間的道徳の基盤なら、こうした違いはありえません。
 もう一つの立場はカント的「義務論」です。カント主義者によれば、人を殺すな、盗むな、姦淫するな、といった道徳は、無条件的命令、つまり何時でも何処でも通用する掟です。そこから「いつなんどきも人の命を手段として使ってはいけない」というカント的な義務論で最も重要な掟が導かれます。たとえ五人を助けるとは言え、そのために人の生命を使うのは、あり得ないことなのです。このカント的な義務論なら二番目の事例の回答比率をうまく説明できます。しかし、一番目の回答比率は説明できません。もし私たちが、人の生命を道具として使ってはならないという無条件命令に従うのなら、五人を助けるためにポイントを切り替えて一人を殺すことはできないことになります。ところが七割の人はポイントを切り替えると答えているのです。この偏差は義務論では到底説明できません。

【感情が私たちを拘束している】
 マーク・ハウザーはこの比率の逆転にどのような説明を与えたでしょうか。「ボタンを押す方法ならば一人を殺せるが、突き落とす方法ならば一人を殺せない」理由の説明です。大きくて重いから落とせない訳ではありません。サンデルは「白熱教室」で、橋梁の上の状況を、「その大きな人は、今にも落ちてしまいそうなくらいに身を乗り出している」と言っていました。
 さて、ハウザーは「人間には〈感情の越えられない壁〉があるからだ」と説明します。遠くからボタンを押すのであれば殺せる。生々しくないからです。しかし、そばにいる人間を突き落としたり刺し殺したりは、できない。できないように、感情が私たちを拘束している。言い換えれば「それはできない」という構えを導く感情のプログラムが皆にインストールされ(組み込まれ)ているのです。
 さて、サンデルはここに新しい条件を加えます。実際には橋脚の上にいる太った人は、白人だったり黒人だったり、男だったり女だったり、子どもだったり高齢者だったりします。その違いによって答えも違うのではないかと言うのです。そして、その違い方が文化によって異なるのではないかと言うのです。つまり、実際には〈感情の越えられない壁〉は、文化の違い次第で異なる形でインストールされていると言うのです。
 ここでサンデルがやっと出してくるのが「共同体」という概念です。私たちは共同体に埋め込まれています。自分でどの共同体に埋め込まれて育つのか選べません。そしてどの共同体に埋め込まれているか次第で少しずつ違った感情のプログラムをインストールされます。またプログラムは途中でリセットしたりリ・インストールしたりできません。共同体主義とは、そのことに注目する思想です。ここで言う共同体は、国境によって区切られた国家を支える国民共同体とは無関係です。
 私たちは、自分で意識してはいませんが、ある共同体に生まれ落ちたことによって、何を快と感じ何を不快と感じるか、何を善と感じ悪と感じるのか、についてのプログラムが、一定の傾向をもつものとしてインストールされるのです。仮に、こうした感情のプログラムをシェアしていなければ、例えば議論の場においてコンセンサスに達することは、はるかに難しくなります。私たちには、互いに「あたりまえ」と思っている感情の働きがあるから、「いいね、君の考えていることは、わかるよ」といった具合になれます。共同体主義の考え方の基本です。
 さて、こうした考え方は、ドイツで百五十年ほど前に誕生した「哲学的人間学」を出発点にしています。社会学においては百二十年前にその影響が拡がりました。今ではこの考え方は珍しくはありません。そうした考え方は、私たちがいかに「限りある存在であるか」を指し示してくれます。それに従えば、私たちは自分たちの善悪判断を普遍化することはできません。私たちが原罪を負った者たちであり、神ではありえないということなのです。

【「絆」を取り違えてはいないか】
 震災被害を防ぐためには絆が必要であるという議論がありますが、それはでたらめだと、私は思っています。私は、震災後に、自分の子どもや知り合いの子どもを連れて山村に疎開させました。私が住む世田谷でも、疎開させた人が他にもいるのですが、驚いたことに、たいてい自分の子どもだけを連れて行きました。子どもを連れて疎開できるような「ラッキー」な立場の人もいれば、そうできない人もいるはずです。なぜ、自分の子どもだけ連れて行くのでしょう。それだけではありません。いざというときのために絆が必要だからと言って、3・11の後、彼岸やお盆の折に帰省する人が増えたのでした。
 あまりにも「エゴ・セントリック(自己中心的)」な考えです。システムが回らなくなった時に、つまり、「いざ」という時に、頼れる人間関係がないと路頭に迷うのは、事実です。しかし、「やっぱり友だちを大切にしなければ、将来自分は助からないのだな」ということなのでしょうか。「いざ」という時に助けてほしいから、頑張って「絆」を作ろうと思うのでしょうか。これは間違っています。「いざ」という時、自分はどうあれ、命を賭けても助けたい人がいること。これが「絆」でしょう。
 絆は、手段ではなく、目的です。人々が「手段としての絆」ではなく「目的としての絆」に向かうかどうかは、生まれつき決まっているのでなく、インストールされた感情プログラム次第だ、というのが昨今の人文科学や社会科学の考え方です。
 加えて、自明な〈生活世界〉が〈システム〉によって侵食された昨今では、こうした感情プログラムのインストールは、放っておくとおかしなものに変化しがちだから、これを観察して適切なインストールを心がけるというパターナリズム(父親的な温情主義)が必要だ、というのも、昨今の考え方なのです。

(以下、本論につづく。本論ではドイツ哲学的人間学の歴史を紹介し、社会学との同形性、プラグマティズムとの同形性、共同体主義との同形性を喋りました)
投稿者:miyadai
投稿日時:2014-12-05 - 00:09:00
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Merzbow + 宮台真司 コラボレーションCD制作クラウドファンディング大成功に感謝!!


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CAMPFIREプロジェクト
「ノイズと社会学が接近!? Merzbow + 宮台真司 コラボレーションCD制作」
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2014年10月15日に出資者の募集を開始、締切の11月14日の12日手前で目標金額300000円を達成いたしました。最終的には372000円の資金を103名の方々から集めることができました。

遅ればせながら、あらためて感謝いたします。実は11日火曜日から病気で伏せっておりまして、本日15日の午前中にようやく回復したところです。治って気づいてみたら、うれしいニュース! というわけなのでした


これはの資金は全てCD制作と関連グッズ制作に充てられます。秋田昌美氏も僕も一切お金を受け取りません。これから旧ピッチでCD制作にかかります。僕もライナーノートと執筆に着手しました。

出資していただいた方々に改めて御礼を申し上げるとともに、CDや関連グッズがお手元に届くまで、いましばらくお待ちくださるようお願い申し上げます。いま僕はとてもハッピーです。

http://goo.gl/iUAuWU

ツイッターで流した口上を採録させていただきます

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美醜や快不快の二項図式で否定項に配当されるノイズを、サウンドと併せて〈サウンド〉として聴く構えに、マッチ(笑)する音列をノイズミュージックと呼ぶ頽落を、断固糾弾する。キャッチャーミットを構えてノイズを聴きに行くなどあり得ないではないか。

どんな音も、音が存在する事実ないし音を体験している事実自体の奇蹟に開かれれば享受可能になる⋯⋯といた訳知り顔の枠組を私は認めない。メルツには所謂サウンドであれノイズであれ経験世界で見知った音がない。なのに究極的に美しい。奇蹟に開かれた程度で体験できるはずがない。それが奇蹟なのだ。

この分野の頂点が日本とりわけメルツだとするヘガティは正しい。疑問もある。メルツを知らぬ者にその美は説明不能。類推からは想像ができない。なのに聴けば究極美を体験する。なぜか。それが脳の構造だとすれば目的は何か。その謎が充分主題化されていないのだ。
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投稿者:miyadai
投稿日時:2014-11-15 - 23:13:25
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リテラ登場:宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」



リテラ > 社会 > 政治 > 宮台真司が沖縄県知事選を語る!

【沖縄県知事選直前インタビュー】
宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」
http://lite-ra.com/2014/11/post-597.html









投稿者:miyadai
投稿日時:2014-11-15 - 22:56:51
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リテラ登場:宮台真司がネトウヨを語る「あれは知性の劣化ではなく感情の劣化だ」



リテラ > 社会 > 社会問題 > 宮台真司「ネトウヨは感情の劣化」

【宮台真司インタビュー後編】
宮台真司がネトウヨを語る「あれは知性の劣化ではなく感情の劣化だ」
http://lite-ra.com/2014/11/post-601.html









投稿者:miyadai
投稿日時:2014-11-15 - 22:50:00
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【ラジオトーク】InterFM「宮台×ジョー横溝 沖縄問題」に番組出演しました



【ラジオトーク】InterFM 宮台×ジョー横溝 沖縄問題 14.11.08 22:00-23:00 音楽を切り口に沖縄問題を深く論じました。音楽は著作権があるので省かれています。Coccoについては是非自分で音楽をかけて聴いて下さい。iurl.no/w45i4









投稿者:miyadai
投稿日時:2014-11-10 - 13:07:57
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